春吉省吾・昭和天皇御製(「破天荒解」執筆中・その2) VOL.101

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【本文】

  「風まさる み冬は過ぎて まちにまちし 八重桜咲く 春となりけり」
  この昭和天皇の御製は昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効された当日に宮内庁より発表された五首の内の一つである。
  昭和天皇はその後、「平和条約発効式典」にご臨席なされ、その時の御言葉にこうある。
  「平和条約(サンフランシスコ講和条約のこと)は、国民待望のうちに、その効力を発し、ここにわが国が独立国として再び国際社会に加わるを得たことは、まことに喜ばしく、日本国憲法施行五周年(1954年5月3日)の今日、この式典に臨み、一層同慶の念に堪えません。
  さきに、万世のために、太平を開かんと決意し、四国共同宣言を受諾(ポツダム宣言受諾・1945年8月14日)して以来、年をけみすること七歳、米国を始め連合国の好意と国民不屈の努力とによって、ついにこの喜びの日を迎うることを得ました。
  ここに、内外の協力と誠意とに対し、衷心感謝すると共に戦争による無数の犠牲者に対しては、あらためて深甚なる哀悼と同情の意を表します。
  又特にこの際、既往の推移を深く省み、相共に戒慎し、過ちをふたたびせざることを、堅く心に銘すべきであると信じます。
  今や世局は非常の機に臨み、前途もとより多難ではありますが、いたずらに明日を憂うることなく、深く人類の禍福と、これに対する現世代の責務とに思いを致し、同心協力、事に当るならば、ただに時難を克服するのみならず、新憲法の精神を発揮し、新日本建設の使命を達成し得ること、期して待つべきであります。
  すべからく、民主主義の本旨に徹し、国際の信義を守るの覚悟を新たにし、東西の文化を総合して、国本につちかい、殖産通商を振興して、民力を養い、もって邦家の安栄を確保し、世界の協和を招来すべきであると思います。
  この時に当り、身寡薄なれども、過去を顧み、世論に察し、沈思熟慮、あえて自らを励まして、負荷の重きにたえんことを期し、日夜ただおよばざることを、恐れるのみであります。
  こいねがわくば、共に分を尽し、事に勉め、相たずさえて国家再建の志業を大成し、もって永くその慶福を共にせんことを切望して、やみません」
  昭和天皇の御製とその2年後の日本国憲法施行五周年の御言葉の双方を拝見するに、平明な言葉だが、そこには敗戦に至る昭和天皇の壮絶な孤独と、国民の運命と歴史への全責任を一身に受け、決してお逃げにならなかった御意志を改めて思う。
  その御意志があったからこそ、我々日本人は、敗戦から立ち上がろうとする希望溢れる精神の発露をすることが出来たのだ。
  大東亜戦争も終盤、昭和20年の1月25日、近衛文麿の京都別邸「虎山荘」で、岡田啓介、米内光政、仁和寺の門跡岡本慈航の4人が日本降伏後の相談をした。万が一の時、陛下に落飾して頂くのが皇室を守ることだと意見が一致したという。翌日近衛は、高松宮と相談し、「お上を仁和寺にお連れした後、宮に摂政となって頂き、皇太子ご成長まで皇室の行く末をお守り頂きたい」と申し出、高松宮は同意されたという。その後も、近衛は天皇廃位を画策したようだが、木戸幸一に反対され、近衛の影響力も著しく弱まって近衛主導の天皇退位説は消えた。しかし、5月25日以来、空襲によって山の手の多くが灰燼に帰すなか、宮城も焼かれ、皇居の職員や警察官33名が殉職した。皇女、皇子達が栃木などに疎開して、宮城に残ったのは天皇と皇后だけで殆ど防空壕暮らしに近かったという。大本営が計画していた長野県松代の両陛下の疎開は、天皇の決意で実現しなかった。天皇は配給量も一般国民と同じにせよと、一汁二菜、七分搗きに麦を混ぜた御飯で、心痛と激務も重なり、十キロ近くお痩せになったと言う。この時期の天皇について「近衛日記」には、天皇は神経衰弱ぎみで、しばしば興奮すると書かれている。戦争終結の道筋をどのように付けるかと、独り言を言いながら、防空壕の中を歩き回る日々が続いた。高松宮が上奏しようとすると「無責任な皇族の話は聞かぬ」と仰せられたという。戦争の責任は自分しか取れない、周囲は皇統の維持を最優先に考えていたが、自分一身のことや皇室のことは心配しなくてよいとし、戦争を終結させようと粉骨された天皇は、間違いなく我々日本国民の側に立っていた。
  この昭和天皇の御意志が、結果として天皇の立場を守り、マッカーサーを動かし、日本の運命を変えた。
  日本の現在の体たらくに至った経緯は、GHQ政策の実に巧妙な施策に屈した吉田茂を初め、官僚、財界などの敗戦利得者と、CIAなどのエージェントに成り下がった日本のマスコミの変わり身の早さと変節であった。加えてソ連など共産主義に影響を受けた天皇制を形骸化しようとする文化人の実に陰湿な企みは敗戦後直ぐに始まった。
  敗戦後の初代宮内庁長官だった田島道治の「拝謁記」には、昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようとしていたほか、第四次吉田内閣の吉田茂首相に対し、再軍備や憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となっても政治的な意見を伝えようとしたことが記載されている。
  昭和天皇は旧軍閥の復活はあってはならないという前提で、憲法9条を改正して再軍備をするのが本来の「主権国家」を保持し独立した日本には必要だというリアリズムに基づく安全保障論者であられた。方や吉田は、安全保障の確保をアメリカに依存することで軽武装を維持し、経済の復興・発展を最優先させることによって、国際的地位の回復を目指す「吉田ドクトリン」を進めようとした。当然、昭和天皇の意見を無視した。寧ろ、煩わしく思ったことだろう。
  大東亜戦争中、軍部や内閣、ごく限られた側近の情報から、ことの本質を見抜く昭和天皇の大局観は、吉田とは雲泥の差の眼力をお持ちであった。
  憲法九条を含む、憲法問題を曖昧にしたまま再軍備し、経済活動に邁進したツケが、今この現在、アメリカ、中共、ロシアの覇権主義の間(はざま)で日本の立場を危機的状況に陥らせてしまった。残念だが、現況の日本では、なすすべもない。
  上記の昭和天皇の「日本国憲法施行五周年(1954年5月3日)」の御言葉は、象徴天皇としてどう生きたら良いのかと、葛藤の末に導き出された「御言葉」と認識すると、昭和天皇が全ての責任を呑み込んで、日本各地を行幸された「無防備」なお姿の意味が判ってくる。
  さて、馬齢を重ねた私は、あと半年ほどで72歳となる。その42年間を「昭和」という時代に過ごしたが、何とか次世代に負の遺産でなく、プラスの資産を残したいと思った。しかし、私に出来る事は極限られる。だが次世代に従来の視野と違った「幕末歴史」を伝えることは出来る。善悪二元論に陥った史観を、もっと次元の違う視点で伝えようと思い立ち、老骨に鞭打ち、歴史時代小説「初音の裏殿」(第一巻「怪物生成」は2021年8月に発刊) 第二巻「破天荒解」を執筆している。
  幕末期の社会、経済活動は、鎖国日本であっても「世界」と一緒に動いていると云う事実を、天才主人公・宇良守藩六千石嫡男・宇良守金吾の活躍によって明らかにする。
  全六巻の大作で、主人公金吾の出自は女系ながら、昭和天皇の五代前の光格天皇の皇女を母とする血筋という設定になっている。
  その主人公、宇良守金吾は小説上の架空の人物だが、上述したように光格天皇の血筋と云うことになる。光格天皇は閑院宮家の第二代親王である。
  この閑院宮家は新井白石が男系皇統の危機に備えて、幕府に進言して新設した宮家である。白石の予見は直ぐに現実のものとなった。第118代天皇の後桃園天皇が突如崩御され、後嗣がなく、閑院宮家の第二代親王が、後桃園天皇の養子となって光格天皇となられた。(光格天皇は東山天皇の曾孫に当たる)
  主人公、宇良守金吾は、朝廷という閉鎖的な空間の中で、数奇な運命によって誕生したが、皇族公家の係累は、実に入り組んだ魑魅魍魎な世界である。それらを小説の舞台にするには、なかなかの注意力が必要になる。
  例えば、ネタバレにならないような範囲で記述すると、第一巻で記載したように、金吾は三条実万(さねつむ)の女(むすめ)(庶子)の富子と婚姻が整い、富子は宇良守の江戸屋敷に向かう旅中、コレラに罹患し結ばれないまま死去してしまった。その富子の弟が、三条実美という設定である。 三条家と婚姻を届け出た後、富子が亡くなったため、金吾と三条実美とは義兄弟の関係となり、三巻以降、関わりが生まれる。
  また、金吾の母は勧修寺経逸(かじゅうじつねはや)の娘、婧子(ただこ)(仁孝天皇の生母・国母)と光格天皇の間に生まれた多祉宮(たけのみや)(早世)の双子のひとり明子(めいこ)である。勧修寺(かじゅうじ)家は代々数名の国母を出している。
  その経逸の娘の一人に淑子(すえこ)(吉子とも言う)と前権中納言堀川康(やす)親(ちか)との間に生まれたのが岩倉具視である。十四歳で岩倉具慶(ともやす)の嗣(跡継)となった。つまり、宇良守金吾と岩倉具視は従兄弟にあたる。第二巻でそれが判明し、第三巻から金吾と具視との駆け引きが、物語の糸の一本となる。当時、公家の家では子が生まれても朝廷、幕府に届ける決まりがなかった。ところが養子とするには武家伝奏を経て幕府の許可を受ける必要があり、多くはこれを嫌った。だから岩倉家が他家の子を貰う場合は、預けていた子の返還を受けるという形式を採った。
  このように「初音の裏殿」シリーズの超長編時代歴史小説を書くに当たっては、その土台、グランドデザインを緻密に設計しておかないと、先の見えない物語となってしまう。
  敗戦後のグランドデザイン、つまり国民のための「主権国家」を設計するのも、百年先を見通す確かな意志と哲理、そして柔軟な思考が大切だ。
  先の見えない虚空の未来を設計し、進んでいくのは実に困難な作業だ。しかし「日本を二度と立ち上がらせないように」という米国の目途で作られた、他人任せのグランドデザインに我々は敗戦後77年間の今も、唯々諾々と縛られ、挙げ句の果て自らの存在を危うくしている。主権国家の一番大切な国民の「精神の核」作りを放棄して77年。矜持を失った多くの日本人が、目先の欲得と既得権益に汲汲として、ことなかれで日々を重ねる日本は危うい。
  国民的歴史時代小説、山岡荘八氏の「徳川家康」の家康、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の坂本龍馬は、実在の人物で、その生死は執筆時から確定している。ところが架空の人物宇良守金吾が実在した人物達と関わり、実際の歴史の時間と空間を変えることなく物語を作っていく作業は、作者の意志を反映させたグランドデザインの構築そのものだと思っている。それは坂本龍馬の暗殺をなかったことには出来ないが、主人公宇良守金吾の活躍と生殺与奪は、作者の意志そのものなのだ。そこには「こうありたい」という作者の思いが全て詰まっている。
  しかし「初音の裏殿」の物語は全て書きおこしなので、筆者春吉省吾の健康状態や不慮の事故などで未完に終わることもある。書きおこしの長編小説に限らず、哲学の分野においてもそうである。比べるのもおこがましいが、マルクスの「資本論」も未完であり、ハイデガーの「存在と時間」も未完である。(書かなかったという説や「書けなかった」という説もある)まさに大冊の思想や物語を書ききることは人智を超えたことでもある。
  「願わくば我に全巻完遂の機会を与えたまえ」と念じて書き進めている。ともあれ第六巻、大団円の最後の数ページは、作者春吉省吾の頭の中にしかその意志は存在しない。
                     2022.5.2     春吉省吾
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令和5年1月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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