①9月17日に、福島市商店街連合会創立60周年記念講演会が催されます。
PowerPointで、講演原稿を作成しておりましたが、4時間から6時間のボリュームになってしまいました。
地元福島では、当然のことながら「放射能」については微妙な問題が絡んでいて、語らずにそっとしてくれという気持ちを抱く方も多く、「放射能」という言葉そのものに触れてくれるなという意見もあるようです。
この問題について、様々なブログを探ってみると、いやはや極端から極端な情報がまるで雲霞の如く飛び交っています。
結局のところ、福島市の環境(大気中の放射能値、野菜や果物に含まれる放射能値など)の現状は、原発事故発生の3年半前とは明らかに違うのですが、それははたして「安全」であるかどうか、一言で言うと「基準になる物差し」が存在しないのです。
東日本大震災に伴う、福島第一原発事故による健康被害を恐れるあまり、海外メディアの無責任な報道や、売名学者のセンセーショナルな主張を鵜呑みにして事実を誇張し、あるいは捏造を含めて、喧伝する人々も多いようです。その攻撃対象が被災者や被災地に及ぶことが多く、被災者や被災地を差別する言動を起こしかね、復興を阻害する事もあります。と言って、東京電力の対応や政府のこれまでの言動、行動を観るにつけ絶対安全だと信じられないのは当然のことで、原発安全神話を未だ声高に叫んでおられるセンセイ方も然りです。
つまり誰もが疑心暗鬼になったまま、ずるずると時間ばかりが過ぎていくと言うのが現状です。
②何れにしても「福島再興」には「放射能汚染」にどう対処するかということを抜きにしては何も解決しません。
「もううんざり。なるようにしかならない」という投げやりな対応も、過剰な反応もどちらも有効ではありません。
我々はこの問題に対して、冷静に対処すべきですが、素早くその元となる根本を理解しておかないと誤った方向に進み、袋小路に陥ってしまいます。
この問題は人の噂も七十五日と頬被りをする様な問題ではありません。
我々の想像以上に欧米の放射能アレルギーは強烈なものです。
チェルノブイリの原発事故では、地続きのヨーロッパ、特に南ドイツが、放射能汚染の影響を受けました。ヨーロッパの中でもとりわけ核アレルギーの強い国です。
日本在住のドイツ人達は、福島原発の事故の報を聞き、いち早くルフトハンザ機をチャーターして、一斉に日本を離れました。
米ソ冷戦時代から50年の間に、ソ連が715回、フランスが210回、イギリスが45回と核実験を繰り返しています。(一番多いのはアメリカの1032回。中国は45回です。印度、パキスタン、北朝鮮)
陸続きのヨーロッパ諸国で放射能の怖さを小さいときから教育されている人々にとっては当り前のことなのです。
ロンドンオリンピックの開会式で、日本選手団はトラックを半周したところで、脇の出口に誘導されてそのまま出ていったという事になっていますが、これなどは明らかに、原発事故を起こした日本人に対する過剰なアレルギー反応の最たるものです。
「世界はそういうものだ」と理解しておいたほうがいいのです。
我々は欧米人の思考の底にある「ダブルスタンダード」という都合の良い考え方をもっと理解すべきでしょう。
対処の仕方をそこから見直さないと、「FUKUSHIMA」と冠された謂われのない、おぞましい言葉は決して払拭されることはありません。
③食材を中心に、放射能汚染されていない=ゼロベクレルであるとし、「食材はゼロベクトルでなければいけない」という主張があります。
そういったいい加減な宣伝文を掲げる生産者や飲食店も見受けられます。しかし、地球上の食材で、放射能を全く含まない「ゼロベクトル」の食材は存在しません。広島・長崎に原爆が投下されてから現在まで、2100回もの核実験が行われているということだけを考えても明らかです。自然から受ける放射能汚染もあるわけです。
物事は相対的に判断しないといけないのですが、「FUKUSHIMA」だけが「絶対的にゼロでなければならない」というおかしな過剰反応は如何なものでしょう。しかしそれは、我々が相対的に安全であるという「事実」を証明し続けなければならないということです。
現在、福島市が抱えている「放射能汚染」は、20年30年、いやもっと先に、影響が出るかもしれないというものです。30年以上たっても、その因果律がはっきりしないということも起こりえます。じっと待っていたら「空白の20年、30年」どころか「真綿で締め付けられたままの20年、30年」ということになってしまいます。
その時になって、両極でアジテーとした人達が生きていて、「間違いでした」と謝罪するようなことは絶対にありません。過去の歴史が如実に示すところです。
④ところで、福島市は、桃の生産量において、全国二位の生産量を誇ります。一位の山梨県とは大分差のある二位ですが、福島信達地方の大きな収入源です。桑畑から果樹園に転換し、この五十年で品種改良や、天候不良、風水害に命を懸けてきたその努力が、放射能汚染で無残に砕かれたのは誠に無念でありお気の毒です。
しかし、農(園)業や漁業は、その生産量が明確に把握できるため、その補償も比較的受けやすく、「農協」や「漁協」はその強力絶大な圧力団体のため、保証も獲得しやすいのです。
一層苦しい立場に追い込まれているのは、実は地場の観光、商業を生業としている人達です。商工会議所のような組織はあっても、その絆は薄く、それ故、今回の原発の保証も少ないと想像します。
放射能汚染されたという地域で暮らす人々は、中途半端な気持ちを抱きながら、耕作し、物を作り、接客し、商いをすることになります。そして、原発事故から三年半がたった今、「風評被害」というその意味も変質しています。
⑤「風評被害」という言葉の定義も曖昧です。客観的に「これは風評被害」「これは風評被害じゃない」というような判断を下すのが非常に難しいのです。
「安全だ」と思っている人からすれば風評被害でも、他者は「危険」と思っているので風評被害ではないと感じるわけです。
具体的な数値を精査できる情報開示の環境作りを後回しにしてしまったことで、我々は大きな遠回りを強いられたことになりました。
「よらしむべし、知らしむべからず」という官僚主義がもたらした典型的な例だと思っています。
さて、この先どうすれば良いかという核心についてですが、詳細なことはここでは、申し上げられないことも多々あります。しかし、ざっくりといってしまえば、目先の欲を少しだけ「大欲」に廻し、「この指止まれ」という大きな方向性に賛成してくれる人達が、経営的発想に立ちその土地の「地力」を掘り起こすために「智力」を傾けることであると定義します。
限られた時間で十分な説明は、殆ど出来ないと思いますが、私の使命として、例えそうであってもこれだけは言いたいと思っております。
2014.9.16 佐藤祥一
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