春吉省吾「春」のスナップ1

皆さん御元気ですか
日に日に春らしくなってまいりました。
ようやく風邪も治って、胸の不快感も収まりました。アレルギーで、ここ6年ぐらいは毎朝晩内服薬と添加剤無しの目薬、点鼻薬と手放せません。
花粉の季節ですが、私の場合は一年中「花粉症」なので、いつもより多少症状が酷いというぐらいです。
3月15日、京王電鉄主宰の「歴史探訪」のツアーに同行致しました。(こんな行事に応募するのは滅多にないのですがたまたま応募したら当たっちゃいました)ガイド役の伊東成郎先生と一緒に楽しい時間を過ごせました。氏は「新選組」研究の第一人者で、とにかく面白いお話しを色々とお伺いできました。事務局の福田淳子様も素晴らしい方でした。25年に亘ったこの会も最後と言うことですが、私はこの会の最後で最初の参加者になりました。
色々な幕末の舞台や屋敷跡など、スナップを撮って参りましたので、私の蘊蓄も含めて数回に亘ってご紹介いたします。

●彦根藩上屋敷から桜田門を望む。旧暦3月3日大老井伊直弼がここ紀州藩上屋敷を出てほんの数百メートルの場所で、水戸浪士達に斬殺されました。実際にこの場所から俯瞰すると歴史とは何と偶然の重なりなのかと思う反面、蓋然性もまた否定できません。う~ん生きるということはなんと面白い。
●警視庁は不思議な三角形をしています。ここは上杉藩の上屋敷ですが、実質、直江兼続の屋敷で「鱗屋敷」と呼ばれていました。
●紀州藩の井戸です。江戸の名水。井伊直弼は茶の本も出しているくらいですから、当然この井戸で茶を楽しんだはずです。
●伊逹政宗が1601年に徳川家康から江戸城に近い外桜田に江戸屋敷を与えられ、1661年まで伊達家の上屋敷として使用されていた場所です。日比谷公園内の「心字池」 のちかくです。
現在の永田町・霞ヶ関・日比谷と江戸城の周辺には彦根、長州、会津、上杉、薩摩など多くの上屋敷が存在していました。薩摩のように芝の中屋敷を上屋敷として使用していたというように、屋敷跡の変遷を調べると「政治」のパワーバランスが見えてきます。

桜田門警視庁井伊直弼2伊達政宗伊逹かみやしき

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令和5年1月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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