息つく間もなく

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令和8年4月1日に発刊した「愛別離苦」初音の裏殿・第四巻、自信作です。従来の歴史時代小説からすると、具体的・詳細で、重層的な血脈や人間関係の記載がありますので、「戦後80年レジューム」から抜け出せない多くの日本人にとっては、かなり歯ごたえがあると思いますが、慣れると嵌まります。
我々日本人は敗戦後80年経った今、世界中のキャッシュディスペンサーに甘んじ、腰が引け、チョット脅すと忽ち靡くと、馬鹿にされる民族に成り下がってしまいました。
何としても復権しなければなりません。
そういう時代を長年良しとして、現在まで影響力を行使し(これを利権と言います)続けてきた政治家や財界人の方々には、退席してもらわなければなりませんが、国民が「豆腐脳」から覚醒しないと何も動きません。
その起爆剤になればという思いで、歴史時代小説を、六十過ぎから書き続けてきました。いずれ、私の主張する「シン歴史大河ドラマ」という、歴史時代小説のテーマがしっかり認識される時代が来ます。
新刊発行と共に、(株)ノーク創業42年+ノーク出版創立8年=50年キャンペーンを自社HPで実施し、特別価格で販売しています。キャンペーンは、全ての書籍・電子書籍に適用しています。
まあ、そんな事が面白くないのかどうかわかりませんが、3月末にアマゾンに新刊「愛別離苦」の販売をアップしましたが、「現在在庫切れ」という表記です。なんか意地悪されているようですが、やむを得ません。そんな事ではめげませんので……。

広く告知していませんので、読者が広がらないのは承知の上です。
口コミだけが確実な販促だと思っています。どういう効果があるか測定していませんが、「LINE公式アカウント」(企業PR用のLINE)を作りました。「春吉省吾の世界」というサイトです。「友だち」登録をお願いいたします。クーボンコードの発行もございます。
作成したばかりで、上手く作動するかどうかわかりません。少しずつ改良していきますので、御協力宜しくお願いいたします。
一昨日、トーハンから、「お客から注文があったのですが」という問い合わせがありましたが「現在は、出版流通を通していません」とお断りしました。
先日も私の地元の書店から、図書館から購入依頼が入ったので、とメールが来ましたがそれもお断りしました。
これまで地元の図書館からは、「秋の遠音」発刊以来、数冊ずつ直接購入してもらっていたのですが、市長が変わったのか担当者が変わったのか……。
地元の書店であれば、私の全書籍のコーナーでも作ってもらいたいぐらいです。地元の歴史再発見には貢献したはずなのですがね……。
現在、これだけ地元の歴史を丹念に取材して精力的に執筆活動をし、大きなテーマで物語を創作している作家は、私を措いて他に見当たらないと思っています。
地元を題材にした「空の如く」と「面を打つ女」というタイトルの二作は、しっかりと取材をして準備していました。特に「空の如く」は百ページほど書き進めたのですが、いろいろな理由で止めています。取材に御協力頂いた方々には申し訳ないと思っています。
私自身も、取材と資料集めとプロット(筋書き)に随分と時間を使いましたので、残念です。いずれ気持ちが変わったら、上梓する事もあるでしょう。
また、不義理をしますが、地元のいろいろな組織(○○会と称する集まり)も静かに黙って参加を止めました。不参加の理由も敢えて言う必要もないと思っています。
「初音の裏殿シリーズ」の第五巻のタイトル決定

第五巻のタイトルは「和而不同(わじふどう)」に決めました。
和而不同とは「論語」の子路篇よりの引用です。「和して同ぜず」と訓読します。
「子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(他人と協調はするが、自分の考えを失わないこと)
まさに宇良守金吾に相応しいタイトルです。「賢者は協力はするが同調はしない、愚者は協力はしないが同調する」と読めます。
「初音の裏殿シリーズ」の主人公、宇良守金吾が、最愛の妻秋月を失って、失意の底から這い上がります。縦横な思想に磨きがかかり、外に対して決して本心を見せずに敵を作らず、老獪に物事を実行します。第五巻の「和而不同」で、金吾はその本領に加え、更に凄みを増すでしょう。
同じような意味の四字熟語に「独立不羈(どくりつふき)」(他からの束縛を受けず、自らの意志で独立して行動すること)や「不変応変(ふへんおうへん)」(状況がどれほど混沌としていても、根本の信念は変えずに対応すること)などがありますが、より広い意味をふくむ「和而不同」を第五巻のタイトルにしました。
「ノーク出版」の運営者と、著者春吉省吾の意志は、「狷介孤高(けんかいここう)」(他人と協調せず、自分の意志や信念を堅く守り、孤高の境地にいる)というような按配で、天才宇良守金吾の様にはいきません。それが凡人春吉省吾の意志だから仕方がありません。
「和而不同」初音の裏殿・第五巻は、数日前から執筆に取りかかりました。
8ヶ月ぶりかな

昨年7月以来のジョギング・ウォーキングを試みました。年寄りの冷や水といったところです。
股関節の障害があって、気をつけて居合や弓道の稽古をしていますが、一週間前から、五十肩になって、右手が挙がらなくなり、少し良くなったら、今度は左が痛み出しました。
長時間座りっぱなし、加えて外圧によるイライラと睡眠不足で、血流の悪化から五十肩になったと判断し、8ヶ月ぶりのジョギング・ウォーキングというわけです。
一年前に医者から処方してもらった漢方の「桂皮加朮附湯」も飲み始めました。
冷や汗だけでなく、いい汗をかかないと、頭も働きません。
思い出すのは、20数年前にベストセラーになった「14歳からの哲学」の著者池田晶子さんが、ランナーズハイ(runner’s high)について語ったことを記憶しています。
ランナーズハイとは、長距離走など、継続的な運動によって引き起こされる一時的な多幸感、深い満足感、高揚感、などの感情的状態をさします。β-エンドルフィンが、精神を高揚させ、大脳の働きを高めるといいます。
池田さんは、歴史上の哲学者や宗教家を滅多斬りにして、元気な論陣を張っておられたましたが、このようなランナーズハイの現象もあったのではと想像しています。
ただ、頑張りすぎ走り過ぎたのか47歳で亡くなられました。誠に残念です。
最新医学によると、ランナーズハイ状態になるまでの激しい運動をする必要はなく、1分間100mの速歩で30分程度の運動でも十分効果があり、アンチエイジング効果もあるということです。
美しき花々
「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」(花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく)という言葉があります。
ジョギング・ウォーキングの道すがら、今盛りの花々を撮影してきましたので、御覧ください。





この時期、東京の染井吉野は葉桜になってしまいましたが、まだ八重桜が撓(たわ)わに咲いています。白や桃色、金赤のツツジも見事です。世田谷の公園には、手入れを施したばかりの花壇にはとりどりの花が、初夏の兆しを告げています。
都心の花たちは、人間がきちっと手入れをしてやらないといけません。田園風景や、山里も同じです。しかし、自然エネルギーと言いつつ、廃棄の後処理も考えずに太陽光パネルの推進・設置など、平気で環境破壊する「インチキ・エコロジー」などは、詰まるところ「利権」そのものです。目先の欲得に目が眩み、寄って立つ根本を破戒しているのですから、「何をか言わんや」です。
世界中のブログを眺め、殺伐とした社会の動きから「道筋」を見つけだすことに、ここ何年か汲汲として来ましたが、たとえそれが見えても、現在の世界情勢は収拾不能となっています。
何が正義で何が悪というレベルではなく、それぞれにもう一つの正義が存在し、交わることはありません。
宗教的対立であろうと、武力を背後にした覇権国家の対立であろうと、イデオロギーの対立であろうと、交わることはないのです。唯一、交わることがあれば、双方ともに疲弊し、これらを超絶したある存在(最後の利を総取りする者)によって、今よりももっと窮屈で、地球全体を支配するような「全体主義」に陥ります。その時点で、世界は壊滅的になり、花(自然)も人も一緒に滅亡するような「地球」になります。そんな事態は何としても阻止しなければなりません。
上記の「年々歳々……」という言葉と、一考しただけでは、対極にあるような言葉に「山川草木悉皆成仏」、あるいは「草木国土悉皆成仏」という言葉があります。
山や川、草や木など、命を持たないように見える自然界のあらゆる存在(無情)も、すべて仏性を持ち、成仏できる(尊い仏になる)という仏教(的)思想です。
詳細は、「心身経営学(哲理篇)」の講座で話題にしましたのでここでは述べません。
主人公宇良守金吾の独創性
この二つの言葉につき、独断を恐れずに言うと、「年々歳々…」は、仏教的「空」、「「山川草木悉皆成仏」は、仏教的「慈悲心」であり、空と慈悲とは互いに通底しているのです。
これらの言葉が、我々の心に共感を抱かせるのは、縄文的自然への恐れと信仰心がこの仏的精神を強く結び付け共鳴させたと思っています。それらは、縄文的魂の中に、取り込まれて、日本独特の「仏教」になったと考えます。
我々の精神の基底には、縄文時代に培われた、原初的神道(明治以降の国家的神道とは違います)の「精神」が確かに宿っています。この縄文の精神が、あらゆる思想を受け入れる日本的精神性を生み出しています。あらゆるものを包含するこの精神性は、他の民族には決して無い優れた精神性です。
これは、最近言われるような「共生」とか「環境保護」など表向きは聞こえの良い、狭い言葉ではありません。
利権を貪る手垢まみれの活動家グループや、目先の利に目が眩み、反国家的な行為をする政治家や経営者達とは対極の精神性なのです。
この精神は、交わらない対立をそのままに受け入れる優れた融合性と強いパワーを持っています。
主人公宇良守金吾の独創性は、まさにこれです。更に言えば、悪とか善とかそんな概念を飛び越えた独創性を持った主人公宇良守金吾の持つ精神性なのです。
「初音の裏殿シリーズ」の中で縦横に行動する金吾は、人情の機微を知り、深い愛の実相を知りましたが、最愛の妻を失ってしまいました。絶望の淵から、金吾はどのように立ち直るのか……。
第一巻のタイトルは「怪物生成」でした。その怪物が、更に「怪物」に変身します。それは、朝廷と幕府、勤皇と佐幕、列強と日本、いずれも交わらない対立を対立として受け入れ、そこに強烈な「宇良守パワー」の磁場を作るのです。
その金吾的なパワーの発露が第五巻「和而不同」です。

いずれ真価はわかる

いずれ真価はわかって貰えるが、果たして間に合うか……。この精神の凄さを知らない日本の庶民は、責任を取らない政治家や官僚達にまんまと欺されて、敗戦後80年の今があります。
「初音の裏殿」シリーズを読んで、柔軟でしたたかな「日本人」に覚醒してもらいたいと思います。
宇良守金吾という男、人一倍情に篤く、約束は決して違えない。美しい姿形で、人当たりも良い。女にモテることはいうまでも無いが、真に惚れた女子以外には色目を使わない。金吾に関わった者達は皆、誑(たら)し込まれてしまいます。
しかし、仲間を裏切り、不義理を果たす者は、絶対に許さない。時には命を張って立ち向かう。武術に優れ、気を自在にコントロールできる達人でもあります。
公家以上に有職故実に通じ、和歌・古典を知っています。人使いは荒いが、ひとたびその者の潜在能力を見抜くと、当の本人もわからなかった能力以上の働きをさせてしまう。本筋を忽ち把握する天才でもあります。
義を蔑ろにし、我欲に走る者達には、巧妙な策略で、倍返しで打倒します。敵に回すと厄介な存在です。
そして金吾が現在ある、先祖の恩は決して忘れません。
天才・宇良守金吾が活躍する「初音裏殿」シリーズが面白くないはずが無いのです。
具体的な経済数値が、各所にちりばめられていますが、やや難しいと思ったら、最初は飛ばしてお読みください。それでも日本の道筋と日本人としての覚悟が見えてくるはずです。こんな面白い物語を見逃す手はないと思っています。


2026.4.21 春吉省吾


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