日本の「大掃除」・2024~2025〈寄生者を廃せ〉

ノーク出版からお知らせ

大事になった「大掃除」

 事務所の大掃除を数日前の12月25日から始めた。今日で4日目。数年間ため込んだ資料と、書類、書籍の整理と廃棄。これをしないとどこにどんなものがあるのか、判らなくなっている。
 「春のみなも」「夏の熾火」「風浪の果てに」「秋の遠音」「初音の裏殿」、その間、哲理的随筆なども上梓しし、息つく暇もなく書き進めてここまで来たので、資料の整理をする時間が無かった。
 加えて、歴史時代小説の資料だけでなく、宗教、哲学、経済・金融、経営書、社会学、弓道や居合の伝書や解説書、物理学、量子力学、HPの作成や映像・動画作成のハウツー書まで、雑多な本の山から整理となると大変だ。
 本当は残しておきたい資料、わざわざ訪ねて得たコピーなど、私にとっては貴重だが、既に小説化した数千枚の資料は、再び見る機会も少なく、処分することにした。
 しかしゴミとして廃棄しようとすると妻が、「こんなに沢山のゴミを捨てられては、区のゴミ処理が持って行きません。どうするつもり」と言われれば、「小分けにしてだす」としか言いようがない。
 事ほど左様に、オールド・メディアに抗う売れない物書きの悲哀を味わっている。
 まあ、食い扶持を減らし、何をやってるんだろうこの亭主はと、思うのは当たり前かもしれない。
 書籍のPR告知媒体が無いに等しいから、大量に売れるはずがない。
 オールドメディアに取り上げられないと「趣味の延長で好きなことをやっている」と身内にも思われているのだから、他人から見たら優雅な隠居生活を送っていると見られるのは仕方がない。いや「変人」としか見られていないかもしれない。
 本人は、高邁な目的を持ってやっているつもりだし、今さら金儲けの世界に飛び込むには歳を食い過ぎているし、私自身のMissionを曲げることは断じてない。この先も、世間一般の常識に抗って、前を向いて行くしかない。

「下作業」を怠るなという戒め

 大掃除を実施するにあたり、資料やコピー、PDFからダウンロードした論文などは精査して分類していく。資料として利用できるか否かを、瞬時に判断していくが、落ち着いてやらないと、貴重な資料まで捨ててしまいそうだ。自分の足と手と頭で集めた資料を一瞬の判断ミスで、捨ててしまって後悔しても後の祭り。
 マスメディアに乗っかった売れっ子作家の中には、「あの資料出して」というとスタッフが即座に机上にそろえてくれるらしい。羨ましいとは思うが、そうなるとあっという間に怠惰になり惚ける。日本には70過ぎてキレキレの物書きは希有だ。自賛すると私もその一人だ。広大なスケールと深みのある人生の機微を知った歴史時代小説の執筆はそこからだと言いたい。
 私の経営勉強会の師がよく言っていた。
「下作業を嫌がり、物事を安易に成し遂げようとすると、その成り立ちが見えなくなってしまう」
ここで言う「下作業」とは一般の言葉ではなく、「表に現れない辛い厳しい作業で、本来やるべき手間のかかる下準備のこと」を言う。
 例えば、人任せにせず早朝に河岸に行き、手に取って食材を吟味し、お客を唸らせたが、名前が売れる下作業を人任せにする。生の素材を自分の目で触れて確かめて仕入れたからこそ、お客はその料理に舌鼓を打つのだ。おだてられてテレビなどに出て持てはやされると事の本質を忘れて、安易に走る。

 私の事務所兼書斎には不釣り合いな大きな神棚がある。資料の仕訳を行い、部屋の片付の最後は、神棚の掃除。
既に注連縄と門松は購入し、昨日28日、一年間お世話になったお札を神社へ持ち込み、新しく購入して来た。仮分類の平積みの本が林立する事務所で、このブログを書いている。年内に整理できるだろうかと少し不安になる。
 慣れない姿勢での整理と、それを地下の倉庫兼資料置場とを階段で何度も何度も行き来すると、いつもと違って腰に違和感がある。痛み止めのテープを2枚貼ったが、朝起きると全身が筋肉痛でけだるい。
 階段から滑って、骨折などしたら大変だ。焦らずに作業をすることにする。

胎蔵界と金剛界の両部曼荼羅

 実は、ここまでの大掃除に踏み切ったのは、もう一つ理由がある。
 10年前から私の作業する机を挟んで、両壁に、A3程の大きさの両部曼荼羅「胎蔵界」と「金剛界」の縮小のレプリカを額に入れて、私の座っている場所の真ん中で向き合う様にして壁から飾っていたのだが、3年半前に「金剛界」の額が、本棚の裏に落ちてしまい、今までとれずにいた。
 昨日、本棚から本や書類を取り除き、裏側に落ちた額を手に取り、綺麗に磨き、飾り直した。これで、両曼荼羅を通して、弘法大師空海(以下・空海と記述)の「気」が、私の作業中いつも注がれることになる。
 私は、空海が大好きで、知られている多くの著作を囓っている。まあ囓っているだけだが……。
 私は、日本史上、空海が空前絶後の大天才だと思う。
 空海が空前絶後の天才と断言できるのは、天才にありがちな独善がなく、敵を作らず、時・処・位の絶妙な感知能力を発揮し、それを最大限に有効利用した大天才であるということだ。

則ち「時」とは〈良い機会に、丁度良い頃合いを見計らう〉
「処」〈自分の為すべき役割、行動範囲(時にそれを拡張する)をになって努力する〉
「位」〈自分のおかれている立場を把握し、組織体としての目的(具体的に可視化し、実現化する)を成し遂げる〉
 凡人は、これら「時・処・位」を浅いレベルで試みるのだが、空海は時空間を超えて「宇宙」そのものを見て実践・行動している。だから、世界の大天才なのだ。

空海の目指したもの

 以下は、拙著:「経営の嘘」・空海「空前絶後の大天才」本文181ページから205ページの一部である。(2011年7月15日・発刊・ノーク出版)
 空海の真言密教は、宇宙の根源「法身仏」から直接、秘密の法を学ぶ。この「法身仏」を大日如来と呼ぶ。曼荼羅などの図像で仏の姿を描くが、大日如来の本体に形はない。それは宇宙を成り立たせている原理そのものであり、原理から溢れ出たこの大宇宙そのものと理解されている。
 世界は無限の宝を宿している。しかし我々凡夫はまだその宝を知らない。
 しかし、自分自身の中にその宝はあるのだ、だから汝の宝を探せという。日本の思想に、これほどまで肯定的な思想はないのである。
 空海が目指した理念は「即身成仏」と「済生利民(さいせいりみん)」(「済世利人(さいせいりにん)」ともいう)
 「即身成仏」とは、「智慧の開顕」であり、金剛界曼荼羅の世界の成就にほかならない。
 
同時に密教はあらゆる人を救済の大船に乗せ、生き身のままで成仏に導く「済生利民」を目指す。これは大日如来の「慈悲の営み」である。そして、それこそが胎蔵界曼荼羅の成就なのである。
 空海が大唐国から請求した金胎両部の曼荼羅には、こうした思想の一切が展開されていた。空海はその思想をまさに融通無碍に折り合わせ、体系づけることによって、インドに発し、中国で展開した密教を、真の大成に導いたのである。
 何と肯定的な世界観であろう。空海は、陰々滅々とした仏教を激しく批判した。否定の境地、寂滅だけの境地から一体何が生まれるというのだ。否定の末に、寂滅の果てになお存在するものを、空海の天才は、大日如来の中に見いだした。(中略)
 私(春吉)は思うのである。空海は否定の境地から「一体何が生まれるのか」と言う。この言葉はそう単純ではない。否定の否定は肯定であるからである。おかれている現実をぎりぎり突きつめると、それは全て「絶望」に満ちている。そしてスタートはその絶望の否定から始まる。空海の頭の中にはそもそも陰々滅々とした仏教は含まれていない。そんなものは空海にとって、もともと思考の中にない。我々は空海の「理論的韜晦」を身につけるべきなのである。

空海の俗事こそ、人を扶ける道

「同行二人」は、四国八十八ヵ所の札所を巡るお遍路の菅笠によく書かれている言葉で、札所を巡るお遍路では、弘法大師の功徳を得られるとされているため、一人でお遍路をしても、歩いているのは自分と弘法大師、空海さんの二人であるという意味だ。
 これは前述したように、大日如来の「慈悲の営み」である。
 空海・弘法大師と一緒であれば、絶望の淵から這い上がれるという希望に満ちた仏業だ。それがお遍路だ。
 そう、三十数年前に、妻と一緒に金剛峯寺で請けた「菩薩戒牒(ぼさつかいちょう)」があったなと思いだした。すっかり忘れていたが、名刺入れに入っていた。
「菩薩戒牒」とは、真言密教の聖地である高野山で菩薩十善戒の授戒を受けた証として授かる。その時「弘法大師様とのご縁や、弘法大師様の御教えを授かった証として、お守りとして持っておくこともできます」と言われた事を思い出した。記憶が甦る「大掃除」の悪くない。

 空海は変革期の日本の創造に深くかかわり、生命感にみちた現実肯定の密教論理を我々に残した。
 自己と弥陀は「一如」であり、「生仏一如(しょうぶついちにょ)」「われわれ迷える衆生であるが、仏とも本質においては異なりなく、不二一体である」と我々凡夫を励まし勇気づけてくれるのだ。
 拙著「経営の嘘」の表紙には、「もう駄目だと 絶望の淵に立ったとき『神』に『仏』に開き直って叫べ! 『次はそちらの番だ』と」記載した。
 空海は、博識、教養、文学、哲学、語学、土木工学、理化学、政治学とありとあらゆるジャンルの天才である。俗と聖、真実の智慧も煩悩の闇も、全て呑み込んで、受け止めてくれる。神も仏も全く異質な概念だが、それすらも受け入れてくれるのだ。
 弘法大師廟にたどり着くまで約2キロの参道が続いている。その参道には多数のお墓が道沿いに並んでいる。それらの供養塔は、明智光秀、織田信長、武田信玄、上杉謙信など名だたる武将が並んでいる。時代の流れと共に門戸を広げ、一般人のお墓が同じ地に立っているし、企業墓と呼ばれる銭臭い墓石もあるも。
 政敵相並び、グローバリストの権化の様な大企業の墓まで玉石混淆だ。
 空海の教えの偉大さを彷彿とさせるこの墓碑群は、理屈や理論を超えた世界を持つことで、人達と共生できる希望を持たせてくれる。
 拙著「経営の嘘」で「空海」の項の最後に、私はこう纏めた。だが真の「共生」の意味は深い。そこを知らずして「共生」を語ると「似非(えせ)共生」になる。

政府・官僚は国民を嘗めるな。

「共生」とは、一言で言うと「一緒に生きてゆくこと」である。
 ここを頭に入れておいて以下の記事を読んで貰いたい。
 日本政府は、12月27日、共生社会の実現に向けた対策推進本部を開き、障がい者に対する偏見や差別を解消するための行動計画案を取りまとめました、というブログ記事があった。
 石破総理は「真の共生社会を実現するためには、社会全体における意識改革を行い社会全体が変わらなければならない」と述べたとある。
 色々空虚な修飾語で尾鰭を付けて纏めているが、現在の政府・官僚はそれを言葉にする資格はない。
国民の必要最低限の生存権を徹底して破壊している。真っ先に変わらなければならないのは、石破氏そのもの(あの無教養の下品さを見た限りでは絶対無理だ)であり、自民党、公明党の与党はもとより、立憲民主、維新などの現状維持に安閑としている野党だ。どう見ても、現状の閉塞感を打破し、変革する意志は全く感じられない。

 国民民主党、参政党、それから立憲民主党は嫌いだが、孤軍奮闘されている原口一博さん、頑張って貰いたい。

 また無能な政治家達を操っている、財務省をはじめとした腐敗官僚達の旧態然とした、錆び付いた頭脳は、国家を完全に機能麻痺させ、国民を「国という枠」を取っ払って、放り出すつもりらしい。
 自分たちには甘く、法律の埒外において、国民からは徹底的に搾り取り、ワクチン被害などの様に、極端に矮小化し、あるいは隠蔽する。端から国民を嘗めている。
 それにオールドメディアは加担している。臑に傷ある大手新聞社、全て本社は財務省(当時は大蔵省)からの払い下げ、あるいは等価(になっていない安価な)交換だ。
 日本人を「情報弱者」にし、正しい判断も出来な腐せてしまったのだから、国民は堪ったものではない。
 どうしてこうなったか? 簡単だ。小利口なだけで、物事の本質を自学していない。加えて、「俺は選ばれたエリートだ」という選民意識と、戦後80年、先輩達が守ってきた、鉄壁の既得権益、天下り利権の組織に入ってしまえば打破など出来るものではない。あっという間に島流し人事で、その人間の官僚人生は終わってしまう。
 財務省をはじめとしたこの組織に手を突っ込むと「命が危うい」とはまんざら嘘ではない。命をかけた政治家が二、三人だけでは難しい。前回ブログで書いた様に、残念ながら宗主国アメリカの新指導者トランプ軍団の「トランプ外圧」を切っ掛けにして、政官財、そしてオールドメデイアの腐敗を暴き出すしかない。しかしそれはあくまで切っ掛けだ。

「寄生」の排除には「宿主」が覚醒し、行動することだ

「共生」の反対語は「寄生」と考えがちだがそうではない。寄生も共生の一種だ。
「異種の生物が一緒に生活して、一方が利益を受け、他方が害を受けている生活形態。 害を受ける方の生物を宿主という」
 これはそのまま今の日本に当てはまる。
 同じ日本人であっても、高級官僚・政治家・大企業幹部・オールドメディア幹部やディレクター、コメンテーターなどは「寄生の生物」に等しい。害を受けている、宿主は「我々庶民」である。
この日本の既得権益者達=「異種の生物」を駆逐させるには「宿主」である大多数の日本人が、覚醒するしかない。
 国民から吸い上げた税金を、自分の懐と勘違いして、せっせとため込む。
 そのせっせとため込んだ闇資金、それがも刺殺された民主党の石井紘基議員、そして今も原口一博議員が指摘する特別会計だ。これらの闇や消費税の大企業免除、遺伝子組み換えワクチンなどのビックファーマの闇など、トランプ政権で「公的に晒される」、これが私の言う「トランプ外圧」である。
 更に厄介なのは、上記の人種だけでなく、国税をシレッと吸い取っている団体もある。表向き「営利を目的としない」ことになっているが、それを隠れ蓑にしている組織だ。

 NPO(非営利組織)、CSO(市民社会組織)、社会貢献活動団体、社会教育団体など、実体と事情がかけ離れたいわゆる「活動団体の資金源」となっている組織もあるのだ。
 しっかり見極めないといけない。
 我々がこの制度を変えるには、選挙に行って投票するしかないのだ。
 オールドメディアの代表、テレビのコメンテーターが「選挙に言って投票しても、何も変わらない」と言うが、それは上記組織側を代表した発言だ。
 実は、数%で政治はがらりと変わる。
 私なら、自民、公明、立憲、共産党以外の政党に入れるか、信頼に足る人物に投票する。
 年明け早々に、その理由の論述をアップする。
 特に若者達に言いたい、君たちが、私のブログを読んで投票に行けば、日本は、あっという間に変わるのだ。「選挙に行っても、どうせ何も変わらない」というのは、「寄生者」達の常套手段だ。欺されてはいけない。完全に洗脳されている。覚醒してくれ。

2024.12.29  春吉省吾

管理人
春吉 省吾

令和6年5月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士七段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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