長編歴史小説を書くということ ~継続と断絶~ VOL.52

●2019.1.17 学習院大学目白キャンパス。間もなく入学試験が始まる。学生は少なかった。早めに着いたので、学生食堂を覗いてみた。カニクリームコロッケ定食450円、ラーメン250円、カツ丼380円、カレーライスM270円。食べる機会は無かったが、安い。
「学習院アーカイブズ」は、右の写真西五号館の地下にあった。
資料閲覧のあと目白の駅周辺を、ぶらっと散策した。老舗の和菓子屋が二軒直ぐ近くに並ぶその一軒、「志むら」という店に入った。全国展開していない和菓子屋さんの、季節の「上生菓子」を食べれば、その店の実力が判る。美味かった。直ぐ近くの「アンテンドウ」というパン屋さんで調理パンも購入した。

●2019.1.10散歩道の寒椿。

●22019.1.15   甲州街道と山手通りが交差する上を高速が通っている。600メートル先が新宿西口だ。

 

早いもので既に2月。春吉は寒さにめげず頑張っています。弓の朝稽古も週2回、日曜日隔週の居合稽古もやっています。それ以外の日は、朝のジョギング・ウォーキングも実施中。公園で、弓も刀も持たずに、シャドートレーニングもしています。武道の勘は2日で鈍ってしまいますので、この稽古は多少役立っているでしょう。
しかし弓道も居合道も20数年以上続けると、知らずに我流に堕ちてしまいます。私としては、常に合理的な筋骨の使い方を極めるべく研究していますが、端から見ると、突然、とんでもないことをやり出して、何と馬鹿なことをやっていると思われるかもしれません。
しかし、技をさらに今一段極めたいと思ったら、様々な事を試みて、より核心的なことを目指すというのは武道にもスポーツにも必要だと思うのです。
ところがやってみると、これが半端じゃなくとてつもなく難しい。大切な部分までおかしくなって今まで積み上げてきたこと全てがボロボロになってしまう危険もあります。それでもそこに拘るのは、「ここを体感できれば、一見複雑に見える事象のもつれをとく最上解が判る」という(Disentanglement)「解きほぐし」能力を手にすることが出来るからです。しかし残念ながら、私には大谷翔平選手や大坂なおみ選手の天分は無く、年齢も新しい事を吸収し、直ぐに血肉にする時期はとうにすぎています。
それも承知でチャレンジしているのは、日常生活において物事を判断するとき、この発想が役に立つと思うからです。けれど現状は、未完の儘に終わる可能性も甚だ大きいです。
それに無理をすると失敗します。13日の日曜日に、居合の稽古を2時間ほどやり、翌日の成人の日に、東京都の第二地連の初射会に参加しましたが、6射の内、4つ矢の射の時に、弓を持つ指が突然攣って、射にならなくなりました。
刀を扱う手の内と、弓のそれが違うので、稽古しすぎて痙攣をおこしたのです。
例えば、前日にボーリングをして、その翌日ゴルフコースに出ると、同じにスイングしても、シャンクをしたりする経験をした方もあるでしょう。そんなものです。疲れが翌日に残らないようにすべきだったと猛省しています。

さて、本業の物書きですが、昨年から「秋の遠音」の最終章に係わる、纏めの資料収集をしています。
学習院大学内にある、学習院アーカイブズ(以前の院資料室)の桑原光太郎様にお願いし、下手渡藩藩主、後三池藩藩主、明治9年初代院長に就任した立花種恭公、下手渡藩の家臣であった吉村春明の学習院在籍資料などを閲覧してきました。明治19年、神田錦町にあった学習院の校舎火災で、殆どの資料を焼失してしまったとのことですが、それでも時系列に頭の整理が出来ました。
事前に華族院の設立経緯などを調べていましたが、思いもかけないところで人と人とが繋がり、歴史の継続性、意外性が発見出来ました。歴史の深部の面白さです。
ただ、歴史の中からある人物が突然消えてしまう、断絶した時間・空間もあります。「秋の遠音」の主人公、吉村春明の波瀾万丈の一生の中で、どう調べても判らない空白の時期があります。明治5年からのおよそ4年間、東京での実業経験の詳細は不明です。学習院に4年5ヶ月勤務後、福島町での5年4ヶ月も不明。その後、春明は岩手県師範学校に3年5ヶ月勤務したあと、福島の飯坂町に隠遁し、2年5ヶ月後にその生を終えます。享年67歳。福島県立図書館などに十数回通って資料収集しても、春明が福島にいたことすらわかりませんでした。
吉村春明の大雑把な消息は、大牟田市の資料から発見しました。福島出身の私としては、地元の郷土史家の研究対象にもなっていないことが残念でなりません。下手渡藩が三池藩に吸収され、吉村春明が大参事になった後、廃藩置県で福島県に編入され、福島県に出仕しますが、5ヶ月で辞職します。春明のその無念は、福島人としてしっかり受け止めてやらないと悲しすぎます。
春明の人生の断絶部分を埋めようと、実子吉村五郎氏の足跡を求めて、会津史談会会長の坂内實会長にご連絡したのは3年前でした。
吉村五郎氏は、「下手渡藩史」を編纂された方で、会津史談会の初期会員でもありました。
明治21年に福島師範学校の第1期卒業生で、杉妻小、飯坂小、本宮小、安積高等女学校校長などを歴任しております。その後、若松第一尋常高等小学校の校長などを歴任していますが、その公式記録は、福島県・福島市の教育関係の資料では把握出来ませんでした。
坂内会長には、吉村五郎氏が昭和14年まで会津若松市内に住んでいたその場所を実地に確かめて頂きました。しかし既にその地は飲食店になっていて、吉村家の消息はそこで途絶えてしまいました。以来、ずっとその空白を埋めようと、機会ある毎に資料を漁っています。
物語はまもなく最終部分にとりかりますが、主人公の吉村春明は、幕末の激動の中で、もがき苦しみます。
十数年前に、私の生まれ故郷の近くにある下手渡藩という珍しい藩名に興味を持ち、調べ始め小説を紡いできましたが、時空間を超えたとてつもない広がりを持つ小説になりそうです。
物語は11代将軍家斉から明治中期までの86年、舞台は奧州下手渡、江戸、筑後三池は勿論、蝦夷地、長崎と、日本全土を蔽います。こんなに大変な小説になるとは思っていませんでした。
断絶した部分は、ほんのわずかな資料をたよりに、物書きの想像力をつなぎ合わせ、纏めると臍を固めました。自身の(Disentanglement)能力を信じて書くしかないからです。しかしそうは言っても、上梓まで苦しく孤独な執筆はあと半年ほど続くでしょう。
その間、このブログをご覧になって、吉村春明の足跡のほんの少し、わずかな情報の欠片でもお持ちと思われた方は、春吉省吾まで御連絡下さい。最後まで吉村春明の空白部分を埋め、歴史小説「秋の遠音」を完成させたいと思っています。
2019.2.4 春吉省吾 ⓒ

追伸
弊社が現在利用している流通業者にはなかなか弊社の要望が通りません。在庫があるにも拘わらず「言挙げぞする」などはアマゾンには正規流通品欠品のままで古書販売業者の品が売られています。むかついています。日本の出版流通業界は旧態依然としてなれ合いで現在に至っているようです。アマゾンに完膚なきまでに言いようにされているのが頷けます。
それと、ネットショップに利用されているカード引き落としは、今やあたりまえになっていますが、実は大きな危険性も存在します。私もその被害を被りかけました。これは次回のブログとします。
ということで、3月から、「ノーク出版ネットショップ・ゆうちょ振り込み専用」を増設し、代金後払い、商品と一緒にゆうちょ振替支払票同封し、一定額以上購入した方には、送料、送金手数料無料とし、クーポン制も導入した、カートを使わない特別ショップを増設します。よろしく。

 

 

管理人
春吉 省吾

令和6年5月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士七段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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