新刊「秋の遠音」はノーク出版ネットショップから購読を!

「秋の遠音」をはじめ、春吉省吾の書籍はノーク出版ネットショップからお求めください。四季四部作・歴史時代小説シリーズ完成を記念して、お得なキャンペーンを実施しております。 
さて、新型コロナウイルスのワクチンの開発が急務となっていますが、「コロナ禍」によって日本人の「心のワクチン」の不在が顕著になりました。
そのワクチンは、ずばり、春吉省吾の四季四部作・歴史時代小説+「風浪の果てに」をお読みになることです。
冷静な時代認識の長編歴史時代小説の威力で、短編では決してなしえない効能が得られます。また高度成長下の長編時代小説とは、その視座が大きく違っていることに驚かれるはずです。
特に、新刊の「秋の遠音」をぜひ読んで欲しい。主人公吉村春明は、慈悲心と凜とした精神力を持ち、様々な難局に立ち向かいました。読み進めると、外連のない「意思決定」とは何かが判ってくるはずです。歪んだ日本の中で、あなた自身の将来を守るため、春吉省吾の物語は、あなたの「心のワクチン」になるはずです。
現在、四季四部作・第一作の「冬の櫻」の電子ブック化のため、誤字や言い回し、解釈違いを含めてチェックし、全面改訂しています。香港返還の十年前から天安門事件までを活写した「永別了香港」も全面改訂中です。(現在の香港人達の苦悩も、香港返還から始まっている)順次、その他の作品も電子化していきます。 春吉省吾

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                               令和2年5月25日  春吉省吾

「29円モヤシ」、我々の覚悟と本冊子の価値。 VOL.58

「29円モヤシの目線で 日本の危機と 生死観を考え直す。」(以降「29円モヤシ」と記述)というタイトルの単行本を7月の末に上梓いたしました。過去の歴史事象から近未来のことについて、世界の中の日本、そして日本という国家で生きている日本人が、何れこうなるという「予測」を記載しています。纏めとして、一人ひとりの覚悟についても記載しました。
本編では多少控えた書き方をしたのですが、今、「29円モヤシ」に記載した事が、次々に「現実」になっています。「当たり前のことを当たり前に考えるとこうなる」というものです。
おそらく、記載した予測は、ほとんど的中すると思います。
近未来は、こうなって欲しくないと望むばかりですが、このままでは決して楽観出来ません。 残念ながら有史以来人間社会は、欲望と覇権で組みあがっています。だから今後もそう簡単に人間の性癖をコントロール出来そうもありません。
「じゃあ、偉そうなことを言う、お前はどうなのだ」という反論に、私個人として、どのような覚悟をもって実践しているかということも「29円モヤシ」の中で記載しました。
勿論、ちっぽけな独りの人間が、思うところを発信しても「蟷螂の斧」「ごまめの歯軋り」で、世界を、日本を変えられるとはつゆ思っていません。しかし、その矜持がなければ「日本人」としてはやはり無責任です。

このところ世界中至る所でヒステリックな行動がやたらと目につきます。世間に対して発言するには、いろいろと検証し反証もあわせて調べ、それでも「こう思う」という事を、責任を持って述べなければなりませんが、どうやらそんな覚悟は全くないようです。
それらの問題は決して「白か黒」かという単純なことで割り切れるものではないのです。
偏った発言をする国家の指導者、政党党首、様々な活動家(人権活動家、市民活動家とか、環境活動家とかの範疇も含みます)のアジテートに対して、しっかりと自分の意見を持っていないと流されてしまいます。しかしそれは、随分と難しいことだと思います。それを取り上げるマスコミは、煽るだけ煽って、抽象論や「そうあるべき論」を述べるだけで決して責任を取らないからです。

「何処の店の何は美味い」とか「インスタ映え」などは愛嬌の範疇ですが、もう少し自分の頭で考えなさいと言いたい。まだ若いのに頭の硬い教条主義者にも困ったものです。それに高齢化が進むと、「頭は空っぽで、やたら元気で切れやすく、平和ぼけで、我欲の塊」のような老人が益々増えます。現に増えています。私自身は決してそうならないように、常に自戒しています。
私事ですが、この半年間、物事の本質は何かと、あらゆるジャンルに興味を持ってストイックな生活を送ってきました。
一日24時間のうち、自宅を離れたり、研修会や病院の定期検診日などで一日潰れてしまうほかは、毎日12時間~13時間、机に坐って、考える時間と読書、執筆に費やしました。睡魔が襲ったときは、その場で30分ほど仮眠します。
弓道と居合の稽古をする以外は、この猛暑の中もウォーキング・ジョギングを続け、筋力低下、体重増加防止をし、惚けないようにしています。こう書くと、とてつもない強靱な肉体を持っているように思われますが、開始の15分ぐらいは、左股関節、捻挫で痛めた左足が痛んでようやく歩けるような状態です。それに耐えて続けると全身が活性化してきます。睡眠時間、入浴時間のほかに、食事の買い出し・食事作り、事務所の掃除など雑用全てをこなし、テレビは、三局同時録画し、必要なものだけに絞って見ます。
これまで地域のボランティア活動(例えば「○○初心者教室」などの指導者として)は、できうる限り時間を調整してやりくりしてきましたが、時間には限りがあります。残された時間を考えると、この先は不義理をせざるを得なくなると思います。
遅くに始めた物書き業は、書きたいことが山ほど残されていますし、そちらを最優先する選択をしないと、作品が仕上がらなくなってしまいます。
現在、長編時代小説四季四部作の最後の「秋の遠音」の最終部分に取りかかっています。
ここまで大変な時間と労力を費やしました。壮大なスケールの物語になると思います。二千枚を超すので、上・中・下の3巻になります。構想し、資料を集め、取材し、新資料が出ればまた書き直しと、なんと10年の月日が流れてしまいました。
地元でも殆ど知られていなかった、下手渡藩の設立の経緯から、その後の、主人公吉村春明の死まで、およそ1世紀の激動の物語です。(文化3年〈1806年〉からの1世紀)
今の日本で、このような書き下ろしの超長編を書いている人間は、おそらく私一人でしょう。 新聞連載の細切れ長編小説ではないので、万が一、私が事故で書けなくなればこの作品は、世間の誰の目にも触れずに埋もれてしまいます。まあ、大げさに言うと「命を削って」書いています。今年中には脱稿いたします。

この半年間、「秋の遠音」「初音の裏殿」の執筆はもとより、AIの事、武道の事、そして中国、朝鮮、香港の情勢など、表層だけでなく、なぜそうなるのかという、人間が営々と積み上げてきた歴史から思想、宗教、地勢などの資料や書籍を読みあさりました。
何れ纏まれば、私見を述べますが、従来の「社会科学」、すなわち、社会現象を研究の対象とする、歴史学、政治学、考古学、宗教学など、日本のプロフエッショナルな方々の「想像力」は大きく欠如し、「学問の殻」に閉じこもったままです。学閥・学域に固執して、統合的に見られなくなっているようです。
かつて作家の松本清張氏が多くの資料を漁り、歴史の謎に迫ったように、例えば中国や朝鮮半島の問題などを、冷静に論ずる専門外の方々が一人でも多く出てきてほしいものです。歴史の時間軸の長短を見据えて、事象を相対的に見ることが出来れば、「歴史」は我々人類にとって、大きなプラスの教材になります。しかし、歴史の期間を限定的に、狭量にしか見られなくなると、そこから学ぶことは少なく、かえって怨念の温床となり、政治の具として利用され、正しい認識は封鎖されてしまいます。
人間の歴史には、一方的な正邪はなく、人間の活動の中で、様々な思惑が入り乱れてその結果作られたものです。その事実を消し去ることは出来ないし、決して忘れてはいけませんが、一部の売名者や狂信的イデオロギー論者、原理主義者が、軽率に事実を誇張し、曲解させると、世界はあらゆる人間を巻き込んで混沌に陥ります。

それにつけても残念なのは、隣国に「反日」を国是とした国々が存在する事です。幼少時から徹底して反日教育されてきた国民と、方や中国や朝鮮半島の「正しい歴史」を全く知らない日本人。一方的に言い負かされ、ただただ相手の主張にうなだれているばかりです。これは、敗戦後の卑屈な日本の教育に大きな問題がありました。しかし、今こそ物事を虚心に深く考えなければならない時期です。
日中関係は「政経分離」から「戦略的互恵関係」にようやくレベルアップしてきましたが、これは中国習近平のしたたかな戦略です。それを承知でお付き合いすればよろしい。
一方韓国は、国民経済が厳しくなると、反日の掛け声とともに剥き出しの感情論が作り出されます。「日本には二度と負けない」などという文在寅の発言には唖然としますが、彼も含めてこれが反日教育の悪しき結果です。しかし歴史的にも長らく中国の冊封体制と戦後の反日教育を受けていますので、なにが「悪しきことか」それすら分からなくなっています。中国の習近平と比較して大人と子供の開きがあります。

「桐一葉落ちて天下の秋を知る」とは、片桐且元の言葉と言われています。片桐は、豊臣家の直参家臣で、関ヶ原の戦い以降も、傅役として豊臣秀頼に仕えていましたが、徳川家康に協力的な立場で、方広寺鐘銘事件で大坂城を退出して徳川方に転じた武将です。言葉の意味はご存じの通り、桐の葉は、他の葉よりも落ち葉が早く散り、秋の訪れをいち早く知ることができることから、豊臣の滅亡を予見したといいます。しかし大局を知った片桐でも、「徳川」の罠に落ちます。
人間の浅知恵では、先の予測は難しいと思うこの頃です。
「29円モヤシ」でも話題にしましたが(23ページ)、世界の債務負債はGDPに対して2倍以上に膨らみ、更に負債が広がっています。もはや金融・財政政策が有効に働きません。
そのような八方塞がりの中、近年、MMT理論(現代貨幣理論)が注目を集めています。自国通貨を自国の中央銀行が発行できるのであれば、いくら政府赤字が膨らんでも、新たな通貨を発行してもいいと考える理論です。まさに日本はそれに近いことをやっています。
只、その均衡が突然破綻する恐れは常につきまとうのです。

リーマンシヨックから10年かかって、世界経済に広がる危機をなんとか回復できたのはG20のように先進国・新興国と、わけ隔てない協力体制があったからです。しかし、米中貿易摩擦に両国の妥協・協調はなく、激しい覇権争いで、消耗戦となっています。
トランプ一人のために、世界はメチャメチャになり、中国政府は世界の「負債」をどんどん増やし、「我が国がバブルになったら、世界も一蓮托生だ」とばかり、あらゆる手段を用いて、強権を緩める事はありません。アフリカは今や中国の属国のような有様です。
中国共産党のぶれない方針は、30年前の天安門事件、ウイグル族弾圧、そして現在の「香港」をみればよくわかるでしよう。今から34年前、香港で2年間ほど仕事をしたことがあります。 現在の香港人たちの出口のない苦しみは、私にとっても人ごとではありません。
しかし中国共産党は「台湾」と「香港」の主権は我にと主張し、どんなことがあってもその主張を通すはずです。その中国に対抗する背後にはアメリカがあり、翻弄される日本があります。
朝鮮半島と日本、日本と中国本土と台湾、そしてアメリカと日本、ちょっとでも均衡が破れると、武力抗争も起こるのです。大量の移民が日本に押し寄せてくるでしょう。そのとき日本はどうするのか、我々一人ひとりが考えなければならないのですが、残念ながら「考えるに足る物差し」がないのです。フィルターのかかった歴史認識を糾さないと、何処までもかみ合いません。
今後、これらの国々と関わっている日本の金融機関、超大手の投資会社などの急激な業績悪化も起こりえます。今そこにある世界経済危機が、日本発、この地域から起こらないことを祈ります。
あわせて、イギリス発EUの経済危機も、何とか理性で回避してほしいものです。
香港の問題もその遠因は、イギリスの逃げにありました。どだい「一国二制度」など一時しのぎに過ぎません。所詮、人間の浅知恵など脆いものです。
我々が想像する以上に、世界経済と個々人の家計とは直に繋がっています。世界経済の混乱は、我々の年金、雇用、日々食する多くの食料品の供給に緊密に影響します。我々はそんな激動の時代に生きています。私の「29円モヤシ」をお読みください。
2019年10月10日  春吉省吾ⓒ

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2019.6.1 都民大会弓道男子団体戦。渋谷区の大将として参加するも、絶不調。ベスト8に残れず、みんなに迷惑をかけてしまいました。「ごめんなさい」引退も考えました。

2019.8.7 福島の奥土湯温泉「小滝館」。右は斉藤文雄君。小学校・中学校の同級生。彼の奥様の実家が「小滝館」。滞在(浴)時間1時間でしたが、とても良い泉質で、貸し切り露天風呂からの眺めは絶景でした。

2019.9.14 東京都城西地区「居合道審判講習会」
の本部席。左が佐藤、睡眠不足と、当日のいろいろで疲れた顔をしています。中央は町田六段、右は司会の生島四段。

2019.9.28 東京駅からまっすぐの道の先にある皇居のお濠に架かる「和田倉橋」。江戸時代の「木橋」の姿が残るのは、「和田倉橋」と「平川橋」のみです。近くで行われた同窓会会場への道すがら。

3ヶ月毎の定期検診。今回も無事、来年の2月で手術から2年。ホッとして、病院近くのデッキから空を見上げる。

随筆「言挙げぞする」、2月中に脱稿します VOL.35

●ご近所の庭に5・6日前から咲き出した紅梅。寒さや雪にもめげずに、健気で美しい。2.6

 

 

 

 

●ご近所の庭に、紅梅と白梅が同時に咲いている。道路から眺めるのに最適の場所にあることに感謝。心に春がやって来た。 2.6

 

 

 

●角筈にある西新宿小学校。校庭の日影のところには未だ雪が残っていた。2.6


 

 

 

 

●新宿十二社・熊野神社。ここは今年初めての参拝。新宿中央公園の直ぐ隣りにある。都心とは思えない静寂さである。

 

 

 

 

●熊野神社。大田南畝の水鉢がある。名が刻まれた石の水鉢があるだけだが……。大田南畝は、御存じ太田蜀山人である。幕府の下級武士であったが「狂歌」の名人。IQがずば抜けて高かったという。例えば「世の中は酒と女が敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたい」。いいね!!

 

 

 

 

●熊野神社の梅の木は、未だ蕾も膨らんでいない。梅の開花は3月の初旬ごろだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

2月も第2週に入りました。
今週も寒さが厳しいようです。未だ春の兆しも見えない2月朔日、近所の庭先に白梅と紅梅が早々と咲き、散歩の足を止め、楽しませていただいています。
11月の末から、体調管理のために「禁酒」をしておりまして、正月三箇日に屠蘇を数杯飲んだだけで、今日までその禁は破っておりません。おかげでお歳暮で頂いた清酒はそっくり手つかずで、花見の時期まで持ち越しです。
このところ、一日6千歩から8千歩歩くようにしています。昨日はちょっと張り切って新宿十二社熊野神社まで参拝に行ってきました。新宿中央公園の直ぐ脇にあります。自宅から往復で9千歩です。9年前までは、道路を挟んで向かい側に十二社温泉というチョコレート色の天然温泉がありました。廃業してしまったので、都庁に近いところに温泉があったことを知らない方も多くなりました。
数年前から、音楽を聴きながら、ジョギング・ウォーキングをしていましたが、このところの散歩は、頭は空っぽにしてただ歩くことだけに専念しています。何も考えずに、景色を見てもそこに景色があるという感覚でながめるだけ。雑念は敢えて振り払わず、ただ歩く。慣れてくると、何も考えなくなります。これが、頭を休めて、ひらめきを誘発する(?)というわけです。
よく射(弓術)は「立禅」などといわれますが、さしずめこれは「歩禅」だな、と勝手に造語して一人悦に入っています。

「言挙げぞする」という、哲理的随筆集が、今月中にようやく脱稿出来そうです。その後、校正し、印刷製本という予定だと、4月ぐらいの上梓でしょうか。
一昨年の3月にお亡くなりになった「同根会」の長谷川代表、その会で知己を得た伊藤くみ子先生の御仏前にようやく供することが出来そうです。同会に参加されていた会員の方々だけでなく、日本中の多くの方々に読んで頂ければいいなと思っています。
内容は、かなり硬派で、ヤワな読み捨ての随筆集とは違います。
1万6千年前の縄文の精神から、現在進行形のコンピュータのAI(人工知能)、デープラーニング(深層学習)などを時間軸に、武術論やエントロピー論、私のこれまでの経験や独学してきた儒教、道教、仏教、旧約聖書の世界も含めて、従来日本人が、誤って信じてきた、あるいはいい加減にスルーしてきたことを明らかにしています。飛鳥時代の天武・持統天皇の深慮、儒教や道教が神道とどう関わったのかなど、日本の基層にある精神性を精査します。それをしないと不安ばかりが増し、私達を取り巻く、近未来の激変する環境に柔軟に対応できないはずなのです。
私達は、どう生きて死んでいくのか、「正しい物差し」がなければ覚悟が定まりません。
しかし、従来の情緒的で一人合点の薄っぺらな思想では、あまりに無知・無防備だということに思い当たりました。
様々な「生死観」を知り、正面から向き合うことで、人生の密度が変わります。限りある生を充実して生きるためには「死」の学びが必要です。高齢化社会に向けてただ延命を求めても、「人生生ききった」とはいえないと思うのです。
私が生きてきたささやかな体験から、大宇宙の成り立ちに至る宗教・思想までを「言挙げぞする」の18の文章に詰め込みました。残すはあと1章です。読み返した文献も膨大になりました。                                2018.2.7 春吉省吾

 

 

 

日本「相撲(角力)」考  VOL.34

 


 

 

 

 

 

●12月30日・代々木八幡へ。一足早く「お札」を購入。茅の輪と謹賀新年が一緒に設置されている。


 

 

 

 

 

●平成30年元旦・午後5時20分。正面は新宿のビル群。甲州街道と首都高速。


 

 

 

 

●平成30年元旦・午後5時30分、新国立劇場エントランス。守衛さん以外は誰も居ない。


 

 

 

 

●平成30年元旦・午後5時40分、京王線初台駅東口、改札には誰も居ない。非常に珍しい。

 

明けましておめでとうございます。皆様には良いお年をお迎えのこととお慶び申しあげます。
今年最初は、見過ごされている、あるいは国民の大多数が誤解している、相撲(角力)の「歴史」を踏まえて、私見を述べてみたい。
●最初に「国技」とは、その国固有の文化や伝統に根ざしたスポーツ競技・武術を指すが、厳密な定義は存在しない。例えば、韓国のテコンドー、カナダのアイスホッケーなどは国家機関から法令等で正式に「国技(national sport)」 として認められているが相撲はそうではない。
「日本の相撲(角力)」のはじまりは養老4年(720年)に成立した日本初の正史「日本書紀」にあるとされる。
「第11代垂仁天皇( 紀元前1世紀半ば、98年と7ヶ月在位したと伝承されている)は、伊勢神宮の建立や大規模な灌漑事業を行い、相撲の起源もこの天皇の治世に行われたと伝わる。
「日本書紀」にはこのようにある。
天皇は「当麻蹶速は天下の力持ちだという。これに勝つ者はあるだろうか」といわれた。一人の臣が進み出て
「出雲国に野見宿禰という勇士がいると聞いています。この人を蹶速に取組ませてみたらと思います」
二人は向かい合って立った。互いに足を挙げて蹴り合った。野見宿禰は当麻蹶速のあばら骨をふみくだいた。また彼の腰を踏みくじいて殺した。そこで当麻蹶速の土地を没収して、すべて野見宿禰に与えられた。
何とも残虐で、荒々しい。これが相撲の起源とされるものだが、そこには美しさや、品格などさらさらない、荒ぶる野蛮な命を賭けた格闘技なのだ。これを相撲のルーツというのなら、我々日本人はまずそこをきちっと把握すべきなのだ。ここを知らずして、なにが「国技」だ、なにが「相撲の品格」だといいたい。
延暦11年(792年)、桓武天皇は律令制の徴兵制が機能不全となっていたのを改め、健児の制を導入する。相撲は朝廷の最強の戦士を養成するための「相撲」となった。天長10年(833年)の詔勅には「相撲の節はただに娯遊にあらず、武力を鍛錬するその中にあり」とある。貞観11年(866年)には節会の管理が式部省から兵部省に移管された。七夕の行事に付属した神事の余興の一つに従事していた相撲力士達は、天皇の衛兵となった。礼節や品格などは兵士として要求されることになる。しかし「相撲美」がことさら叫ばれるようになったのは、ずっと新しく、日本が「国家神道」に突き進んだ、昭和初期からのことである。

●日本の相撲のルーツは、広くアジアに求められる。実は2千5百年もの歴史を持つモンゴル相撲(ブフ)は、日本の相撲のルーツといわれている。
草原の大地で行われるモンゴル相撲には、かつての日本と同じく土俵がない。モンゴル相撲では膝や肘や頭や背中などが大地に触れると勝敗が決まる。いわゆる土がつく(大地の神に祝福される)と負けになる。600種類といわれる多彩な投げ技が編み出され、なかなか決着がつかず3時間以上になる事もあるという。
多くのモンゴルの無垢な若者達が、人生の全てを掛け、力士を目指して日本にやって来た。日本の親方制度という名の下に、閉鎖された環境の中で、様々な差別と戦い、理不尽な境遇から這い上がろうと努力する。階級が全ての世界だ。勝ち上がらなければ、モンゴルに戻るしかない。彼らにとっては、勝つか負けるかしかない。勝てば、モンゴルとは比較にならないほど、名声と金銭が約束される。彼らのDNAは、勝負のスイッチが入った瞬間に作動する。世間と隔絶された日本の相撲のルールに何とか従おうとしても、モンゴル相撲の本能がでてしまう。

●日本の相撲に、土俵が出来たのは天正年間から慶長年間にかけてであり、江戸の初期である。それまではただ人垣の中で相撲をとっていた。モンゴルとそう変わりはない。土俵ができて初めて相撲は競技になった。
足を大きく振り上げて四股を踏み、大地の神々を請来して力士の体に栄光の加護を呼び込む。その土俵には特筆すべき「徳俵」の精神がある。土俵の瀬戸際と寛容な空間「徳俵」を生み出した日本的な感性は見事である。裸の大男達が、土俵上で何の武器も持たずに戦う姿に、日本人の多くが虜になった。
江戸時代、大藩の大名はそれぞれに力士を抱え、「上様の覚えめでたき」を得るため、将軍上覧相撲は本場所以上の真剣勝負の場となった。
各力士は主君からその旨を厳しく申し付けられ、負ければ抱えを解かれることさえあった。江戸後期以降、上覧相撲によって幕府は娯楽を制限された庶民の不満をかわしつつ、相撲興行の地位を与え、政治に利用した。
時代は下がって、大相撲の仕切り時間に時間制限ができたのは、ラジオ中継が発端で、それまでは時間制限などなかった。制限なしでは番組編成ができないので幕内10分と決められたのだ。現在は昭和28年(1953年)に始まったテレビ中継に合わせて幕内4分にまで縮められている。このように、大相撲の歴史は天皇家や将軍家の思惑に流され、さらにラジオやテレビというマスコミの思惑にも流されてきた。

●相撲節会(すまひのせちえ)とは、奈良・平安時代にかけて行われた宮中の年中行事で射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれた。この儀式の中で、弓取式の起源だといわれる作法も行われた。勝力士にほうびとして弓を与えることは織田信長のときから始まった。
これらをも含めて、相撲を国技や神事と見なす風潮が一部に存在するが、日本に「国技」はない。
ではなぜ、相撲=「国技」と、皆が誤解するに至ったか、 笑ってしまうような現実がある。
明治42年(1909年)に両国に初めて相撲常設館が完成した際、それが「国技館」と命名されたことが始まりだ。名称は直前まで決まらず、命名委員長であった板垣退助は「両国尚武館」という名前を提案した。この名称が決まりかけていたのだが、相撲好きの作家・江美水陰の起草した披露文に「相撲は日本の国技なり」という案にのった尾車(元大関大戸平)が、「国技館」という名称を提案した。相撲が国技だとされる「間違い」はここに始まった。
決定後も、板垣退助は、東京朝日新聞に
「『国技館』などという名前を付けたことは自分の不行き届きであった。後の祭りであるが、『武育館』でもよかった」と述べ、納得いかなかったようである。
戦後、柔道や剣道、弓道など、日本武徳会の武道がGHQに禁止されるなかで、大相撲は存続し、日本経済の成長と共に、昭和30年代前半の栃若時代、昭和30年代後半からの柏鵬時代、昭和40年代後半から始まった輪湖時代、昭和50年代後半からの千代の富士時代、平成に入ってからの若貴ブームを経て、現在はモンゴル出身の力士達が、相撲界を席巻している。
世界一強いというモンゴル相撲の遺伝子を持つ力士達が、一攫千金を夢見て、勝つために土俵に上がる。日本人力士を圧倒するのは当然のことであった。今回の事件で、つまらないモンゴル力士排斥や、中途半端なナショナリズムの昂揚は厳しく避けなければならない。

●横綱白鵬がよく使うという、張り手や張り差し、かちあげ、さらにヒジ打ちは相撲技の一つであり、ルール違反(反則)というわけではない。
その技をくらって、妙義龍や勢は失神し、土俵に崩れ落ちたこともある。
対戦相手の側頭部への強烈な張り差しは、対戦者の動揺を誘い、脳へ衝撃を与え、一瞬にして戦闘意欲を喪失させてしまう。
白鵬が編み出したかちあげは、体力の衰えを回避するための悪知恵というのはたやすいが、勝ってナンボの熾烈な世界なのだ。確かに横綱白鵬はある時期、一人で大相撲を支えたという自負が、時として奢りに変わるのは猛省しなければならないが、ならばその白鵬に対して、どうやったら勝てるだろうと、科学的な対応をして稽古をしている相撲部屋はあるのだろうか。何回も同じ手で、黒星をつけられるとしたら情けない。今年の7月の名古屋場所で、御嶽海は上手に白鵬のはりさしを張り差しを躱して勝利した。

●力士をはじめ、相撲に関連する立場の方々は何かというと「相撲道」という言葉を多用する。
実は、武芸に「道」を最初にはっきりと取り入れたのは、柔道の嘉納治五郎である。明治22年(1889年)その流儀を「柔道」と命名した。
その柔道は、「精力善用・自他共栄」を基本とし、単に道としての技を習得するだけでなく、天下の大道を学ぶものと機会ある度に教示した。もし嘉納が「柔道こそ国技である」と強く主張していれば柔道が「国技」を担ったかも知れない。国際人嘉納治五郎の「道」の本質を、相撲関係者はどれだけ知っているのだろうか。
その「相撲道」の組織は、現在、公益財団法人「日本相撲協会」という組織になっている。他の武道や、スポーツの団体組織と隔絶しているし、放映料や、税金面の免除もある。
親方制度というものがあり、一度入門したら、親方は父であり、おかみさんは母と言うことになる。疑似親子制度が絶対の基礎にある。またタニマチ(谷町)とは相撲界の隠語で、ひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、無償スポンサーのことである。地方巡業と称して、興業をするために、地方の有力者とも係わらなければならないなど、特殊な世界である。
本来、大相撲の抜本的改革はここから始めなければならないが、それは相撲という日本の伝統的興業を否定してしまうことにもなりかねない。
このところ私は、相撲に純然たるスポーツを求めてはいけないのではないかと思っている。
八百万の神々を鎮撫する伝統を背負い、ただ勝つために稽古し、身体を大きくすることに青春の全てをかける力士達はやはり特殊な存在なのだ。そして「ハレ」を全身に纏って裸で戦う。
思うに現在の相撲協会の行事は多すぎる。本場所も地方巡業も多すぎる。時にはどんな名力士でも、疲れが蓄積して無意識に「ふっ」と気が抜け、あるいは気が入らないときもあろう。八百長試合と疑われる取組もあったろう。ならば本場所も巡業も減らすしかない。しかしそれが出来ない現状のシステムでは、コーポレート・ガバナンスは限定的となろう。

●今回の暴力事件のようなことを根絶するのは組織として当たり前だが、私はこういう「世界」もあっていいと思っている。横綱審議委員会は白鵬の取組が、横綱の品格や美しさに欠けるとするその指摘は本末転倒である。そうであるならば、きちっとルールを改定すべきである。
美しく勝つその「美学」は、日本人が求める精神の一つだが、潔癖すぎ、がんじがらめのルールの下では、日本の相撲は滅びる。
二十歳・三十歳前後の若者達は神々しいが「神」ではない。生身のぶつかり合いによって彼らの精神は何時も揺らいでいる。人間の脆さも強さも混在する。日本人はそういうこと全てを含んで力士を愛し、相撲を楽しんできた。その余裕が本来日本人の原点なのだ。それを忘れて画一的な「形式美」を短兵急に求めると、おかしなナショナリズムに陥ってしまう。
武道や相撲に求められる「至誠」・「礼節」を我々日本人は、大きく誤解している。何しろその誤解は今に始まったことではなく、実に「徳川時代」中期から始まっているから厄介なのだ。
そこがきちっと捉えられていないから、今や「至誠」・「礼節」は形式だけのものに陥った。

●日本相撲協会の親方制度やタニマチの因習・慣習を、一般のマネジメントのように単純な組織変革に置き換えてはいけない。問題はもっと深いところにある。
相撲が活性化できるかどうかは、実は日本人がグローバルな時代にどう生きていくかという問題と大きくリンクしている。一相撲協会だけで、すぐに解決できる問題ではないのだ。30年、40年とじっくりと焦らずに取り組まないといけない。拙速な解決は自己撞着に陥る。
このところの我々日本人の発想は、かなり短絡で危うい。素早く変えなければならないことと、そうでない問題がある。本質を見誤ることなく、おおらかな心根を持って取り組みたいものだ。
2018年1月1日 春吉省吾

 

 

 

 

 

 

「言挙げぞする」~私的哲理風随筆を書いています~VOL.33

万葉集の柿本人麻呂『万葉集』巻第13の歌に曰はく

葦原(あしはら)の 瑞穂の国は
神ながら 言挙(ことあげ)せぬ国
然(しか)れども 言挙(ことあげ)ぞわがする
言幸(ことさき)く 真幸(まさき)く坐(ま)せと
恙(つつみ)なく 幸(さき)く坐(いま)さば
荒磯波(ありそなみ) ありても見むと
百重波(ももえなみ) 千重波(ちえなみ)しきに
言挙げすわれは 言挙げすわれは
(中西進先生の全訳注)
あしはらの瑞穂の国は、
神の意のままに言挙げしない国だ
だが、事挙げを私はする
言葉が祝福をもたらし、無事においでなさいと
さわりもなく無事でいらっしゃれば
荒磯の波のように 後にも逢えようと
百重波(ももえなみ)や千重波(ちえなみ)のように
しきりに言挙げするよ 私は
しきりに言挙げするよ 私は
「遣唐使餞別歌」として、はるか唐に赴く人の無事を祈る人麻呂の歌です。

●言葉に呪力があると信じられた上代以前は、言葉に出して言い立てる、むやみな「言挙げ」は慎まれたのです。しかし「言挙げせぬ国」などといつまでも言っていると、それをいいことに、我欲剝き出しの権力者達を、利するだけです。それは阻止しなければなりません。
それに言霊というと、負のイメージが付き纏いますが、柿本人麻呂のように「言挙げ」し、言葉に思いを寄せて祈りを顕在化させることも「ことのは=言の葉(片)」の力です。
次の世代に残したい「こと」をきっちり伝えるのは、物書きとして義務だと思っています。
このところ本気で「言挙げぞする」という、哲理的随筆集、あるいは物語的哲理集という、ちょっと変わった「文章」を書いています。12~3編ぐらいに纏めたいと思っています。

●「同根会」という経営研究会を立ち上げられた、我が師長谷川智泉先生が、昨年の3月ご逝去されました。本当は、生前に「言挙げぞする」を纏めて上梓したかったのですが、雑事に追われて、残念ながら叶いませんでした。
「同根会」の会員一号は、ホンダ創業者の本田宗一郎さん、アシックスの鬼塚喜八郎さんなどです。その後も日本マクドナルドの藤田田さんなど錚錚たる創業者が会員で、26年前、自らも講演者として話された藤田さんのお話は今でも記憶に残っています。
我が社を創立して33年、イベント企画、デザイン、広告戦略など様々な仕事をしましたが、中小企業の経営者・承継者の方々と企業の経営戦略などにも直截係わり、20数年ほど前から、MBA等の経営学に違和感を覚えた私は、原初仏教、空海の密教思想や、鎌倉仏教、論語、孟子、朱子学、陽明学、古神道、旧約聖書、コーラン、日本の古典など、様々なジャンルの資料を手当たり次第に斜め読みし、日本的な経営とは何かと、手探りで学びました。
例えば「親鸞」を知るのに、経典を読み、その解説から今に至る、清澤満之、暁烏敏、大峯顕等の論文を囓り、蓮如の組織作り(創価学会がそっくり取り込んだ、実に凄い組織です)まで範囲を拡げて読んでいくのです。それらの雑多な勉強は、今は殆ど頭に残っていませんが、ふとしたときに「親鸞ならこう考える」「蓮如はこうだろう」なんて思うのです。
平成12年(2000年)から数年、中小企業の経営者・承継者の方々のために、週一回「心身経営学」講座を開きました。半ばボランティアです。
しかし、当時、その理論は角がたち、私自身も完全に咀嚼できていませんでした。その後その「哲理篇」の一部を平成23年(2011年)7月に、経営書「経営の嘘」として上梓しました。入門書としては異質で難しかったようです。
今回の「言挙げぞする」は経営者のためではなく、大げさに言うと悩める日本人のために……いや、迷い続けている私自身のために、様々な視点から執筆しています。

●さて、今もって迷いの真っ直中にいる私ですが、武道を多少囓っていると、その迷いの中で前向きに最善を尽くすことが修業だとわかります。つまり、「迷うこと」は、王陽明の言う「事上に在りて磨練す」という実際の行動や業務を錬磨していく、日常の中で生ずるものです。
と、さも偉そうに言っていますが、生きる事も不器用で、弓道も居合道も、真摯に向き合っているつもりですが、一向に上手くなりません。しかしそう思うことにそもそも恣意的な解釈が紛れ込んでいるわけで、どうやらもっと深いところに事の本質はあるようです。
「明鏡止水」とはいかないまでも、審査などで「無私」に近い心境になった時には合格しています。上手くやってやろうと思ったときは、無残な結果に終わっています。

●9月の末に東京都の「城西地区の居合道大会」(新宿・中野・杉並と我が渋谷の一般、同地区にある大学、早稲田・明治・青山・国学院の学生が参加)が開かれ、七段、六段の部で自由演武をしたのですが、「技間違い」をしてしまいました。集団演武で、一瞬のことなので、注視していないと判らないのですが、真後ろで見ていた渋谷の仲間達からは「佐藤さんどうしたの?新しい技を作ったの」とからかわれました。
居合を始めて20数年、何万回と抜いた技を間違うとは……。上手く抜きたいという邪心から、正しい呼吸を忘れ、自分を見失ってしまいました。気剣体の一致を修業の目的としている者として、何とも情けない限りです。
「人生、恥を掻いてナンボ」という言葉がありますが、恥を掻くのは辛く、消え入りたくなります。
今回は「真剣勝負で命をとられたらそれで終わり」という気迫もありませんでした。同じ失敗を2度としないための稽古を新たに始めます。
大会打ちあげの酒宴では、つとめて明るく振る舞おうとしましたが、酔えませんでした。
前述の同根会会員第一号の本田宗一郎さんは「成功は99パーセントの失敗に支えられた1パーセント」という名言を残されました。
人生、失敗しても、前向きに愚直に生きることが、終わりのない修業なのでしょう。

 

 

 

 

 

●夢想神伝流「勢中刀」。可もなく不可もなく。

 

 

 

 

 

●3段の部で優勝した、渋谷の生島さん(右)。

 

 

 

 

 

●浅草の「長澤屋」さん。弓道を始めて以来25年、ここから白足袋を買っている。銀座や京都の老舗の足袋も私の足に合わない。先代は亡くなってしまったが、ここの5枚こはぜの白足袋は、そんなに高価でなく最高に履き良い。今回まとめ買い。


 

 

 

 

●浅草伝法院通り。ここはいつもお祭ですね。


 

 

 

 

●浅草寺宝蔵門の裏側に「村上市の大わらじ」が奉納されている。
これを見る度に、江戸時代から続く「信夫三山暁まいり」と8月の「福島わらじまつり」の密接な「物語作り」と戦略的なPRが必要だと痛感する。それはひとえに私が福島市の生まれという、郷土愛からなのだが……。

春吉省吾 2017.10.9          Copyrightⓒ 2017 Haruyoshi Shougo

9月「風浪の果てに」から「秋の遠音」へ 今年も残り3分の1、全力投球! VOL.31

 

 

 

 

 

●2017.8.14福島市の弁天山からの展望。
「風浪の果てに」の本文44ページから48ページ。主人公、沼崎吉五郎と京が、しみじみと城下を見下ろした同じ場所に立った。
中央には阿武隈川が流れ、その後ろは、福島城跡、現在は福島県庁。左の橋は天神橋、江戸期では奥州街道、福島宿の入り口であった。その手前は福島河岸。米沢藩を始め、江戸へ回漕するための米蔵が並んでいた。
この地点は、安寿と厨子王と母が、暮らしていた「椿館」の跡と言われている。

 

 

 

 

 

●弁天山・椿館跡。安寿と厨子王と母が、ここから旅立った。

 

 

 

 

 

●弁天山・椿館跡。この日、一時間ほど散策したが、誰にも出会うことがなかった。福島の中心から車で10分。最高のロケーションなのだが…。蝉時雨が何故か寂しい。行政の宣伝不足か?「風浪の果てに」、「春のみなも」も、市長はじめ、まともに読んでいる市の職員は少ないだろうからな……。

 

 

 

 

 

●持ち寄りの大御馳走。暑気払いを兼ねた「同級会」。風流な三味と、小唄も。


 

 

 

 

●福島近郊の8月14日、稲の生育は良好と思われたが、その後の長雨と日照不足でどうなったか心配だ。

 

 

 

 

 

●9月に入って、朝のウォーキング。
中野通りと方南通り、新宿に続く南台交差点近くのサルスベリの並木が満開。

◆私のスケジュール帳は、9月始まりなので、毎年買い換えるたびに8月までの事を振り返ります。
ここまで、相変わらず多忙でした。忙しさの筆頭は、3月に長編小説「風浪の果てに」を上梓し、福島脱藩浪人沼崎吉五郎という人物を「生き返らせた」ことです。
事件に巻き込まれ、伝馬町に繋がれた吉五郎。西奥揚屋の牢名主となり、吉田松陰の遺書「留魂録」を預かり、三宅島に流されて15年。明治7年に赦免になり、東京に戻ってきます。その2年後に、松陰の妹二人を嫁にした楫取素彦に連絡を取るが叶わず、ようやく「留魂録」を野村靖に手渡します。以来、吉五郎の足取りは杳としてわからないままでしたが、「風浪の果てに」では、その後の吉五郎の悠々たる人生を描いています。ヒロイン達も活き活きと描ききったつもりです。
勝てば官軍、生き残った長州閥の跋扈によって、現在も根強い長州人脈が存在し、彼等の実力は過大に語られています。楫取にしろ野村にしろ、久坂玄瑞にしろ、2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で描かれるような人物ではありません。司馬遼太郎さんの、幕末、明治維新の人物描写もそのまま鵜呑みにせず、吉村昭さんの幕末の小説を読むことをお薦めします。

「風浪の果てに」の脱稿から上梓までの間に、編集作業、表紙や、本の装丁等々、印刷業者との打ち合わせ、ネットへのPR、チラシ作り、パブリシティ活動など、作家活動の他にもあらゆる作業を独りでやっているため、年末も正月もありません。(いつものことです)
加えて、上梓間近の2月に田舎の母が、大腿骨頚部骨折で入院した事も重なって、東京・福島間を往き来し、疲労はピークでした。
ようやく「風浪の果てに」が仕上がって、私のところへ運ばれてきましたが、運搬員が、車をぶつけてミラーを壊したとかで、ブツブツ言うだけで、まともに働かず、本の搬入を殆ど一人でこなしました。いゃあ、大変でした。「本は重い」のです。自作の本は尚更です。
疲れが更に重なって「帯状疱疹」の痛さも経験しました。
まあ何とか世に出した「風浪の果てに」は、3月25日の週の、セブンネットサイトの「新着・本・コミック」1週間売上ランキング1位になりました。作家としては、もっと多くの方に読んでいただきたいのですが、何分超零細出版社で、取次も、東販の下請け会社なので、販売力は微弱です。何れ何とかしたいものです。読者の方々の中で流通・取次会社の「つて」をお持ちでしたら、ぜひご紹介・仲介をお願いいたします。

弓道の早朝稽古は、週2回、何とか時間をやり繰りして続けています。6段を取得してから、武道、特に弓道の本質は体軸と手の内にありという信念から、中りを度外視して、基本からやり直して2年、最近ようやく、微妙な「技」の感触が10射に1、2射、体感できるようになりました。
46歳からはじめた居合も今年で20年。やはり体軸と手の内、技の緩急を身体に覚え込ませるために、ここ半年、隙間時間を縫い、毎日、抜きの稽古をしてきました。短い時間でも、精神を研ぎ澄まさないと、本身(真剣)ですから、怪我をしてしまいます。
お陰様で、6月末日に大阪で行われた、全日本剣道連盟の居合道の6段審査に合格することができました。
これで、弓道も居合道も6段を頂き、時代小説を書く上で、弓や刀の扱いを描写する際の、リアリティは他の作家よりもあると、自負しています。
そんなことから、役者達が、弓と剣を扱うシーンを映画やテレビの中で見ると、どれだけ熟達しているかという観点からつい眺めてしまいます。
昭和の有名な時代劇スターでも、まともに弓を扱える役者は残念ながら一人もいません。剣の扱いが上手な俳優は、昭和の初めから現在まで、勝新太郎さんただ一人です。視聴者を喜ばせる事を重視する殺陣師さん達も、見てくれだけでなく、真剣を扱うとはどういうことなのかと、その基本を学ぶべきです。

現在、長編時代小説四季四部作の最後の作品「秋の遠音」を執筆中ですが、6月に下手渡自治会の渡邊さんという方から、
「下手渡藩の事をお書きになっているようですが、下手渡や三池の事をお話しいただきたい」
という依頼がありました。
執筆途中で、その作品の人物達や、背景などについて講演するというのは、かつて聞いたことがありません。ずいぶんと躊躇しましたが、引き受けることにしました。
伊逹市月舘や霊山町、伊達郡川俣町、福島市飯野町などを含む「下手渡藩」の存在は、地元の方もあまり知りません。また、立花家が下手渡に移封になって45年後、下手渡の一部と、旧領の三池(現在の大牟田市)の一部とが交換になり、1500キロほど東西に離れた双方の管理が必要となりました。
それぞれの郷土史家達の資料は微妙に食い違い、その資料も少ないのです。このままではこの歴史的な事柄が埋没してしまいます。
講演会で地元の人達と懇談し、この地方の歴史を再認識して貰い、地元の活性化に少しでもお役に立つことが出来ればいいなと思っています。
というわけで、この9月10日に、伊逹市の「下手渡地区交流館」で講演して参ります。
すぐ隣には、「つきだて花工房」という、自然の中に建てられた宿泊施設があります。良いところです。機会があれば訪ねてみてください。今回は残念ですが、そこには宿泊しないで戻ります。
ともあれ、戦国時代の九州の猛将、高橋紹運の子立花直次(兄は立花宗茂)を藩祖とする三池立花家が、遠く東の奧州下手渡に移封となり、最後は三池に戻る、廃藩までの歴史は、幕末・明治初期の激動を舞台にした、壮大なスケールの大河小説に相応しいものです。
ここ数日、PowerPointで、講演会用のスライドを作っていました。
その講演会の報告は9月の後半にお届けできると思います。お楽しみに。
2017年9月6日 春吉省吾

 

 

 

 

 

 

「風浪の果てに」~最後の校閲と事実認識~ 

「風浪の果てに」を脱稿してから、2月の13日まで、およそ2ヶ月ほど、最後の校閲と校正に朝から晩まで充てました。神経のすり減る作業でした。
13日が、直しのリミットで、遅れると予定通りに仕上がりませんという印刷屋さんの「叫び」もあり、待ったなしでした。
今回も、手許に仕上がって来た本を前に、暫くは開きたくないという不思議な気持になるはずです。

上梓を前にいろんな疑問にお答えしておきたいと思います。(今回はそのうちのほんの少しです)
「風浪の果てに」を歴史小説と捉えるか、時代小説と捉えるか?
従来は「歴史小説」といえば歴史的事実人物を、「時代小説」といえば架空の人物を描くのが基本という定義でした。しかし歴史小説でも全員100%実在の人物で描かれているわけではありません。フィクションの割合がどれくらいと、読者が判断するものだという現代的定義もあります。両者の分かれ目は極めて曖昧であるといえます。したがって、無理に分ける必要もないというのが、私見です。
「風浪の果てに」という小説は歴史小説でありながら時代小説でもあるというわけです。

時代小説には時代考証がめちゃくちゃなものがありますが?
残念ですがその通りです。
ところで、ひとつ認識して頂きたいのは、時代考証を厳密にすれば、小説もテレビドラマも全く成り立ちません。NHKの大河ドラマも演出家や脚本家の能力によって、とんでもないいい加減なものがありますが、普通はある程度承知の上で、小説化、映像化しているはずですが……。
しかし作家として守るべき最低のルール、例えば歴史的に明らかに動かせない事項、地震・火災などの時間・空間のことまで、いい加減に変えてはいけません。
明らかに勉強不足や資料の読み違えなどはっきりしている原因がありますが、それは読者には判らないことで、それがあるとき、「正しい『歴史』」になってしまうので怖いのです。

具体的なことを数例あげてみましょう。
先ずひとつは、嘉永6年(1853年)6月3日の黒船来航。
黒船がやってくると上も下も大騒ぎで江戸の町は大混乱に陥ったということですが、ペリー艦隊が江戸湾深くまで入り込んで測量したり、礼砲をぶっ放したり、諸藩の武士達が江戸近辺の湾岸警備に駆り出されたりして、多少の混乱はあったようですが、実際にはペリーが浦賀沖に停泊すると、おびただしい人々が沢山の小船に乗って近づいていて見物し始める者まで居たようです。江戸庶民の好奇心は凄まじかったようです。
詳細は「風浪の果てに」の本文でお楽しみください。

実は、江戸中が「外夷」で大パニックになったことがありました。文久3年(1863年)5月8日のことでした。
3月半ばには神奈川奉行から、浦賀、横浜の住民に避難命令が出され、住民達は本気で疎開しました。
江戸も、黒船来航時とは違って「さながら火事場のようであった」と江戸市中の混乱ぶりを、福地源一郎が記述しています。小石川に住んでいた福地自身も、大久保村に疎開する手筈をしました。
福沢諭吉も、米30俵と仙台味噌一樽を購入して、書生に運ぶ算段をして、逃げ支度をししてました。江戸を、いや日本の歴史が固唾を呑んで見守ったこの日は、あまり語られていません。
「風浪の果てに」では、 吉五郎が入牢中でしたので、その記述はありませんが、「秋の遠音」や「初音の裏殿」ではこの顛末が出てまいります。お楽しみに!!

「風浪の果てに」では、吉五郎が入牢している間に「切り放し」がありました。火災によって伝馬町に火が入ると、3日を限りに、出獄できる制度です。ある小説の記述では安政2年(1855年)10月3日に夜半に発生した安政江戸大地震で、伝馬町に火が移って切り放しになったと云う記述がありますが、安政の地震では伝馬町は類焼せず切り放しはありませんでした。
私は、安政5年11月の火災によって伝馬町大牢の切り放しがあったことが「日本近世行刑史稿」に記載されているので、それを採用いたしました。また、上記資料には安政4年3月にも切り放しがあったと記載されていますが、調べた限りではそれに該当する「大火」が見つからずこの「切り放しは」物語にしませんでした。(吉村昭先生の小説「黒船」でも、安政4年の切り放しについては取り上げていません。私もその説に賛成です)
歴史小説の難しさでしょう。裏付けが取れない資料もたくさんあります。

承知の上で書いたのか? 事実誤認か?
名作と言われる歴史・時代小説の中でも、「?」と頭を捻る記述があります。大作家の作品ですから、おそらく承知の上で書いたのだと思われますが……。
作中、井伊直弼が因獄、牢屋奉行の石出帯刀と接する場面があります。しかし、実際にはそのようなことはあり得ません。石出帯刀は世襲の因獄で300俵を拝する立場ですが、不祥の役人として登城も許されず、他の旗本とも交際は出来ない立場でした。縁組みも武士に求めがたく、代々村の名主などの娘を娶っています。つまり、礼法・故実にも通じしきたりを重んずる直弼にとって、不浄の石出帯刀を直截呼び、下命することはあり得ないのです。
同じ様なことは、吉川英治先生の大衆小説の名作「宮本武蔵」の中で、武蔵と沢庵和尚のエピソードなども現実にはあり得ないのですが、読者を喜ばせる「物書き職人」として、あらゆることを承知の上で、大胆な設定をしたのでしょう。
もっともそんな細かな事など、読者は知る必要はなく、楽しめればいいのですが、作者としてはそれらを知らずに浅知恵で書いてしまうと、読まされる読者は堪ったものではありませんね。

春吉省吾   2017年2月16日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉田松陰 新門辰五郎 堀達之助 靖国神社にたつ大村益次郎の袴は何故短い?

 

「風浪の果てに」あとがきから

【 あとがき 】
平成28年の12月26日の早朝、長編「風浪の果てに」を脱稿いたしました。不覚にも鼻水と涙が止まらずに「自分で書いたものに自分で泣いてどうする」と思ったものです。
私のこれまでの作品は日本の作家の誰とも違って、全て超長編書き下ろしですから、脱稿して形にならないと、それまでの努力は一切酬われずに埋もれてしまいます。それ故に、脱稿した瞬間には「今ここで死んでもいい」というような大きな感動があります。
「風浪の果てに」では、松陰と吉五郎を際立たせることによって「生と死」の意味を記述いたしましたが、吉五郎を取り巻く境遇はそれすらも呑み込んでしまう苛烈な幕末・維新の物語です。
今回の構想は十年前から温めていたのですが、関連する多くの資料を読み込んでみると、現在に至るまで、勝手な松陰像を作り上げている方々が何と多いことかと改めて思います。
例えば「やむにやまれぬ大和心」という文句を卑小に抜き出し、権力や自己防衛のために使ったり、勝てば官軍という勝者・長州閥の奢りの残滓が、未だに正しい松陰像を探ることを歪めています。
松陰は自らの死によってその存在を自己完結させましたが、吉五郎はそうではありませんでした。若いときから斜に構えて生きて、係わった女達を皆不幸にしてしまうという恐怖にも似た感情を抱え、過酷で理不尽な人生を耐え続けました。その生き方の何と人間臭く、魅力的なことか。
「人間皆凡夫なり」。多くの人物が登場する骨太の哀しく切ない物語をお楽しみください。
なお本小説の荒校正を含めて貴重なアドバイスを福島民友新聞社元常務・菅野建二様に頂きました。 ここに心より感謝申し上げます。
(春吉省吾 平成29年1月15日・強烈な寒波の東京で)

「人を殺す」ということ ~「風浪の果てに」の執筆の裏話~

「風浪の果てに」という長編時代小説を書き始めて、大分たちます。当初に全体のプロットを作って書くのですが、細部に亘っては、書きながら変わってくるというのが、このところの執筆スタイルです。ガチッと枠を固めてしまうと、文章にゆとりがなくなってしまう気がするからです。
その時々の「ゆらぎ」のようなものをゆっくりと掬い上げ文字にしたいと思っています。
長編ともなると多くの人物が登場し、死んでいくことになります。当たり前のことですが、それぞれに異った生き方と、その果てにある「死」を書くことがすなわち「生」を表現することであり、それが「物語」です。
「風浪の果てに」では、既に2人のヒロインを「殺して」しまっています。半年ぐらい前から、もう1人のヒロインの「死」がずっと頭の隅っこにありました。
全4章の内、そのヒロインの死を含む第2章の最後の部分がどうにも纏まらず、ずっと迷っていたのですが、やっと6月の末に書き終えました。
その間、その部分はそのままに措き、第3章を書き始めたのですが、こんなに呻吟するとは思っていませんでした。
目を背けたくなるような情景であっても、読者が次の活字を追いかけずにはいられない文章を書きたかったからです。感情過多に陥らずしかし、情感は豊かに表現したいという追求です。尤も、上手くいったかどうかは読者の方々の読後感に委ねるしかありませんが……。

そんな時、「ALWAYS 三丁目の夕日」や、最近では「精霊の守り人」の劇中の作曲(これを劇伴というらしい)をされている佐藤直紀さんが、テレビ番組で、
「つらいですよ(笑)。曲を書いてる最中は本当につらいです。スラスラ書ければいいですけど、曲なんてスラスラ書けるわけないじゃないですか。でも、締め切りはある。今日中に1曲終わらせておかないと、あとが大変だ、という日々の繰り返しなので、毎日本当につらいです。音楽が楽しいという時代は、大学で終わりました」
とドキュメンタリー番組でお話ししているのを聞いて、深く納得した私でした。

書き始めた第3章は、小伝馬町が舞台です。現世地獄として名高い「江戸牢獄」。ここでは、主人公の沼崎吉五郎と関わった、2人の人物とのやりとりを通して筋立てをしていきます。
1人は、堀達之助、もう1人は吉田松陰です。
前者は、ペリー艦隊の来航に主席通詞として活躍した人物ですが、思いもかけない罪で入牢。
同じ時期に獄中にいた吉五郎は、日本に押し寄せるアメリカやロシアの最新情報を奇しくも獄舎の中で聞けたわけです。
もう1人の吉田松陰は、日本中で知らない人はいない人物です。西牢の牢名主となって、松陰が斬首になるその朝まで一緒にいた吉五郎は、遺書となった「留魂録」執筆の便宜を図り、その後、三宅島に流されても大切に持ち続け、それを後世に残しました。
その吉五郎は松陰から何を感じ、学んだのでしょうか。
松陰自身、死に臨んで、倒幕出来るなどとは思ってもいなかったはずです。松陰は理想に陶酔したかのような印象を抱かせますが、実は観念論では決して動かず、歴史の中から賢人や豪傑の仕事を捉えようとした人物です。
松陰が吉五郎に獄中で教えたという、「孫子」と「孟子」を物書きとして読み直し、数十年前に買い求めた「講孟箚記」などを読み返し、巷間伝えられている「吉田松陰」という物差しの目盛りを捉え直すことから始めました。山鹿流の兵学から学び始めた松陰の中には、「山鹿素行」の考えがどっしりと居座っています。いろいろと勉強が必要です。

私は松陰の志が、松下村塾の弟子達に忠実に継承されたとは思っていません。特に幕末を生き延び、権力を恣にした伊藤博文や、山県有朋にはその欠片もありません。後の多くの疑獄事件がそれを証明しています。
松陰自身も死の6日前、獄中から、萩の岩倉獄に投獄されていた入江杉蔵(九一)に宛てた長文の手紙の中で、「要之諸人才気齷齪、天下の大事を論ずるに足りず、我が長人(長州人)をして萎薾せしめむ」とあります。
松陰は大分思い詰め、小田村(楫取素彦・妻は2人とも吉田松陰の妹・「花燃ゆ」では大沢たかおが演じました)や久坂(久坂玄瑞・この男なかなか食わせ者です。「花燃ゆ」では東出昌大が演じました)たちは、私が伝馬町の獄舎に繋がれて、5ヶ月以上になるが、手紙ひとつもないと、友や子弟達の優柔不断さを嘆き、「要は長州人は、才気はあるが心狭く、冷淡であり、そんなことでは天下の大事を論ずることは出来ないではないか」と嘆いています。
松陰は長州人の本質を見事に言い当てています。しかし、殆どの作家は、冷徹な視点を自ら放擲するように、松下村塾の弟子達を殊更持ち上げます。いつの世にも、磨いても玉にならない、あるいは才に溺れる人間はいるものなのです。いかに天才的な教育者吉田松陰をしても、心賤しい者はそう簡単に矯正されるわけではありません。かといってあまり長州人を毛嫌いすると、これまた会津びいきの早乙女貢さんのように、高杉晋作を一方的にチンピラ扱いにしてしまうというのも考えものです。まあ、20代の人間達が明治維新を動かしたのですから、言葉悪くいえば「未熟な青二才集団」には違い無いのですが……。

そんなわけで、既成概念を払拭するには気分転換が必要です。
7月の4日の夕方から翌日5日一杯、石和、甲府に行って参りました。私が非常にお世話になっている長澤邦夫、千鶴子ご夫妻が、「右楽」という美味しいおそば屋さんを営んでおります。(基本的には月曜日と火曜日、水曜日が休みなのですが、冬の時期は降雪のため長期休暇にはいりますので、お出でになるときは確かめて……)もりそば1枚のためにはるばる東京から訪ねてこられる方も多いというお店です。
私にとって、ご夫妻は小説の筋立てのヒントや、出来上がった作品を批評していただく大切な方々です。長澤兄は様々な顔を持つ方で、早稲田の商学部を卒業の後、色んな職種を経て、何と花火師の経歴を持っています。蕎麦好きが昂じて、全国の蕎麦を食べ歩き、蕎麦の原料を仕入、蕎麦汁の返しなど自分が納得いくものを作り上げて現在に到っています。桃の咲く頃「右楽」さんのカウンターから眺める景色はまさに桃源郷です。
一人息子の皓一さんは、単身フィレンツェに出かけ、その心意気と実力を現地の料理界のドンに認められ、そこでしっかりと修業したあと、現在甲府市内でイタリアレストランTrattoria Boboli(トラットリア・ボーボリ)というお店を営んでいます。5日のランチに、カルボナーラの白トリュフ(「食べ物の王者」です)のせを頂きました。まさに絶品、感動の味でした。デザートのパンナコッタも「う~ん、美味い」と思わず唸ってしまいました。お孫さん達2人もカナダに留学しておられ、夏休みで日本に戻ってきたばかりということでした。なんとも国際的です。
長澤兄のボランティア活動も国際的で、ラオスに学校を2校建て、維持管理するなど、70を過ぎた爺さんの発想からは飛んでいます。凄いなと尊敬する人生の先輩です。
「右楽」さんのHP  http://www.uraku-info.com/
Trattoria BoboliさんのHP  http://www.t-boboli.com/colazione/index.html
甲府、石和に行かれた際は、お時間があれば、是非お立ち寄りを。

さて7月も第2週。外せない雑事とおつきあい、大事な「飲み会」、弓道・居合の稽古、試合、初心者指導日などをカレンダーの予定表に埋め込んでいくと、空きがなくなりました。
肝心の執筆作業は、今年中に「風浪の果てに」を上梓する予定にしています。
「秋の遠音」、「空の如く」、「言挙げぞする」という随筆集、そしてシリーズ短編時代小説「初音の裏殿」の主人公はもとより、脇を固める多彩な登場人物の出自、性格、人間関係などの詳細設計と時代背景、シリーズ20作に絡む実在した歴史上の人物達との絡みなどを練り上げていきます。これら全ての予定をこなすとなると寝る時間が無くなってしまいますが、歳を考えてそこそこにしないと……、多少の予定遅延はご容赦ください。
この2日間、長澤兄のご家族のお陰で、すっかりリフレッシュさせて頂きましたので、「風浪の果てに」の第3章、そして吉五郎が三宅島に流されてからの第4章としっかりと書き進める事が出来そうです。
主人公沼崎吉五郎には、絶望の奈落のその先に、更なる波瀾が待ち構えています。果たしてどのような結末を迎えるのでしょうか……。仕上がりをお楽しみに。
春吉省吾 2016.7.6
右楽さん・本日定休日右楽さんの竹林長澤家長澤邦夫・皓一さんと私富士山の雄志武田神社恵林寺恵林寺庭園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日休業「右楽」さん

宿泊させて頂いたベランダから、青竹の美しい空間が拡がる。

Trattoria Boboliにて 長澤家の皆様方。長澤ご夫妻、皓一さんご夫妻と、カナダから帰国していたお孫さん達。

長澤兄とご長男皓一さんと私

朝、食事前に、新道峠に連れていって貰いました。富士山の絶景ポイント。天気の良い時には富士山と真下に河口湖が望めるそうです。この日は青空が拡がるも、裾野は曇に覆われていました。しかしこの幻想的な富士の姿も美しい。

武田神社にて

恵林寺の山門。武田氏を滅ぼした織田信長は、匿った者達を引き渡すように快川和尚に命じたが、和尚は拒否。信長は山門に快川和尚をはじめ百人の僧侶を閉じこめ火を放つ。左右の柱に「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火もおのずから涼し」の辞世が記されている。境内には武田信玄公の墓や、柳沢吉保夫婦の墓もある。

夢窓国師築庭の恵林寺の庭園。パンフレットには、この後国師は西芳寺苔寺や天竜寺の庭も築庭されたと書かれていた。外廊に坐って視線をあげると、借景の山並みが溶け合う。その先には、中山介山の時代小説の書き出しの大菩薩峠があるはず……。

 

 

「春のみなも」と「経営の嘘」の内輪話

「物書き」春吉省吾には拘りがあります。つい最近までデザイナー・イベント設計などを生業としていたことから、本文の物語性というだけでなく、表紙や装丁、キャッチコピーや、目次前に記載した和歌や古文書などの引用は、物語に、より深みを与えたいという明確な意図をもって自分自身で作り上げます。
ご存じのように「春のみなも」の上下には、古今和歌集から1首、金槐和歌集から3首、上下巻に2首ずつ掲載しています。この4首は、いずれも主人公「初」の心象を表現しています。そして「金槐和歌集」から3首引用しましたが、その作者、源実朝は鎌倉幕府三代目の征夷大将軍で、鶴岡八幡宮で暗殺された薄倖の武人です。源氏の将軍はそれによって途絶えてしまいます。初のもとを去り逝ってしまった男達の鎮魂歌という意味もあります。
冒頭に出てくる上下各2首の和歌の意味合いを気付かずに、読者の多くは読み飛ばしてしまうかもしれませんが、一度読み終えて、再び開いたときに、この上下2首はより深い印象をもって味わって頂けると思っております。

漏らしわびぬ 信夫の奥の 山深み 木隠れてゆく 谷川の水
心の中を打ちあけられず、この胸は痛む。信夫の奥の山深く、
谷川の水が木の陰をひそかに流れていくように、人知れず恋をする私。
(金槐和歌集・春・四百三十七 源実朝)

また、佐藤祥一名で上梓している「経営の嘘」の冊子裏表紙(カバー表紙の内側の表紙)には、面白いことが記載されています。そのまま転記してみましょう。

表紙の「五芒星」をかたどった「結定往生之秘印」は、安倍晴明が閻魔王より給わった「秘印」と伝えられている。京都真正極楽寺真如堂から受けた御札である。
日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。
印にこめられたその意味は、陰陽五行説、木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相生・相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。
陰陽道というとおどろおどろしいが、仏教、儒教、道教と全てを統合した、宇宙のあらゆる動きが表現されている。
意志決定に迷ったら、本冊子に手を置いて、「神よ、仏よ、次はそちらの番だ」と叫んでもいいし、じっと沈思して心を落ち着けるのも良い。
それらのことは「呪術に凝る・現世利益を頼む」のではなく、「自分自身の思考の凝りを解き放つ」ためのものである。
◆ 尚、本書売上げの一部を、ご祈祷料としてお納めいたします。

このように記載してあります。
本来は、編集者のような方がいてコピーを作成するのでしょうが、編集者はいませんので、私自身が作っています。
経営はもとより、一人一人の大事な意志決定は、拙著を読んだからと「はいそうですか」と言えるようなものではありません。理屈を越えた処に各自の行為があって、その結果はそれぞれ個々人が甘んじて享受しなければならないものです。だから、敢えて前述のような言葉を記載しました。事の本質を判っておいでのかたがたには、首肯頂けるものと確信しております。

さて、朝の散歩兼トレーニングコースの途中、近くの神社にお参りをしていますが、2週間ほど前から、社殿の正面に「茅の輪」が設えられている神社があります。
6月の夏越(なごし)の大祓(おおはらい)です。
身についた半年間の穢れを祓って、無病息災を祈るためで、社殿の前に設えた茅の輪を左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように3度くぐり抜けます。
私は無邪気に楽しんでやっています。

ギリシャから日本に帰化したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が「神道には、哲学も、体系的な論理も、抽象的な教理もない。そのまさしく『ない』ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた。神道は西洋の近代科学を喜んで迎え入れる一方で、西洋の宗教にたいしては頑強に抵抗する。これに戦いを挑んだ外人宗教家たちは、自分らの必死の努力が、空気のような謎めいた力によって、いつしか雲散霧消させられるのを見て茫然とする。それもそのはず西洋の最も優れた学者でさえ、神道が何であるか解き明かした者は一人もいない。(中略)
日本人の魂は、自然と人生を楽しく愛するという点で、誰の目にも明らかなほど古代ギリシャ人の精神に似通っている。この不思議な東洋の魂の一端を、私はいつしか理解できる日が、きっと来ると信じている。そしてその時こそ、古くは神の道と呼ばれたこの古代信仰の、今なお生きる巨大な力について、もう一度、語りたいと思う」
ハーンの素晴らしい把握力です。
私にとっての「祓い」とは、「夏越の大祓」の様な機会を捉えて我欲、我見、執着心などの異心を祓い、自分自身の心と向き合って、おおらかな気持で日常を見つめ直すという類いのものです。つまり「経営の嘘」の裏表紙に記載したとおり「呪術に凝る・現世利益を頼む」のではなく、「自分自身の思考の凝りを解き放つ」ためのものです。そういう風にご理解ください。
春吉省吾 2016.6.23
紫陽花紫陽花3紫陽花2

 

 

 

 

 

 

 

紫陽花にも色々な種類がある。土の成分によっても色が変わる。もっちりとした紫陽花の風情はまさに、梅雨の風物である。ただ、残念なのは、散り際が汚い。 そこに「盛者必衰の理」や「諸行無常」の本質を捉える感性がほしいのだが、日本人の穢れの感覚と花に対する拘りがそれを妨げる。
鎌倉のお寺では、枯れてしまう前にあじさいの花を摘んでしまうという。(写真は家の近くの散歩道)
茅の輪・代々木八幡
茅の輪くぐり いつも行く「代々木八幡」2016.6.20
東京オペラシティ

 

 

 

渋谷区と新宿区の境界です。
右側が「東京オペラシティ」、新東京国立劇場はこの奥。
2016.6.22
新宿中央公園

小雨の「新宿中央公園」
さすがに、だれもいない。
新宿のど真ん中の緑地。直ぐ西は都庁。今日から参議院の公示、道には選挙カーが走り回っていた。2016.6.22
熊野神社・新宿

 

中央公園の北側には「熊野神社」がある。
大きい神社だが、「茅の輪くぐり」はなく、一寸残念。小雨の中、コースを変えて来たのに……。
2016.6.22

「夏の熾火」から「秋の遠音」

福高講演会Bjpgニコライ堂築土神社出初め式の訓練あけましておめでとうございます。

平成28年新年、皆様の今年一年が幸多かれとお祈り申し上げます。

11月の11日に最後のブログをアップして以降、今日まですべての予定を無事終了し、風邪も引かずに過ごすことが出来ました。いゃあ、ブログも書けないほどに忙しい毎日でした。

「夏の熾火」の上梓をはじめ、講演会や、取材、そして多くの忘年会。体調維持が出来たのも、弓道や居合の日頃の稽古によるものだと思っています。
お陰様で流通を通してアマゾンなどから「冬の櫻」の結構な注文があって、手許には殆ど無くなりました。今後はより多くの方々に私の小説を読んでいただくために、次の手段も考えます。

ところで、年末29日から1月5日まで、大晦日と元旦を除き、かなりストイックな日常を過ごしました。毎年のことですが、事務所にこもって物書きです。加えて今年は、1時間以上のジョギング・ウォーキングも加えて、基礎体力アップを図りました。
昨年の11月に「夏の熾火」を上梓した後、丹念に見直しをしました。物語の全体構成を一読者の目で冷静に見ても、この小説は面白いと思います。うぬぼれでも何でも無く、歴史に残る作品だと自負しています。ただ誤字が多く、弊社のネットショップからの購入して頂く方の為にシール貼りなどして対処しています。校正の大切さを我が身に染みこませるためです。

作家の目と、校閲の目の双方を持つのは難しいと改めて思います。優秀な「校正者」を求めています。
正月休みの期間中、「風浪の果てに」という中編の全4章の第2章を執筆していました。ライフワークの長編時代小説「四季四部作」の最後の「秋の遠音」も書き始めました。夢中になって、ネットショップの改訂やプログラムの修正も後回しです。まあ、好きなことをやらせて貰っている環境と健康に感謝し、今年一年、オーバーヒートにならない範囲で頑張ります。
皆様の御声援をよろしくお願いいたします。春吉省吾
写真●福島高校講演会11月27日●クリスマスイブの神田ニコライ堂●平将門伝説「築土神社」12月25日九段下●出初め式の訓練1月5日東京消防学校・ジョギングコース

「夏の熾火」の新聞記事とお寄せ頂いた励ましのお便り

夏の熾火A111月1日から、正式に「夏の熾火」が発売される予定ですが、流通の滞りで未だ上手く市場に出回らないかもしれません。その際は、弊社ノーク販売の「ネットショップ」からお求めください。http://nork-hanbai.net/
弱小出版社ゆえなかなか思うに任せませんが、よろしくお願い致します。

添付したPDFは「夏の熾火」の新聞記事と、寄せられた激励のお名前の一部を記載いたしました。
一枚は、地元紀州和歌山の「読売新聞和歌山県版」10月28日朝刊と、取材でお世話になった、「和歌山市立博物館」の太田宏一先生と、「和歌山城管理事務所」の学芸員(当時)の久保香子様からのお

たよりと、「夏の熾火」の主な登場人物を記載致しました。
夏の熾火B1もう一枚は、小生の大切な大先輩・先輩方からの激励と、現在日本を代表する日本弓道界の先生方からの激励をご紹介させて頂きました。(お名前だけで失礼致します)
新聞記事は、私の地元の県民紙「福島民報」と「福島民友」の記事です。

「夏の熾火」という拙著の紹介記事ですが、それぞれの記者の方のテーマの切り口が違っていて実に面白いものです。
jpgにしましたので、読みづらいかもしれませんがご容赦ください。
鮮明な画像は、http://nork.co.jp/ のホームページよりご覧頂けます。
めっきり寒くなってきました。読者の皆様、くれぐれもご自愛あって益々のご活躍を!!