「言挙げぞ(我が)する」という知的バトルVOL.40

言挙げぞする」の冊子が、私の手元に届いた。独りで執筆、装幀・デザインした冊子を自分で誉めるのは手前味噌だが、ご苦労様と言いたい。
内容は、かなり踏み込んで書き上げているが、学術論文ではないので、そう難しくは記載していない。かといって、簡単に書きすぎると誤解を生む。というわけで、硬軟取り混ぜて仕上げてある。
特に、宗教観のあるべき姿を認知して貰うのは難しい。最初は、読み飛ばしていただいて構わない。何しろ、神道、儒教、道教などは、誤った認識が一般「常識」になっている。従って、初読は「そんなことは誰からも聞いていない」と拒否反応を起こすはずである。無名の物書きが偉そうなことを言うなという反発もある。それが当然だと思う。頭がパニックになるかも知れない。「言挙げぞする」の内容はある種のカンフル剤のようなものだが、こけおどしでない証拠に、読み直していただくと、既存の「常識」は誤りだと知ることになる。じっくりと筆者との知的バトルを楽しんで欲しい。

平成元年(1989年)に入会した「同根会」という経営研究会で、私は、伊藤くみ子先生という不思議な雰囲気を漂わせた「お婆さん」と出会った。会の特別顧問のような立場で、私が入会当時、伊藤先生は78歳だったと思う。詳しくは、拙著の「むすんでひらいて」の章に譲るが、この時初めて「古神道」という言葉を聞いた。
伊藤先生は全くの独学で、神道的な言葉を用いながら「命の構造」の理論を作り上げたのだが、その先生の言葉にこうある。
「神道というと、日本人は十分な認識がないにもかかわらず、勝手な固定観念に捕らわれている。だから私が色々言うと、左翼からも右翼からも、新興宗教の団体からも睨まれて、なかなか大変なのですよ」と言って日本人の誤認識を笑い飛ばしたのが印象的であった。
思うに、考古学の分野も科学の進歩により、縄文時代は今から1万6000年前というのが主流になりつつある。従来よりも3千年も古いという認識だ。「神道」の成り立ちも、日本独自の思想であるという考えは誤りで、縄文の基層精神をもとに中国の道教思想を引用したものだ。
思えば、仏教も、儒教も日本流にアレンジされて、それが一人歩きして現在に至った。既存の学者や宗教者はそれを知りつつ、従来の認識を変える事はない。ならば、その「源」と彼等の寄って立つ立場と比較してその正当性・必然性を示すことが、知的指導者としては当たり前の責務であろう。しかし、いまだに無いが……。
拙著で記載したマスコミの「自主規制」も、その根拠は曖昧で、詰まるところ組織の自己保身である。大宅壮一の言葉ではないが「一億総白痴化」した国民の、つまらない批判と係わるよりは穏便に、というわけだ。また、財務省をはじめ国家中枢の頭脳集団の不祥事は、戦前の陸海軍の幹部達と何ら変わらない「頭でっかち」な独善的組織であることを露呈させた。
「言挙げぞする」で指摘した様々な事象は、本来、私のような浅学な物書きの書くことではない。右からも左からも宗教団体や、お偉い学者先生、個癖に凝り固まった方々からも、マスコミからも、恨みは買いたくないのだが、書いてしまったのだからしょうがない。
拙著が、日本人として正しい「歴史観」「宗教観」を持ち、ひいては、いかに生ききるかという、生死観をじっくりと考える、よすがになれば、嬉しい限りだ。

アマゾンネットショップには、5月20日発売で、アップしています。
2018.4.28   春吉省吾

 

 

 

 

 

私の手元に届いた新刊「言挙げぞする」


 

 

 

 

山手通り・上原近辺、躑躅がきれいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本最大の回教寺院(モスク)、東京ジャーミイ。

 

 

 

 

 

東京消防学校の訓練風景。チームワークの妙。

管理人
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令和5年1月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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