あと数日で「夏の熾火(おきび)」脱稿します

あと数日で「夏の熾火(おきび)」脱稿します。長かった。
「冬の櫻」「春のみなも」よりも先に、執筆し始めましたが途中で中断したこともあって、足かけ15年かかりました。
何時もの事ですが脱稿の最後の最後で、産みの苦しみを味わうはずです。そのためには体力と精神を鍛え柔軟にしておこうと、ジョギング・ウォーキングを2年ぶりに再開して、延べ16回になりました。時間はちょっきり1時間。最初は、身体が重くて、100メートルもジョギングできませんでしたし、公園で柔軟体操やベンチを利用しての腹筋も、全く出来ませんでした。
鈍った身体に驚きました。年相応に無理はしませんが、16回ほど諦めずに続けると、合計20分ぐらいはジョギングが出来るようになるから不思議です。
ところで「夏の熾火」のエンディングをどうするかということは、この物語を発想した20年前に決まっていました。「こういうイメージで終了する」という映像は頭の中にいつもあるのですが、細かな情況設定は、15年前に書き始めたときから微妙に変わり、脱稿するその瞬間まで変わるはずです。全体構成は不変ですが、その時その時間に書き込んだ言葉は、二度と同じ言葉では書けません。

というわけで体調を万全にして、エンディングを執筆するというのが、物書き春吉の拘りというわけです。

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いつの間にか紫陽花の花も咲き、先日は猛暑。私のジョギングコースは、旧玉川上水の暗渠の遊歩道も含まれます。道筋の側に消防学校があって、グラウンドでは、精鋭の消防隊員が、完全装備で訓練をしています。暑くなると休憩ベンチの上から、霧状の水が噴射されます。未だ6月の半ばだというのに、7月8月になったらどんなことになるかちょっと心配です。

 

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執筆と全体の整合性の為の手直し、誤字脱字のチェックで原稿は真っ赤になっています。無理をすれば、予定通り、この夏上梓は可能ですが、焦らずに9月中に上梓することに致しました。
紀州藩三人の天才弓術家の一生を描いていますが、長編時代小説4部作の、前2作とは違って、趣は全く違います。悲しく切ない1800枚の物語をじっくりお読みください。ご期待ください!!

ふくしまDC

DSC01448デスティネーションキャンペーン」とは、JRグループ旅客6社と指定された自治体、地元の観光事業者等が協働で実施する大型観光キャンペーンのことと記載があった。略してディスキャン(DC)と云うらしい。
ふくしまDCは、平成27年4月1日(水)~6月30日(火)の期間で、現在開催中である。
山手線のJRの駅などでは、福島DCのいろいろな立派な冊子が置かれている。しかし、私のように地元福島に関心があれば気がつくが、殆どの方にとっては関心が無い。
北陸新幹線開業キャンペーンに、マスコミの告知もそっくり持って行かれた格好だ。

5月26日火曜日、二本松市役所に伺った後、霞が城公園、大隣寺、二本松市歴史資料館、智恵子の生家と廻り最後は、大玉村のキャンプの管理棟の温泉に入って、福島市に戻った。
この日、私の訪ねた場所は、人とすれ違うことはあっても、目的地の先々にはだれも居なかった。
霞ヶ城公園、毎年10月から実施される菊人形では大勢の観光客を集客するが、周囲の売店は皆シャッターが降りていて、これが平日の観光地の現状なのかとふと不安になった。
上から下りてくる地元小学生の遠足の集団と擦れ違ったが、その後天守台には私一人、二本松市街を見下ろし、遠く西の向こうには、和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山、吾妻小富士と絶景。この時この時間、素晴らしい眺望を独り占めにした。

丹羽家の菩提寺、少年隊のお墓のある大隣寺も、寺の境内の掃除をする人以外、墓参客は居なかった。
歴史資料館も私一人で、しっかり時間をとってメモ出来たので私にとっては大満足だったのだが……。智恵子の生家と併設の記念館も私だけ。開店休業ですね。土日は入館者も多いのだろうが……。

前日の友人達の飲み会で「道に迷わなければ露天風呂は最高だ」と教えられた、「福島県民の森」のキャンプの管理棟、確かにナビが無ければ難しい。立派な建物で併設の温泉の質は最高、露天風呂最高、低温サウナもまた良し。私の他に風呂場にはだれも居なかったし、この後誰も入ってこないまさに貸し切り。いやいやいや「至福の時間」。DSC01483
夏になればキャンプ地として賑わうのだろうが、ふくしまDCキャンペーン中の、観光地二本松の現状、コメントを差し控えますが、各位は如何に。
翌日は、実家の大掃除をして、墓参りと、植木の剪定。前日もこの日も、福島は30度近い暑さ、さてこの夏はどうなるのでしようか。
ではまた。

●霞ヶ城公園の天守台から安達太良、吾妻小富士を望む●フォレストパークあだたら●
●わが家の墓の剪定作業●祓川に自生するコスモス●福島の実家・正面は福島県庁・福島県警本部・手前はやがて大原病院

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取材と癒やし

実家の3階から拙著「春のみなも」の主人公「初」は、東征軍が二本松城を陥落させ、次に福島に進攻しようとするその朝に城下を去ります。
その後の「福島」について、しっかり書かねばとここ二、三年資料を集めています。
「明治・大正・昭和初期」に養蚕業で栄えた、信達福島地方のことについて地道な取材や資料収集をしながら小説の構想を練っています。
主人公に鐸木三郎兵衛という、現在の福島の基礎を作った人物を主人公に据えた物語です。
受け継いだ全財産を殆ど使い果たして、福島の為に貢献しましたが、今は知る人も少ないようです。本来は福島駅か福島市庁舎に銅像が建っても良いぐらいの人物なのですが、人物が大きすぎて(常軌を逸した生き方と言えなくもない)その実像はなかなか掴めずに現在に至っています。
いつの間にか「福島」という町は矮小化して現在に至っていますが、原発の影響でその傾向に一層拍車をかけているのが現状です。
この小説を通して、次の福島がとるべき進路も見えてくるのではないかという自負のもと、物語の全体構成をしています。
それは、次世代の郷土の方々への「春吉省吾」の提言であり遺言でもあります。
多くの方に読んで頂けるよう、楽しく面白い作品にしようと頑張っています。

三郎兵衛が活躍した当時の「福島」の賑わいは、東北一、二いや、全国でも有数なダイナミックな町でありました。
その雰囲気を現在の人達に伝えるのはなかなか難しいのですが、母の元気なうちに色々と聞いておくのも大切な取材ですし、先輩、友人などあらゆるネットワークを駆使して「福島」の生きた歴史を辿りたいと思います。
母方の実家の本家は二百数十年以上辿れる家系で、福島の魚屋としては最も暖簾の古い店です。
父方は現在の伊達市の出です。伊達政宗の先祖「伊逹家発祥の地」です。色々あって私の祖父は5歳の時に豊田町の縁者に預けられ、奉公をした後、大正13年(1924年)に豊田町に印刷工場を開業します。現在その会社はペーパーカンパニーですが残っていて、私が代表取締役を務めています。創業から91年というわけです。

88歳になった私の母もお陰様で元気ですし、3ヶ月に2度ほど福島に戻って友人達との飲み会(そちらが主ということも……)も私にとっては大きな癒やしです。
二本松市役所二本松少年隊 (1)智恵子の実家 (1)智恵子の実家2福島とは密接な繋がりのある「二本松」の事も、本格的に取材や資料収集をはじめるべく順序を踏んで「二本松市教育委員会事務局文化課」の課長さんに御挨拶に出向き、ご協力を要請して参りました。

会津の付け足しのように貶められている「二本松少年隊」二本松藩、丹羽家の事などを「物語」にしたいと思っております。
また、二本松の偉人朝河貫一博士や、長沼(高村)智恵子などの人物は、福島中学、福島女学校で、鐸木三郎兵衛が活躍した時代に福島で学んでいます。
福島も二本松も私にとっては、大切な場所です。
次回へ (次回は岳温泉露天風呂、墓掃除と我が実家です)

●我が実家の3階から真っ正面に知事公舎が見える。福島城の一角です。
●二本松市役所 ●大隣寺二本松丹羽家菩提寺・少年隊戦死者供養塔
●長沼(高村)智恵子の生家 ●智恵子の生家の内部・客間