春吉省吾の思想を次世代へ伝えたい

ノーク出版からお知らせ

notebookLMはこう動画を作った

 6月15日にアップした、「和而不同」初音の裏殿・第五巻執筆中・吉原の真実。「箱庭歴史作家」と一緒にするな!!
という思索的エッセイを、notebookLMに指示を変えて、二種類の「動画」を作らせた。指示の仕方によって、内容が違ってくる。
 AIへ出す指示(プロンプト)を変えると、全体の「テーマ」も変わってしまう。要はAIをどう利用するかというプロンプトの違いによって、元データの思索的随筆が、変わってしまうということを再認識した。
 ここでは2つ作った最初にYouTubeに挙げた「春吉省吾の物語に見る政治経済と吉原」という動画と、その後アップした「春吉省吾の壮大な『初音の裏殿』」の2つの内、後者をベースにして論述する。
 いずれの動画も読み上げなどは、さらに詳細に指示しないと、主人公の「宇良守金吾」などの特殊な読みは苦手のようだ。まあご愛敬だ。
 両者を比較すると元データは同じでも、プロンプトの違いによって、サムアップ(要約)の内容が、趣の違ったものになる。
 つまり、さらに尖った(あるテーマを強調させた)「プロンプト」を出すと、元データはそれに沿ったフィルターの掛かった出力となる。

矜持を失ったオールドメディア

 皆さん、ここまでの記述で何か思う事がないだろうか?
 例えば、政治家の談話、演説などの全てを視聴することは稀だ。国会の委員会審議など、的外れの質問や、自分の言いたいことを滔滔と話すだけで、質疑になっていない。答える方も、事前に質問事項が渡されていて、閣僚や各省庁に通達済みで、都合の悪いことは「どうやったら逃げるか」と思考済みだ。
 日本の大臣・官僚は、いきなり質問されて、明確な返答を出せる者は殆どいない。
 新聞や週刊誌、テレビは「サムアップされた映像や文字」が流され、情報が一人歩きする。
 「これこれの条件の下で、○○を実施したい」というスピーチを「○○を実施する」とだけ切り取って、メディアが流したら「情報弱者」の思考は簡単に、誘導されてしまう。
 日本の場合、新聞社とテレビが系列なので、ここで生の情報にフィルターが掛かると、それはもはや「情報」ではなく、日本中を巻き込む、特定の目的を持ったプロパガンダに堕ちてしまう。
 日本のオールドメディアの情報共有システムとして、「記者クラブ」という組省庁のレポートをそのまま引用(あるいは、故意にリークされた政府官公庁に都合の良い情報)し、役所の「御用聞き」に成り下がってしまった。

 このように特定の政治家、政党、各省庁など、メディアのネットワークを利用して、国民の情報をいわば一元管理・誘導してきたが、長年のもたれ合いで、本来の報道者としての矜持を失い、高慢で腐った澱みが生じて現在に至っている。
 昨今SNSの普及で、様々な情報が流布され、オールドメディアに取っては誠に都合の悪い状況になっている。
SNなどの情報には極左も極右からのとんでもない情報もあるが、専門家が正確で質の高い情報発信をされている方々もあまたいる。
 こういう正鵠を得た情報が発信されると、今までのオールドメディアが主張してきた情報の正当性が根底から崩れてしまう。
 だから、政府も、メディアも徹底して「SNS規制」を目論んでいる。
 しかし、ようやく目覚め始めた日本人もいるがまだまだ少ない。テレビやマス新聞に依存しない日本人が増えない限りは、多くの日本人は「豆腐脳」だ。
 本人はよかれと思い、惰性で、お金を支払ってプロパガンダ新聞を読んで、狭い思考に閉じ込められている。

 ボーッとテレビに座っている無防備な頭の中に、フィルターが掛かった情報が流される。ワイドショーやニュース番組は「政治や経済・金融」を語ってほしくないコメンテーターばかりだ。どこかの国に買収されたディレクターと巨大代理店の言いなりだ。何とかならないのかな……。
 「いやなら見なければ良い」という反論には、「見ません」と答えるが、いい迷惑なのは、それらの半可通な言動を信じて疑わない国民が投票した結果、あるいは投票しなかった結果、とんでもない人物が当選したり、組織票に押し上げられた「活動家」のような輩が当選し、日本がマジで住みづらくなっている。自分で自分の首を絞めているだけならいいが、私の生活まで、これらの「豆腐脳」のおかげで、苦しめられる。
 無知や「豆腐脳」は罪悪なのだ。そろそろ分かっても良いのだが……。

「報道しない自由」という傲慢

 「報道しない自由」とは、本来、国民に広く知らされるべき事実や情報を、報道機関が自らの意図や特定の立場で「あえて報道しない」ことを指す批判的な言葉だ。
 無数にある出来事の中からニュースを取捨選択するのはメディアの権限だが、それはメディアが、大局観に立った調査をし、エビデンスのしっかりとした報道マンとしての自覚があり、あるいはその能力がある場合に限られる。
 しかし、現在のオールドメディアは、その能力がない。個々人にはあると信ずるが、組織として、その能力は既に失われている。
 この選択によって「自分たちに都合の悪い情報」を隠すために恣意的に行われるとしか言えないことが次々と起こってきた。
 NHKをはじめ、国民の知る権利に奉仕すべき報道機関が、逆に事実を伝えないことで情報操作や世論誘導を行っていると言わざるを得ない。
パンデミックやmRNAワクチンなど記憶に新しい。未だに、日本だけが、何周も遅れて被害が増え続けている。
更に、特定の国家、政治思想やスポンサー、系列企業に配慮し、不都合なニュースやスキャンダルを意図的に黙殺しているという疑念もある。
しかし、インターネットの普及により、従来のマスメディアが報じない情報がSNSなどを通して個人間で共有されるようになり、メディアの報道姿勢に対する不信感が表面化するケースが増加している。
実に良い事だ。

 ただ、情報の流出と拡散個人情報の特定や、一度ネットに公開した写真や文章は、削除しても完全に消すことはできない。「デジタルタトゥー」化や、軽い気持ちでの書き込みや批判が、重大な名誉毀損や侮辱にあたり、法的責任(損害賠償や刑事罰)を問われることもある。性被害・誘い出し、闇バイト・詐欺などに利用されることもある。
 それらに対して、個々人がSNSの真偽をしっかりと見極められる能力を、身につけなければならないのは当然のことだ。
 しかし、オールドメディアが、御都合主義で使い分けている「報道しない自由」の方が、国民全体としてはマイナスの影響が何百倍と大きい。
 活字も映像も鵜呑みにしてはいけない。AIでいくらでも加工変容させることができ時代になった。
 真偽を確かめる自覚を、我々一人一人が持たない限りどうにもならない。
 惰性でメディアの情報をそのまま鵜呑みにしている限り、あなたの視野は狭いままだ。

陰謀と陰謀論

 最近よく出てくる言葉に「陰謀論」というフレーズがある。
 一般には、「陰謀論」とは、世の中の出来事がすべて誰かによって仕組まれた陰謀であるかのようにみなす考え方のことである。
 しかし、それは一面的な見解だ。
 「陰謀論」という用語が決して価値中立的なものではなく、強い否定的レッテルだということだ。
 他者の主張を陰謀論だと名指しすることは、その主張が聞くに値しないものだと切り捨てることを意味する。それは対話の否定である。
 先ほどの「報道しない自由」と同じ傲慢で偏狭な考え方だ。
 では少し視点を変えて、「陰謀」について考えてみよう。
 「陰謀」とは、権力を持つ少人数の集団が、自分たちの利益のために、公共の利益に反して秘密裏に行動することをいう
 では「陰謀論」と声高に主張するメディアやSNSのインフルエンサーが、実際に「陰謀」に加担していたらどうなるか。
 加担するとは大袈裟な言いまわしだが、間違った情報を鵜呑みにして国民に大見得を切った手前、引っ込みがつかなくなってしまった、大馬鹿な政治家や、テレビの評論家、コメンテーター、SNSのインフルエンサーがいる。責任を取るのが当たり前だと思うのが真っ当な思考だ。しかし、彼らは誰一人として責任を取っていない。責任を取らないばかりか、逆ギレし、批判した者を「批判」する。

 強大な権力を持つ者が、これらマスメディアや政治家、世界的に影響を与えるグローバル企業をも抱き込んで、自分たちの「意志」を達成しようと謀ったらどうなるか。彼らの意に反する者達を「陰謀論者」として、抹殺しようと謀ったらどうなるか。
小説よりも現実の方が恐ろしいかもしれない……。

次世代を担う若者たちへ

 5歳と3歳の孫がいる。週1で遊びに来るが、じっと観察していると、それぞれに性格も違うし、興味の対象も違うし、好きな食べ物もそれぞれ違う。
 この時期、彼らの興味の対象は限りなく拡がり、脳の発達は驚くほどだ。
 人間の素晴らしい成長の凄さを、楽しみながら「じいちゃん目線」で眺めている。
 私はこの孫達に、お金も権力も、残すものは何もないが、「じいちゃんはこう生きた」と胸を張って、彼らに伝えたい想いがある。

 とはいっても、そんなに突っ張る必要もない。ありのままをみせればいい。
 60歳をすぎたらとそれまで準備し決意してきたことがあった。
 企業コンサルタントとして、幾多の戦略・戦術を駆使したおかげて、裏の裏、人間の業を知ってしまった。
私を信頼していただいた企業は、しっかり儲けたはずだが、身体が悲鳴を上げた。
 企業のMission作りから、企業イベントと連動させ、設営現場の管理で、徹夜も続く強行軍。手術を延期してイベントを完遂させたこともあったが、身体が保たない。限られた時間の中で、イベント成功のために、全神経を働かせる。
 失敗は許されない。イベントは当初の計画で終わることは殆どなく、必ずイレギュラーが発生する。その時、総括責任者としては、瞬時に判断しなければならない。
 今思えば笑い話だが、本来そのイベントの責任者の肩書きを持つ執行サラリーマン役員は、危険を察するといち早く身の保全をし、責任を回避する。問題なく設営が完了したあたりを見計らって顔を出す。その企業の会長に気に入られたのは、そういう状況を承知していて、私が決して責任を回避しなかったからだろう。

 その間、寸暇を惜しんで、数年間、中小中堅企業の経営者・承継者のための「心身経営学」などの経営講座も行った。しかし、実力不足で、深いところは伝わらなかった。(今なら最先端だ)
 60歳をすぎて、(株)ノークと関連する「ノーク出版」を立ち上げ、海外活動をしたときの「永別了香港」という、長編エンターテインメント小説を書き上げ、その後、長編歴史小説四季4部作などの長編「歴史時代小説」の執筆を始めた。
 人間の「業」とは実に、難しく厄介で、それ故に魅力的だ。これを、単一テーマで、短編や中編に纏めてしまうのは、実に勿体ない。ならば、「短編小説」の積み上げが「長編」になり、その積み上げられた製作意志が「超長編小説」に結集すると私は考えている。
 人間の生死、情愛、信義と背反、協調と覇権、そこに渦巻く、人間の剥き出しの感情やエゴが渦巻く人間の営みの社会をじっくりと描き出す。
 人間は霞を食べて生きてはいけない。どの時代でも、政治、経済、金融システムの枠からは逃れられないのだ。その人間ドラマを統合した視座で、展開するのが私の現在執筆している「初音の裏殿シリーズ」であり、これまで全ての作品もそうである。
 これら作品は「シン歴史大河ドラマ」に相応しいと自負している。
 いずれ孫達に、これら物語を手にしてほしいと願いつつ、神の加護を得て、「龍神様」のエネルギーを得て「初音の裏殿シリーズ」を完成させたい。
 そして、構想中の次の作品もその次も、完成させたいと思っている。

 2026.6.21 春吉省吾 

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管理人
春吉 省吾

令和8年5月現在、全日本剣道連盟居合・教士七段、全日本弓連連盟・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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