薬指が人差し指より長い
最初に断っておく。これまで「ヤバイ」という言葉は、私の頭の中では「忌避語」だったが、今回初めて使った。先ずはそれだけ断って話を進める。
最近のYouTubeは、AI編集の動画がオンパレード。しかし音声やテロップが、まだこなれていないので違和感があり、馬鹿にされたような気持ちになって、いらいらする。
結局、私にとってYouTubeは、リラクゼーションの音楽を仕事用のBGMとして流すか、AIなどの動画解説などの情報収集が主になる。
もっとも、「おみそちゃんねる」や「ヘライザー総統」「カナダ人ニュース」などのチャンネルは登録者数がまだ二桁の時からのファンだ。廻りに優秀なスタッフがいるのだと思っている。たった一人で、情報収集しているなら凄い能力だ。
で、YouTubeから離れようとして、美輪明宏さん(おそらくAI加工だと思う。声は美輪さんの声だ)が、「薬指が人差し指より長いひと」というタイトルを目にした。
美輪さんの名を冠したサイトはいろいろあるようだが、全体のコンセプトは「スピリチュアル」な人生論だ。

私の両手の薬指は人差し指より長い。それに2026年は、この特徴がある蠍座の者は、良いことがあるという。
「果たしてそうかな……」。一昨年、昨年とここまでは、何とか健康を維持し、可愛い孫達と遊び、成長を見守る幸せを味わっているが、仕事に関しては、ほぼ休みなして執筆を進め、この4月に「愛別離苦」を上梓したが、努力の割には、ここまで反響が少ない。
30年来稽古してきた「弓道」も、筋骨の使い方を科学的に考察し、それを実証しようとしているが、年齢との戦いもあってなかなか困難を極める。
止まれ、こうして色々とチャレンジできることも幸せの一つで、「晩成亦是美」(遅咲きも又良い事だ)と思うことにした。
更にYouTubeでは、樹木希林さんや、瀬戸内寂聴さんも、人差し指よりも薬指の長い人の特徴を挙げている。
自分にとって都合の良い情報は、喜んで受けよう。
このような情報は「裏側」を考えず、プラス思考で考えるだけでいいので、おおいに利用したい。利害が絡まない、自分にとってプラスの一般情報は、落ち込んだ自分を鼓舞するのに役立つ。但、凝ってはいけない。凝ればまた、プラスもマイナスになる。ここが重要なところだ。
あなたの視座は二者択一か
我々日本人は、明治以来、ずっとオールドメディアに誘導されて来た。明示的には戦後80年のレジュームからだが、明治10年の「西南の役」の政府と組んだ新聞社の筆力に、国民は一喜一憂した。東京日日新聞の福地源一郎や、郵便報知新聞の犬養毅らが特派員として戦地からスクープを連発し、電報も活用して読者を熱狂させた。売り上げは数倍になったと言われる。ここから、オールドメディアの奢りは始まった。
例えば、力を持ったメディアが、善か悪か、白か黒か、右か左か、賛成か反対かなどと、二者択一で情報を誘導する。これは拙い。ある意図を持ち、好きか嫌いかと両極に単純化する発想で世論を誘導された国民は一斉にその方向に靡いてしまう。
これは、我々日本人の脇が甘いのが原因なのだが、それに対抗する肝心な哲理は、国民に教えない。
日本国民は、人間としての粘り強さの「哲学」を自ら放棄している。
例えば、粘り強さの「哲学」に、易学の陰陽思想がある。世間一般に言われる「当たるも八卦」の世界とは真逆なものだ。ましてや細木数子センセイの「あなた地獄に落ちるわよ」と言うような、脅しの易学など存在しない。第一「地獄」の発想は易学にない。こんなことで惑わされるとは、愚かなことだが、恐怖と不幸を何度も何度も吹き込まれ、偏った情報を流し、他の情報を遮断する、オールドメディアの手段によって、国民は簡単に罠に落ちる。
そのような「教育」を意図的に放棄させられたのが、戦後80年レジュームだ。

事の本質はここだ
天と地、男と女、成功と失敗、出会いと別れ(拙著第四巻の「愛別離苦」などのテーマ)など、人生は何事もなく平坦なことはない。苦しみがあれば、次に来る幸せは大きなものになる。
陰陽の易の世界は、世界は一方的な「陽」の世界で構成されることはない、「陽」の中に「陰」が内蔵し、あるいは「陽」の中から「陰」が生み出される。人生にはあらゆる事が起こる。それをあるがままに受け止め、ベストを尽くすということが、易学の基本哲学と考える。「人間万事塞翁が馬」と言う言葉を、消極的に受け身に考えてしまうと、「両極に単純化する」罠に嵌まってしまう。
人間は「天」=「乾」と「地」=「坤」の間で生きて、生かされている。
まあ、仏教的にいえば悟空が、いくら鼻高々になって成功したとしても所詮、お釈迦様の手の中で踊っているだけのこと。ただ、これを他人任せで、自堕落に生きると解釈する方は、何をやっても、上手くいかない。薄ぼんやりと、自己の存在感も掴めず、他人に責任を転嫁して生きるつまらない人生になる。

誤解を恐れずにいうと、生きていくそのプロセスにこそ価値がある。生きるそのことを離れては、人間はどうにもならない。生きていくそのプロセスそのものが目的なのだから、そのことに気づかないのは、何とも残念だ。
それが判れば、何があっても生き続けることだ。どうせそうなら、悠々と生きること。人は、結果が全てだというが、「結果」を求める余り、生きることそのことが目的であり、結果だということを忘れてしまう。ここを間違ってはいけない。
余裕を持てば、短絡な二者択一は、「ヤバいな」と直ぐに気がつくが、それしか目に入らなくなる(あるいはそのように誘導される)と、つい乗せられてしまう。しかし、その時点で間違ったと気づいたら、元に戻ればいい。
いいですか皆さん。
逆に考えてみよう。経営だけでなく、日常生活でも、目的と戦略がなければ問題を立てることが出来ないし、問題意識も出てこない。
人間の基本戦略は生きることだ。それを阻害する問題が生ずれば、その対処の方法を考える事だ。つまり、人生とは問題を解決しつつ、生きていく事だ。お判りだろう。生きていくそのプロセスこそが全てだ。
状況判断のための正しい情報取得に努めるのは、偏に稔りある人生を生きるためである。そのためには、「次善策でもまたよし」という、余裕の心構えが必要となる。

それじゃあ軽いんだよ! 本当の重みは何処へ
プラグマティズムとは、19世紀末のアメリカで生まれた、実用主義的な考え方だ。
固定された真理ではなく、時代や状況(結果)によって正しいことは変わるという、思想だ。
しかし「役に立つもの、結果が良いものこそが真理(正しい)」という考え方が一人歩きし、やがて「使えるか、使えないか」と言う基準からさらに単純化され、結果が全てという、何とも歪な考え方を信じている者がいる。
この矮小な考えが、目先の欲得に目が眩んで「金儲けをした者」が勝者で、それ以外は全て「敗者」という考え方になってしまう。
私に言わせれば、より危険な考え方である。
20世紀後半以降に現れた、ネオ・プラグマティズムも、「絶対的な真理」を探すのをやめ、「今の自分たちにとって役に立つ(使える)信念や言語」を重視する哲学で、上記のプラグマティズムと大きな変化はない。
自己(アイデンティティ)は、固定されたものではなく、自分自身が持つ「信念と欲求の網目」だと考える。
つまり、信念と欲求の網目は、人間が自らの物語を紡ぎ、環境に順応しながら常に自らを再創造し続ける、流動的な存在であることを示唆している。
実に真っ当な思想に見えるが、実際に、それを利用した者達はそこまで理解していないと思うが、どうだろう。
生きるプロセスそのものが、人生の目的だと腑に落ちていない人間にとっては、「信念と欲求」は、ただ物欲の拡がりだけを追いかけることことになってしまう。
ネオ・プラグマティズムをそのように解釈した、短絡者にとっては誠に都合の良い免罪符のような思想となる。
現状は、世界の摩擦、軋轢、紛争はこのような上っ面だけの、プラグマティズムで覆い尽くされている。
そろそろ分かっても良いのではないか。軽いんだよ。
こういう奴らが、銭儲けに走って、自分が崩れるのは勝手だが、大企業のサラリーマン社長がそうすれば、国家的大損失を招く。国民は堪ったもんではない。事の本質を知らない財界のお偉いさん。末節を穢すことは自由だが、我々国民を巻き込まないでほしい。
財界のリーダーに限らず、昭和、平成、令和も含めた、中央・地方の政治家、学界、官僚、メディアのリーダー達は、人間としての一番大事な思想を学べなかった。敗戦後、日本人を飼い殺しにする政策をするために、アメリカはこの本質的な思想を学ばせるわけにはいかない。
世界中が金融資本主義(グローバリスト)と、親和性のあるプラグマティズムの罠にはまってしまった。そして目先の銭儲けのその隙をめがけて、中共が仕掛けた、したたかな罠に、日本人は嵌まってしまった。
アメリカとの関係、中共との関係を、優先順位を見据えながら「損切り」して行く時代になっている。この先、「損切り」の腹を決めて、きっちり生きる覚悟が出来ない人間は、真っ当な生き方が出来ない時代になった。
本質を知らない人間がAIを利用すると

「AIは便利だが、人間の知能を超えられない」という前提が崩れはじめた。
イーロン・マスク氏は、AIの進化を「超音速の津波」と表現している。汎用人工知能(AGI)への到達時期を2026年と予測し、さらに2030年までにはAIの知能が全人類の知性を完全に上回ると指摘する。地球総人口80億人の頭脳より、AGIの知能が上回ると言うものだ。
「超音速の津波」の第一波はすでに到達し、2026年にはあらゆる人間の知的作業をこなせる汎用人工知能(AGI)が実現すると予測する。AGIの到達により、キーボードやマウスを使ってモニター上で行う仕事、すなわち大半のホワイトカラーの仕事が真っ先にAIの代替対象となるし、画像や動画作成など、私のつたない利用法でも、従来のデザイナーの役割を凌駕する。大量の失業者が生まれる。
「便利になる」と言うような暢気な状況を通り越しそうな勢いだ。
かく言う私も、ChatGPT、Gemini、Claude、NotebookLMなど、数日間潰してしっかり比較検証しないといけない。しっかり特徴を学ばないと、これらを上手に使った者に簡単に欺される。
人間に固有な能力だと考えられてきた「自分の論理をつくって応用する」という行為の一部も、AIにとって遂行可能になってきている。
止まれ、これまで「他人の理論を組み合わせて」自分の能力としてきた、安易なプラグマティスト達に取っては、一見するとAGIを利用して、より有利な金儲けができる優れたツールだと思っているが、金儲けのための他人の論理を機械的に当てはめるだけで成功してきたプラグマティスト達にとっては、寧ろ恐怖の時代が到来する。
つまり、これまでビジネスの成功事例をAIにたくさんインプットさせれば、その成功法則がはじき出されるので、個別具体的なビジネスの状況に応じた施策案もAIが自力でつくれるのだ。これは、考えることを怠ってきた人々にとっては脅威だ。
考える事を怠ったとは、則ち「物欲を満たす最適解」を見いだす「他人の理論」をつなぎ合わせ、それがあたかも「自分の能力」だと勘違いしてきたフラグマティスト達に取って、AIはあっという間にその先の解をみんなに提示してしまうからだ。
薄っぺらなカラクリが見えてしまうのだ。
生きるプロセスそのものが、人生の目的だと腑に落ちていない人間は、この先どう生きていいかわからなくなる。そうなりたくなかったら、私の講座でも参加するといい(今はやっていませんが……)。
ともあれ、腹を固めて「損切り」し、新しい視座を構築し、人生の目的を考えてほしい。拙著の歴史時代小説など、じっくりお読みあれ。根本テーマが全て包含されている。
2026.5.12 春吉省吾


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