1984年(昭和59年)9月 株式会社ノーク創業 資本金1370万円にてスタート
1985年(昭和60年)5月 テレビ朝日・サントリーブロードウエイミュージカル「マイワンアンドオンリー」印刷関連の全てを受注
大手代理店の下請け業務がとんでもなく大変だということが身に染みた。なにしろ直接顧客との折衝をする当社と現場を知らない代理店との間でもみくちゃにされた。しかしこの三年間、「ウイーン少年合唱団」「宮沢賢治展」など話題をさらった仕事を経験させてもらったおかげでイベント・展示会など裏側から広告の現場を知ることができた。

1986年(昭和61年)~1987年(昭和62年)
あらゆるジャンルの広告デザイン印刷物を手がけた。大手家電メーカー、音楽、レコード企画会社、コンピュータ、出版社、大手進学塾、中央省庁外郭団体など。
1988(昭和63年) 代理店や制作会社の間接受注を一切廃止する
受注拠点を東京一本に絞り、グループ全体でどのような受注にも対処でき、コスト競争にも打ち勝てるような体質に転換。
6月、日航商事に持ち込んだシルク印刷を応用した(立体的に絵柄がエッジングされる)JAPAN AIR LINEメタリックシール好評。同8月「機内持ち込みのお願い」B全ポスター、強調する部分のみ光沢が有り、かつその部分が盛り上がる印刷(バーコ印刷)を応用。何れも一般に普及させたということでは日本初 。

1988(昭和63年) 日本航空(株)とJR東日本(株)のジョイントイベント「フレッシュ・マーケット」開催
この年も押し詰まった12月下旬、上野駅中央コンコース(パンダ広場)の全てを使ってJAとJR東日本のジョイントイベントLを受注。昭和天皇の御容体が危ぶまれる中、デザインを地味にしたり中止か続行かで最後まで緊張の連続だった。しかし、イベントの全て(ポスター・チラシなども含めて)を自社グループでやれるという大きな自信を得た。
1989(平成元年) デザイン・イベント制作会社に特化
この年は新規開拓しなくとも顧客の方から注文が舞い込んだ。化粧品会社、ホテル、メーカーと多岐にわたった。業界の特殊性とどの業界にも共通する普遍性を実感することができた。この年JALのスチュワーデスが企画した、「ミズ・フライデー」の一連の宣伝企画に参加できた。また食品卸流通業一次店(大卸)の見本市イベントを年二回受注することになり、外食食品業界の多品種性と新商品の開発力に興味を持った。
1990年(平成2年) 新規月刊雑誌、商品開発依頼される
新規月刊雑誌の受注が舞い込み、雑誌のコンセプトから原稿作成の一部分まで請け負うことになった。(勿論、雑誌全体のレイアウトも)しかし、2号まで当社で引き受けたがお断りすることにし、その後雑誌は大手印刷会社に引き継がれた。バブルで儲けた金を月刊雑誌にという経営者の方針にはついていけなかった。(その雑誌は8号で廃刊に追い込まれた)
宝飾関連の新商品開発の依頼を受け、初めて本格的にマーケティングの全ての工程で全力で取り組んだ。フランスのデザイナーを使い、画期的なアイデアを盛り込んだ割りには売上が予想よりも伸びなかった。(その経験はその後のコンサルタント業務に大きく役だった)

1991年~1996年(平成3年~平成8年)
「地域開発」「店舗開発」など新しいマーケットの捉え方に携わった。内容も総合的に細部にわたった。それにしてもゼネコン・設計業者が既に箱(建築物)を設計した後に、我々に「理屈付けのマーケティング」を依頼してくる。進め方の順序が全く逆だ。こんな事をしている限り、結局一番損をしているのは消費者だということを痛感した……。なんとかしたい!
1997年(平成9年) 経営戦略・マーケティングを中小中堅企業に役立てる
中小中堅企業には、評論家の空虚な話はいらない。無意味な分厚い企画書はいらない。しかし今一番実践的な経営戦略・マーケティング必要としているのは中堅企業。
ノークは様々な経験を普遍化し独特のシステムを作り上げた。日本の企業に役立つ経営戦略策定は欧米流のマーケティングをそのままを導入しようとすれば失敗する。そうならないためにどうするか、それこそプロのコンサルティングとしての真価を問われるところである。

2000年(平成12年)「心身経営学」講座開催
本当に経営に真摯に取り組む、経営者・管理者の方たちにいままで実践し積み上げてきたものを役立てていただきたいという必死の思いで開催。ノークのコンサルタント部門としての実質的な旗揚げとなった。少人数のスタートだったが内容は日本中でもっともユニークで、独創性に富んだものであった。
●2001年(平成13年)「心身経営学」講座開催

二回目の「心身経営学」講座開設。内容的には、哲理的な要素は体系化されたが、それだけ、短期間での習得はなかなか難しいものであったろう。
講座の内容は、即物的な講座は問題外として、日本の大学院や大学でも、ここまで体系的な実学講座はなかったであろうが、少々難しすぎた、早すぎたということだ。

●2002年~2007年(平成14年~平成19年)
企業の核であった、イベント事業、デザイン事業などは順調に推移したが、経営戦略、マーケティングなどに対しては、意識して距離を置いた。MBA取得者のその実力の上辺だけを見た評価は的外れだと思っていたが、世間はそうではなかったようだ。企業哲理や企業戦略など、個別の依頼はあったが、ただ表面的なお手伝いをしたというだけに終始した。中小企業の経営者の哲理に対する深さが不自由分であると感じた。

●2008年(平成20年)
代表取締役佐藤が、20年かかって「小説・永別了香港」を完成。実話に近い部分が大分あり、関係者との立場からなかなか発表できないと云うこともあった。作品が400字詰め原稿用紙で、3700枚という長編でもあり、現在に至るまで出版に至っていない。天安門事件と香港の関係を調べていたが、中国にとっては大きな恥部であるそれは中国政府に遠慮し過ぎた日本のマスコミによって「天安門事件」の様々な記事は闇の中に葬られたといっていい。

●2009年~2010年(平成21年~平成22年)
リーマンショックに端を発した、世界同時不況。一番被害を被ったのは「弱者」である。派遣社員や契約社員の悲劇はマスコミ報道で過剰なほどに取り上げられているが、下請け孫請け、個人保証をしている中小企業の代表者が一番の被害者であろう。しかし、彼らには「哲学」がない。つまり、企業の理念に基づいた、具体的戦略や、行動規範、計画がない。経営者として、「腹が据わっていない」ということにつきる。
今まで「心身経営学」の実践的な指導コンサルタントを封印してきたが、いよいよその時が来たかなという思いが強い。経営学の常識を疑い、覆し、そこから自分自身の「哲理」を作りあげないと、中小企業の経営者は浮かばれない。


◆2011年(平成23年)7月に、経営書「経営の嘘」、そして「時代小説」その四部作の第一作「冬の櫻」(上・下)上梓
ノーク出版を立ちあげ、自社で本当に納得したものを上梓していくことにした。
限定的な販売だが、大手出版社の出来ないことを、本当に役立ち感動を与える著作、作品を世に問う。
3月11日、東日本大震災、福島第一原発の事故が起こった。従来のあらゆる概念が、崩れた。「経営の嘘」も「冬の櫻」(上・下)も、大災害を経験した我々にとって、これからの生き方の指針を明示している著作と自負している。
◆2014年(平成26年)5月、「時代小説」その四部作の第二作「春のみなも」(上・下)上梓
福島藩三万石、幕末を舞台にした。長編時代小説。従来の時代小説の概念をも、大きく発展させた「春吉省吾」の渾身の書き下ろし小説です。
架空の「初」という女主人公が、幕末・明治・大正・昭和初期に亘って大活躍します。