「和而不同」初音の裏殿・第五巻執筆中・吉原の真実。 「箱庭歴史作家」と一緒にするな!!

ノーク出版からお知らせ

6月15日現在、原稿用紙120枚執筆

 趣味の組織の総会など、事務的なことが5月で終了し、その間、ブログのアップや、Gemini、notebookAI  Nano Banana 2 などで遊んで、動画も4本作った。数冊のClaudeCodeの書籍を読んで、その危険性を理解した上で、7月から業務に利用しようと思っている。
 さて、「愛別離苦」初音の裏殿・第四巻を、この4月1日に上梓したが、反響は思った程ではなかった。壮大な物語だが、オールドメディアには、一切告知していないから、そうなるのも当然ではある。
 いずれこの作品の「凄さ」は、誰かがしっかりと目に留めてくれるはずだ。慌てることは何もない。
 6月から、第五巻の「和而不同」の執筆にとりかかった。
 6月14日で、原稿用紙120枚執筆中だ。以下、歴史時代小説家として、時局も踏まえて記載する。

 1200枚を越す「第四巻」の書き下ろしを纏め、校正・校閲から、装丁、PRの一切を全て一人で切り盛りしてきたここ数ヶ月。
 このために集中した意識を一度開放しないと、いかな「天才」でも身体も頭も保たない。まして私は「天才」ではない。休養は欲しいが、溜まった雑用と、期限の迫った事務処理に追われて、そのような余裕はない。
 もっとも、なまじ休養などすると、世間の馬鹿さ加減が目について、どうにも落ち着かない。
 疲れていると、思考がマイナス思考になるが、それにしても「どうしてそんな当たり前が判らないのだろう」と首をかしげてしまう。
 他人より多少苦労しているので、物事の本質が少しはわかっている。
 まあ、どうしようもないのは、日本のリーダーの「ヘタレ」達だ。
 物事の本質が見えている者達は、1%もいないようだ。
 自民党、旧社会党(今や消滅間近な「立憲民主党」)、公明党、などの既成政党、財界、新聞・テレビのオールドメディアと呼ばれる経営幹部連中が、無節操を通り越して、「売国奴の異臭」を放つ張本人だからタチが悪い。
 更に、東京や埼玉、北海道、沖縄など、多くの首長達の無能力・不作為(あるいは不適切な政策)は、何とかならないものか……。だが、彼らを当選させてしまったのは、我々有権者だ。同じレベルということだ。日本国民の意識を変えない限り、この悪しき循環は、何時までも続くことになる。

日本から黙って出て行ってもらいたい

 とにかく、やり方が姑息で、自己保身の狭量が見苦しい。我が拙著を読めば、そのヘドロの耐えられない臭さと、その思考のいい加減さと、DoubleStandard(ダブルスタンダード)に赤面するはずだが……。
 敗戦後の教育がこれほど「自虐」に働いた国は他に無い。
 見事に、アメリカ進駐軍の術中に嵌まってしまった。
 敗戦後80年を経たが、憲法第9条の非武装平和主義、日米安保中心主義、国連中心主義といった戦後日本の安全保障の根幹に関わる原則が、相互に連関して現在の日本がある。しかし、それらの「隙間」には、様々な闇があり、利権の温床になっている。だがこれらを統合して精査する思考がない。あるいはそこに踏み込むと、オールドメディアや左派系の平和団体(と称している)から感情的なバッシングを受けて、まともな論議にならない。

 例えば、国際連合(United Nations)は、その名称自体からして、もともとは第二次世界大戦における対日・対独の「戦勝国連合」に由来している。国連憲章には現在も、日本を名指しはしないものの旧敵国(日本・ドイツ・イタリア)の行動を封じるための「旧敵国条項」が存在しており、これは日本が国連において完全に対等な立場にないことを示す象徴とされている。
 日本は、国際社会でその地位を何とか確保するために、国連(戦勝国連合)を絶対なものとしてしてきた。しかし近年は、安全保障理事会の機能不全や常任理事国の拒否権行使に対する批判が高まるにつれ、国連絶対視の姿勢は相対化されつつある。昨今、国連職員の汚職や不正行為は、巨額の人道支援予算や職員に与えられた法的特権を背景に、たびたび深刻な問題となってきた。
 しかし、日本の「移民保護、人権擁護と性差別などを訴える市民団体」(ダブスタの左派系団体をオールドメディアはこう呼ぶ)は、国連やその関連機関などの権威を利用して、日本をいたずらに貶め、ちゃっかり日本国の税金を掠めている「日本を破戒する寄生虫」のような組織もある。
 近視眼で狭量なこれら輩は、ご大層な似非平和正義を掲げている。これら左翼はそれを正義と頑なに信じて疑わず、そのまま思考停止している。しかしその論理と実際行動の不整合を指摘されると、すかさず論点をずらす。
日本に害をもたらすこれらの方々よ、そんなに日本がいやならば、日本人を辞めて、海外で生きて貰いたい。
 もっとも、自称「保守」を自称する連中も、その殆どが腰が定まらず、思考が浅く薄い。

第五巻「和而不同」は、第一巻「怪物生成」からしっかり繋がっている。

 結局、こういう方々は、物事の本質は何かという、一番大事な処を学ばす、薄っぺらな教育だけで生きてきてしまったのだ。お気の毒としか言いようがない。
 まあ、そういう方々は私の長編小説など目にする機会もないから、関心のある方だけ読んでもらいたい。
 拙著「初音の裏殿」シリーズは、全六巻で終わる予定の超長編の幕末歴史時代小説だ。ことの本質はどこにあるという従来にない「視座」の幕末歴史時代小説である。
 第一巻「怪物生成」(原稿用紙・950枚)、第二巻「破天荒解」(原稿用紙・1160枚)、第三巻「深慮遠謀」(原稿用紙・1320枚)、第四巻「愛別離苦」(原稿用紙・1215枚)、これらを単純計算した4645枚は、第五巻にしっかり繋がっている。
 第一巻の冒頭に出て来た、幼名剛太郎こと小栗忠順(ただまさ)と、10年ぶりの再会。
 金吾が初めて男になった先代花紫、その時まだ10歳だった引込禿(ひきこみかむろ)の「みく」。
 いずれも第一巻に出てきた二人の人物が、緻密な筋立てによって、およそ4600枚の後に第五巻に登場するのだ。
壮大に設計された「歴史時代小説」と理解していただけよう。
 スタッフ一人使わず、全て資料を調べ、集め整理するのには膨大な時間がいる。それを元にそれぞれの登場人物(歴史上の人物も実際の日時を正確にたどっている)を、主人公宇良守金吾を軸として展開していく。
結構な荒技だと自分でも思う。
 おそらくこの歳で、たった一人で、全て書き下ろしの長編歴史時代小説を執筆しているのは、日本で私一人だろう。
 新聞小説や雑誌連載でない「書き下ろし」なので、私がコケたら、書き込んだ文字は埋もれたままになる。上梓するまで二年、大赤字を抱えて執筆する姿は、鬼神に護られていないと出来る事ではないかもしれない。
 全てに感謝して、書き続けるだけだ。その信念が、私の作品全ての緊迫感に繋がっているのだと思っている。

私が目指す「シン歴史大河小説」

 身近な社会風俗的な随筆は書くが、時局を捉えた「政治経済・金融に及ぶ随筆」を定期的に記載し、世間に問う歴史時代小説家はいない。
 脳内の思考回路を切り替える必要があるからだ。ガチガチの文学者が、いきなり経済金融時評を書けと言われても、無理な要求だ。双方アクセス出来る思考を、日頃から練っておかないと出来ない。
 また世間に知られる、大衆歴史作家は、「新聞作家」が殆どだから、オールドメディアからの収入で糊口を凌いでいる。新聞社や週刊誌発行の出版社を相手に、都合の悪い言動を記載することなど出来ない道理だ。

 これまでの歴史時代小説は、市井(庶民)の日常、風俗の裏側、経済金融政策を始め、国内政治の個々人や組織の対立などを「物語」にする事はあっても、それらを総合的に組み立てて、読者に提示する物語はなかった。
 簡単な筋立て、構図に纏め上げるのは簡単だが、「箱庭歴史小説」となってしまう。
 幕末歴史時代小説は、「世界の中の日本の立ち位置」「列強の覇権主義とその金融経済政策が日本に及ぼす影響」を具体的に、庶民の日常に落とし込んでいかなければ、本当の「幕末」は見えてこないのだ。
 だが、オールドメディア、新聞.・テレビ、出版社、に依存してきた「歴史作家」達はこれが出来ない。

 これまでの歴史時代小説家が現代の「時局」を読み誤ると批判される背景には、上記のオールドメディア依存に加えて、主に3つの要因があると考える。
 その1つは、過去へ傾倒しすぎて、意識と関心が過去の出来事や人物に捕らわれすぎて、現代の複雑な政治・経済・テクノロジーの動向を捉え割れなくなってしまう。
 2つ目は、物語の展開を劇的なドラマや人間関係に依存しがちなため、データや構造で動く現代社会の冷徹なメカニズムを見落としてしまう。
 3つ目は、過去の歴史を現代の教訓に当てはめようとするあまり、現代特有の新しい課題や文脈を見誤る過度な教訓主義になってしまう。
 これらにより、彼らの見立てが現実の社会動向とズレてしまうことがある。

 佐藤雅美先生の描く幕末の「大君の通貨」や、「知の巨人 荻生徂徠伝」などは歴史経済小説として飛び抜けている。だか、読者がきちっとついて行けたかどうかは判断が難しい。
 また、私の尊敬する吉村昭先生の、歴史の時系列を丹念にたどり、主人公の行動を客観的に描写する方法は、司馬遼太郎先生の歴史小説より私は高い評価をしている。
 私としては、上記の佐藤、吉村両先生の小説手法に加えて、熱き人間の感性に触れるパッションの部分も加えていきたいと思っている。それが私の「シン歴史大河ドラマ」というポリシーなのだ。
 このように大言壮語を「言挙げする」ことは、自分で自分のハードルを上げることになるが、それも覚悟の上だ。

吉原のことについても触れておく

 この「初音の裏殿」シリーズでは新吉原のことも題材として取り上げている。
 もともと幕府公認の遊郭として、元和3年(1617年)に最初に開かれた場所を「元吉原」と言い、現在の中央区日本橋人形町(主に現在の東日本橋や日本橋人形町付近)にあった。
 この元吉原を具体的に描いた歴史小説はあまり見当たらないが、拙著の長編歴史小説・四季四部作の「冬の櫻」(上)に詳しい。手前味噌だが、具体的にこの小説に詳しく描かれている。

 その後、江戸の大半を焼失してしまった「明暦の大火」(1657年)を機に、幕府の都市計画によって浅草寺の北東、日本堤(づつみ)の南側の田園地帯(現在の台東区千束)へと移転した。
江戸時代、新吉原については、松井今朝子さんの「吉原十二月」など、遊女達の物語や、隆慶一郎氏の「吉原御免状」、そして塩見鮮一郎氏の「吉原という異界」や江戸の非人頭・車善七など、これまで様々な作家が題材にしている。
 私は江戸吉原図絵(三谷一馬著)、「遊女の知恵」(中野栄三著)を始め、多くの資料を読み漁って、第一巻から登場する「引込禿」のみくと金吾とのやり取り、総名主・三浦屋の楼主・三浦屋四郎左衛門を描いた。
 巌鉄・鬼鉄一統の吉原との関係、吉原を商い先として、金吾が問屋を通さない斬新な商法で、樟脳油、行商茶、池田や灘の銘酒の売り込んだ、戦略・戦術を物語にした。
 そして苦海(界)に沈む、遊女達の哀しさを表現し、「花紫」という名代を得て、遊女の頂点に立とうとしている、みくと金吾との交わりはギリギリを攻めた。これまでの作家とは大きく違った、新吉原の表と裏を描けたと思っている。
 10歳から金吾に恋をしたみくが、10年後の17歳で金吾によって「女」になり、あっという間に「遊女」に変身して行く姿を、4600枚の、第五巻にしっかり繋げ書き上げた。この先どのように展開するかは、読者になってお読みいただきたい。

 ここまで「初音の裏殿シリーズ」を四巻上梓し、五巻の執筆に入っているが、超長編時代小説は、その一部を切り取れば「短編小説」として成り立ち、それらが、組み合って、積み上げられれば「超長編小説」になる、というのが私の考えだ。それは、一小説であっても、国家戦略・戦術と同じだと思っている。 日本再興のための国家戦略は、しっかりとしたグランドデザインのもと、(秘密裏)に、粛々と組み上げなければならない。
 それらのデータは、目的を持って収集・分析され、次の行動を導くための価値ある情報として初めて役立つ、つまりインテリジェンス(intelligence)が必要だ。
 今の日本のリーダーにそこまで長期ビジョンを計れる人材がどれ程いるか。

 私の筋立てなど取るに足らないが、私の長編歴史時代小説=「シン歴史大河ドラマ」とはそういう覚悟で執筆している。

令和8年6月15日  春吉省吾

管理人
春吉 省吾

令和8年5月現在、全日本剣道連盟居合・教士七段、全日本弓連連盟・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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