「深慮遠謀」~初音の裏殿・第三巻~の発刊にあたって
本記事は10月中旬に発刊予定の「深謀遠慮」~初音の裏殿・第三巻~の購入者に添付するDMの一部だが、この内容は、未だ覚醒していない日本人に、ぜひ読んで頂きたい内容なので、早めにアップする事にした。
私の読者の多くは、日本人が置かれている状況を把握しているが、その数は残念ながら、少数でその影響力は微力だ。
単に日本の危機を煽るだけでなく、その解決法である戦略と具体的な戦術を「初音の裏殿」シリーズを読み、作者の私以上に創造を働かせ、有効利用して欲しいという作者の願いがある。
この先、金吾はどのように宇良守藩を運営して行くのか、作者の私も含めて「未知のゾーン」に分け入ることになる。その意志は日本人の真の独立を勝ち取ることと、パラレルな関係にある。
しかし日本の、いや日本人の真の独立を勝ち取ることは容易ではない。
金融グローバリストからの独立、宗主国アメリカからの独立、ロシア・中国との協調、戦勝国連合(国連)及び関連団体WHOなど形骸化した組織の再考察などを考え、果敢に変革実行して行くことが必要だ。それらを放置のままにするか変革するかは、我々日本人の思考構造の中にあり、強い意志が求められる。マスメディアの偏向情報に欺されずに、我々はもっともっと深読みし、重層的思考をすることに本気で学ばなければならない。
これらの時局分析は、拙著電子書籍をお読みください。
●「時局解析」第1回〈事の本質を見極め 時を窺う〉
●世界中が「豆腐脳」~狂の世界を壊し、生きる権利を取り戻せ~
●「愚民論」を糾す~「愚民」のままだと命を失う・第1部 (EPUB版)
日本的儒教、それは「儒学」
日本は奈良・平安以前より、中国に文化的に依存しながら、微妙な距離を置いてきた。江戸時代に入ると、鎖国政策によって、国力も増強し、神と仏との文化的な思想土台も醸成され、中国の儒教は、中華思想中心の思想に過ぎないのではないかと思い始める儒者が現れた。
特に、朱子学や陽明学などの後世の解釈によらず、論語などの経典を直接実証的に研究する古学(聖学)が、山鹿素行(やまがそこう)、伊藤仁斎(いとうじんさい)、荻生徂徠(おぎゅうそらい)などによって生み出された。
彼ら江戸の初期の儒学者達によって、日本人のための「儒教(中国臭を取り除いた、日本的な儒学)」が生まれた。
私はその中で、伊藤仁斎が、日本の学問を変えたと評価している。
則ち、「論語」を儒学の人間修養の実践徳行と見定め、それまで二流と扱われていた「孟子」を論語を理解する鍵として位置づけた。
人間の「道」則ち「仁義」を知るためには事実に即した明白端的な説を旨とし、その論ずるところはすべからく卑近であるべしとし、朱子学を批判し、実地に身をもって行う強い意志の醸成こそ本来の学問であるとした。こんな厳しい自己を鍛える学問は中国では生まれなかった。
ここに、中国儒教から離れ、完全に日本的倫理学としての「儒学」が出来上がった。
古学・国学・後期水戸学
只、伊藤仁斎も荻生徂徠も、朱子学に批判的であったが、儒学の枠組みの中での批判であり、「脱中華」にはなっていない。「脱中華」を成し遂げるには、荷田春満(かだのあづまろ)賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)など「国学」の登場を待たねばならなかった。しかし、国学は政治や道徳については直接言及しなかったので、国学そのものから、国の形を政治的に主張することはなかった。その国学のナショナリズムを「国の形」という観念に繋げたのは、後期水戸学であった。藤田幽谷(ふじたゆうこく)、会沢正志斎(あいざわせいしさい)、藤田東湖(ふじたとうこ)などの思想である。これらは国防の思想だが、これが幕末のエネルギーとなって爆発する。
いずれもその源流は、日本的儒学を創成した、伊藤仁斎、荻生徂徠にあると思っている。
しかし日本の儒学はその純粋性と精神性から、時とともに抽象的で観念的な思想になる危険をはらんでいた。幕末「尊皇、攘夷」と観念論に陥った。後期水戸学の悲劇がそれである。独善に陥った思想からは、ただ威勢の良いお題目が生まれるだけであった。仁斎や徂徠の客観的な「我・彼」を見極めた思想からは遠ざかってしまった。
今から二十八年前の著書、小室直樹氏の「中国原論」(徳間書店・1996/4/1)に中国人のしたたかさを表す、こういう文章がある。
「中国人は上辺は儒教だが、実際は権謀術数、冷徹な人間学に長けた法家の思想で国を治め、政治を行ってきた。だから、中国人は政治の名人になった。これに対して日本は、道徳一辺倒という儒教しか採用しなかったから、本当の意味で冷徹な政治学を知りはしない。かくして今の世界で、日本ほど政治音痴の国はないという、大変な弊害を齎(もたら)すことになってしまったのである」
ちなみに「法家」とは、 法による厳格な政治を行い、君主の権力を強化し、富国強兵をはかろうとする政治思想。 申不害(しんふがい)、商鞅(しょうおう)から韓非(かんぴ)によって大成された。
ピュアな精神は必要だが……
嘉永七年(一八五四年)三月三日、幕府はアメリカとの間で、日米和親条約を締結した。幕府の意向は、開国の影響を出来るだけ少なくし、その間に国力を高めて幕藩体制を維持しようとする目論見であった。
その際の「攘夷」は西洋諸国を武力で打ち負かそうとするようなものでなく、意識統一のための「偽旗(にせはた)」であった。
このような幕府の体制を強化維持しようとする公武合体勢力は、幕府にとっては都合の良い戦略だった。しかしそこに立ちはだかったのは官民一体となった「大英帝国」であった。ジャーディン・マセソン商会、イギリス外交官アーネスト・サトウやイギリス公使のハリー・パークスなどのしたたかな戦略があった。幕府の思惑を阻止し、日本覇権の主導権を握るべく、ビジネスチャンスを着々と構築していった。
また、薩摩も萩(長州)も、局地戦ながら列強と戦いその実力を実感し、簡単に「攘夷」を捨てた。萩は、文久三年(一八六三年)六月には、「長州ファイブ」を大英帝国に密出国させているし、薩摩藩も慶応元年(一九六五年)に十九人もの藩士たちをイギリスに密出国させた。
幕臣達の中にも勝海舟のように、イギリスと通じていた者もいた。
尊皇・攘夷と声高に叫びながら、義憤に駆られた多くの幕末の志士たちは出口のない現実の前で死んでいった。拙著「秋の遠音」中巻・〈(13)真木和泉の心〉P252などに代表される、草莽の士たちの憤死や、三百五十三名が斬首された「天狗党」の無残な最期は慟哭を誘う。彼ら純真な攘夷の志士たちは、ずる賢い列強の日本征服戦略など知る由もなかった。
重層思考の必要性
日本的儒教=儒学から始まり、後期水戸学に収斂されたその精神性をもってしては、イギリスのしたたかさは到底把握できなかった。
生き残った明治の元勲達は、途中からイギリスと手を組んだ「確信犯」に変わった。
止まれ、仁斎や徂徠が作りあげた儒学は、今も日本人の生き方の範となっている。しかし、多くの日本人は、仁斎も徂徠の名前すら知らない。あまりに勉強不足だ。辛うじてそのピュアな精神は、今も「日本古来の武道」に生きているが、そんなことでは、騙し合いに長けたアメリカ、中国、ロシア、ヨーロッパ、インド、イスラム諸国と互していける筈がない。更には虚構の構造「国連(戦勝国連合)」、WHOなどの組織を妄信していると、日本人はいいようにされてしまう。
「仁斎の儒学」の精神を保持しながら、韓非やマキャベリの思考も咀嚼しつつ、重層思考法を取り入れないと、日本人は世界の動きを正しく把握出来ず、むざむざ頓死となる。自民・公明政権は端から期待していないが、財務省、外務省、通商産業省、厚生労働省などのエリートと言われる官僚の中には、もっと重層思考の出来る人材が居ると思ったが、完全に腰が引けている。歯がゆくて仕方がない。だから私の思いの丈を「初音の裏殿シリーズ」に注入している。
「初音の裏殿」シリーズ
敗戦後GHQの巧妙な仕掛けに、日本はすっかりやられて、アメリカの奴隷国家に成り下がった。マスメディアは勿論、政治家、財界、官界も全て、腑抜けにされ、過度の贖罪と恐怖を植え込まれた日本社会。戦後八十年、腐敗と劣化は、更に拍車をかけている。これまで、吉田茂をはじめとして、日本の政治指導者達には独立する機会が何度もあったが、それを為す勇気と知力を持たなかった。彼らは、マスメディアを抱き込んで常に日本国民を裏切ってきた。何も知らされず搾取され続けた多くの日本人は、丸裸で放り出されてしまう危機がそこまで迫っている。しかし、ようやくそれに気づいた覚醒者はあまりに少なく、打破は容易ではない。
日本人には、自力で生存権をとり戻すための具体的な知的シナリオが必要な所以である。
その役割を担う歴史時代小説が「初音の裏殿シリーズ」だ。過去を語りながら、実は意志ある未来を指向している。天才宇良守金吾は、彼を取りまく集団に対し、生きる歓びと目的を身をもって示す。
これからも、金吾はその意志をぶれずに実行していくだろう。
「初音の裏殿シリーズ」は、日本の幕末歴史時代小説の中でも突出した「超長編」だが、複雑な「多次元方程式」を、鮮やかに解きほぐす、金吾の思考と行動力に頷きながら、読者の有用な行動指針としていただきたい。
令和六年七月十九日 土用 春吉省吾
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