「秋の遠音」 只今執筆中~奧州下手渡藩の不思議~珍しい講演会をしてまいりました


●福島民報新聞・文化欄(縮小してあります)

 

 


●つきだて「花工房」
この施設を建てたことで、地区以外の多くの人が訪れただけでなく、音楽会など定期的な催事を開催し、地域のふれあいの場になっている。

 

 


●左から伊逹市仁志田昇司市長さん、月舘総合支所長、齋藤勇一さん、つきだて花工房支配人、斎藤伸市さん。左は私です。

 

 


 

 

●下手渡自治会長・渡邊好宏さん、伊逹市総務部理事・髙橋昌宏さん


●写真で確認したら、70名ほどの参加でした。暑さの中長時間、御清聴誠にありがとうございました。

 

 

 

9月10日の日曜日、福島県伊達市月舘町下手渡に行き、講演会をしてまいりました。
その朝、東京から新幹線で福島へ。福島駅には主催の下手渡自治会長の、渡邊好宏さんと、髙木さんが出迎えてくれました。福島市から車でおよそ40分の、つきだて「花工房」へ。ここは、食事も、入浴も、宿泊施設もあります。広大な敷地内の原野や、竹林、耕作地などを利用して、様々なイベントが組まれています。例えば、 自分たちで伐りだした竹を使って、樋をつくり、竹の流しそうめん体験や、 畑で収穫した野菜を使って、生地からつくるピザ体験など、家族ぐるみで自然の中で楽しく遊び学習できるようです。
「花工房」で食事のあと、近くの「下手渡地区交流館」へ。ここは、旧下手渡藩陣屋からも近い地区の集会所に向かいました。畳部屋でした。集まった方々は、座椅子の方、坐っている方、車椅子の方などいろいろで、後から写真でチェックすると70名ほどの参加でした。おそらく、地区の一家に1人が参加されたような案配です。色々な講演会をしていますが、畳敷きの部屋でこのような雰囲気で、お話ししたのは初めてでした。
当日は気温も30度を超し、会場の熱気もあり、さらに、通常では1時間ほどの講演なのですが、質問も含めて2時間近くお話しさせていただきました。汗びっしょりになりました。
お忙しい日程を割き、伊逹市の仁志田昇司市長さんにも最後までお聞きいただき、講演が終わっても雑談に熱が入り、仁志田市長さんの伊逹市の歴史・文化に向き合う真摯な姿勢に感動いたしました。
また、東京からわざわざ会場にお越しいただいた、拙著の読者のお一人、武藤洋経さんにも感謝申し上げます。
通常執筆途中で、その作品中の人物や、背景などについて講演するというのは作家としては無謀なことです。しかしこの物語は、幕末・明治維新期において、「下手渡藩」という一万石の弱小藩、現在の伊逹市月舘や霊山町、伊達郡川俣町、福島市飯野町などを含む下手渡と、三池(現在の大牟田市)の1500キロほど東西に離れた、その双方を管理した壮大な物語です。
気候風土、暮らし向きのあまりの隔たりに翻弄される藩士達を描くのも大変で、ともすれば挫けがちになる自分自身を、上梓前に「講演」をすることで、鼓舞するためもありました。
こうして、下手渡の方々にお話しした以上は何としても、面白く、日本中の人々にお読みいただけるような作品に仕上げなければなりません。歴史上、著名な人物も、多く登場いたします。
この先、じっくり練りあげて、大河の如き小説を作ろうと覚悟を新たにした次第です。
2017年9月22日    春吉省吾

9月「風浪の果てに」から「秋の遠音」へ 今年も残り3分の1、全力投球! VOL.31

 

 

 

 

 

●2017.8.14福島市の弁天山からの展望。
「風浪の果てに」の本文44ページから48ページ。主人公、沼崎吉五郎と京が、しみじみと城下を見下ろした同じ場所に立った。
中央には阿武隈川が流れ、その後ろは、福島城跡、現在は福島県庁。左の橋は天神橋、江戸期では奥州街道、福島宿の入り口であった。その手前は福島河岸。米沢藩を始め、江戸へ回漕するための米蔵が並んでいた。
この地点は、安寿と厨子王と母が、暮らしていた「椿館」の跡と言われている。

 

 

 

 

 

●弁天山・椿館跡。安寿と厨子王と母が、ここから旅立った。

 

 

 

 

 

●弁天山・椿館跡。この日、一時間ほど散策したが、誰にも出会うことがなかった。福島の中心から車で10分。最高のロケーションなのだが…。蝉時雨が何故か寂しい。行政の宣伝不足か?「風浪の果てに」、「春のみなも」も、市長はじめ、まともに読んでいる市の職員は少ないだろうからな……。

 

 

 

 

 

●持ち寄りの大御馳走。暑気払いを兼ねた「同級会」。風流な三味と、小唄も。


 

 

 

 

●福島近郊の8月14日、稲の生育は良好と思われたが、その後の長雨と日照不足でどうなったか心配だ。

 

 

 

 

 

●9月に入って、朝のウォーキング。
中野通りと方南通り、新宿に続く南台交差点近くのサルスベリの並木が満開。

◆私のスケジュール帳は、9月始まりなので、毎年買い換えるたびに8月までの事を振り返ります。
ここまで、相変わらず多忙でした。忙しさの筆頭は、3月に長編小説「風浪の果てに」を上梓し、福島脱藩浪人沼崎吉五郎という人物を「生き返らせた」ことです。
事件に巻き込まれ、伝馬町に繋がれた吉五郎。西奥揚屋の牢名主となり、吉田松陰の遺書「留魂録」を預かり、三宅島に流されて15年。明治7年に赦免になり、東京に戻ってきます。その2年後に、松陰の妹二人を嫁にした楫取素彦に連絡を取るが叶わず、ようやく「留魂録」を野村靖に手渡します。以来、吉五郎の足取りは杳としてわからないままでしたが、「風浪の果てに」では、その後の吉五郎の悠々たる人生を描いています。ヒロイン達も活き活きと描ききったつもりです。
勝てば官軍、生き残った長州閥の跋扈によって、現在も根強い長州人脈が存在し、彼等の実力は過大に語られています。楫取にしろ野村にしろ、久坂玄瑞にしろ、2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で描かれるような人物ではありません。司馬遼太郎さんの、幕末、明治維新の人物描写もそのまま鵜呑みにせず、吉村昭さんの幕末の小説を読むことをお薦めします。

「風浪の果てに」の脱稿から上梓までの間に、編集作業、表紙や、本の装丁等々、印刷業者との打ち合わせ、ネットへのPR、チラシ作り、パブリシティ活動など、作家活動の他にもあらゆる作業を独りでやっているため、年末も正月もありません。(いつものことです)
加えて、上梓間近の2月に田舎の母が、大腿骨頚部骨折で入院した事も重なって、東京・福島間を往き来し、疲労はピークでした。
ようやく「風浪の果てに」が仕上がって、私のところへ運ばれてきましたが、運搬員が、車をぶつけてミラーを壊したとかで、ブツブツ言うだけで、まともに働かず、本の搬入を殆ど一人でこなしました。いゃあ、大変でした。「本は重い」のです。自作の本は尚更です。
疲れが更に重なって「帯状疱疹」の痛さも経験しました。
まあ何とか世に出した「風浪の果てに」は、3月25日の週の、セブンネットサイトの「新着・本・コミック」1週間売上ランキング1位になりました。作家としては、もっと多くの方に読んでいただきたいのですが、何分超零細出版社で、取次も、東販の下請け会社なので、販売力は微弱です。何れ何とかしたいものです。読者の方々の中で流通・取次会社の「つて」をお持ちでしたら、ぜひご紹介・仲介をお願いいたします。

弓道の早朝稽古は、週2回、何とか時間をやり繰りして続けています。6段を取得してから、武道、特に弓道の本質は体軸と手の内にありという信念から、中りを度外視して、基本からやり直して2年、最近ようやく、微妙な「技」の感触が10射に1、2射、体感できるようになりました。
46歳からはじめた居合も今年で20年。やはり体軸と手の内、技の緩急を身体に覚え込ませるために、ここ半年、隙間時間を縫い、毎日、抜きの稽古をしてきました。短い時間でも、精神を研ぎ澄まさないと、本身(真剣)ですから、怪我をしてしまいます。
お陰様で、6月末日に大阪で行われた、全日本剣道連盟の居合道の6段審査に合格することができました。
これで、弓道も居合道も6段を頂き、時代小説を書く上で、弓や刀の扱いを描写する際の、リアリティは他の作家よりもあると、自負しています。
そんなことから、役者達が、弓と剣を扱うシーンを映画やテレビの中で見ると、どれだけ熟達しているかという観点からつい眺めてしまいます。
昭和の有名な時代劇スターでも、まともに弓を扱える役者は残念ながら一人もいません。剣の扱いが上手な俳優は、昭和の初めから現在まで、勝新太郎さんただ一人です。視聴者を喜ばせる事を重視する殺陣師さん達も、見てくれだけでなく、真剣を扱うとはどういうことなのかと、その基本を学ぶべきです。

現在、長編時代小説四季四部作の最後の作品「秋の遠音」を執筆中ですが、6月に下手渡自治会の渡邊さんという方から、
「下手渡藩の事をお書きになっているようですが、下手渡や三池の事をお話しいただきたい」
という依頼がありました。
執筆途中で、その作品の人物達や、背景などについて講演するというのは、かつて聞いたことがありません。ずいぶんと躊躇しましたが、引き受けることにしました。
伊逹市月舘や霊山町、伊達郡川俣町、福島市飯野町などを含む「下手渡藩」の存在は、地元の方もあまり知りません。また、立花家が下手渡に移封になって45年後、下手渡の一部と、旧領の三池(現在の大牟田市)の一部とが交換になり、1500キロほど東西に離れた双方の管理が必要となりました。
それぞれの郷土史家達の資料は微妙に食い違い、その資料も少ないのです。このままではこの歴史的な事柄が埋没してしまいます。
講演会で地元の人達と懇談し、この地方の歴史を再認識して貰い、地元の活性化に少しでもお役に立つことが出来ればいいなと思っています。
というわけで、この9月10日に、伊逹市の「下手渡地区交流館」で講演して参ります。
すぐ隣には、「つきだて花工房」という、自然の中に建てられた宿泊施設があります。良いところです。機会があれば訪ねてみてください。今回は残念ですが、そこには宿泊しないで戻ります。
ともあれ、戦国時代の九州の猛将、高橋紹運の子立花直次(兄は立花宗茂)を藩祖とする三池立花家が、遠く東の奧州下手渡に移封となり、最後は三池に戻る、廃藩までの歴史は、幕末・明治初期の激動を舞台にした、壮大なスケールの大河小説に相応しいものです。
ここ数日、PowerPointで、講演会用のスライドを作っていました。
その講演会の報告は9月の後半にお届けできると思います。お楽しみに。
2017年9月6日 春吉省吾