言挙げぞする~人智の及ばざる処だが、それを悪化…… VOL.45

●平成30年6月18日の大阪北部地震からそう日が経っていない7月5日午後2時、気象庁が緊急会見を開き、「非常に激しい雨が断続的に数日間降り続き、記録的な大雨となる恐れがある」と最大級の警戒を呼びかけた。この日から西日本の広い範囲で大雨となり、甚大な被害となった。7月9日に気象庁は「平成30年7月豪雨」(西日本豪雨災害)と命名した。
7月18日 14時現在、NHKの取材によると今回の記録的な豪雨で、これまでに広島、岡山、愛媛を中心に、216人が死亡し、15人の安否が不明という。心よりお見舞い申し上げますという以外に言葉がみつからない。被災地域の1日も早い復興をお祈りします。
被災地をはじめ、列島はうち続く熾烈な暑さにぐったりしている。

●この現象はCO2による人為的地球温暖化説など吹っ飛んでしまうような、地球環境の恒常的な変動の時期に入ったと認識している。
昨今、多くの科学者の主張によれば、CO2等の原因による地球温暖化説とは違い、今後、地球全体が寒冷状態になるという。地球環境の苛烈な変化はその氷河期に入り始めた初期の現象で、猛烈な暑さや、寒波、大雨、旱魃等の激しい気候変動はこれから10年から20年程続き、やがて平均化し気温は着実に下がり、今後200年から250年間続くというのである。興味のある方は、最近の科学論文を見て頂きたい。
また、地球そのものが活発化し、世界規模で地殻変動が起きている。日本も当然、いつ巨大地震や火山の噴火が起こっても不思議でないその真っ直中にいる。
何れにしても、何時何処でとのような規模で天災が起こるか判らない。全て後追いなのだ。

●地球は人間(の文明)によって気温や気候が変化させられるのではなく、それらはすべて地球と宇宙が持つ時間的なサイクルの中で決められている。気候の変動に関しては「太陽」が大きく関与し、全て「地球」は受身にしかすぎない。いわんや、そこで生きている人間を含めた生命体も、その影響下にある。
つまりは悠久の天地の在り方は人智の及ばざる処と解釈すべきだ。
天災を避けることは不可避だが、先の東日本大震災で東電が犯した原発事故のように、減価償却期間を越えて稼働すれば丸々利益を得られるというような姑息な手段によって天災を更に助長させる様な人災を決して生じさせないように、情報のオープン化、指導者達の意識を根本から変えていくしかないのだが……。

●「気球温暖化説」を取ろうが「氷河期説」を取ろうが、向こう10年間の気候変動は、今まで以上に激烈な、熱波と寒波が交差する気候になる。
さて東京オリンピックは2020年7月24日(金)~8月9日(日)に開催される。パラリンピックは、2020年8月25日(火)から9月6日(日)までの開催。
よりによってなぜ猛暑の時期に開催するのか?
ここに来て、屋外での競技時間を早めるような、小手先の変更をしているが、選手や屋外の観客にとって過酷なことには変わりはない。
気候の良い、梅雨前の春や、台風の来襲が一段落した秋にどうして実施しないのか。
理由は簡単、全て「銭の世界」なのだ。オリンピックはもはや、銭に群がるハイエナたちの集金システムと成り下がり、IOC(国際オリンピック委員会)は莫大なTV放送権料やスポンサーを獲得するための機関であるからだ。
世界中のスポーツ大会を見てみると、8月中旬からは欧州各国でサッカーのリーグ戦が開幕する。9月は一番多く放送権料を払うアメリカでNFLが開幕する。メジャーリーグはポストシーズンに入る。10月はアメリカ・メジャーリーグのワールドシリーズが始まる。6月は欧州サッカー、ユーロ(欧州選手権)がある。この時期と重複しない期間が上記のオリンピック開催期間というわけだ。

●オリンピック組織運営の裏側は、こんなものだ。いくらアスリートファーストをテレビやポスターで宣伝しようが、どうにも違和感を禁じ得ない。
IOCやJOC(日本オリンピック委員会)の役員達の金臭い顔は見るに堪えないし、さらにその背後には様々な代理店はじめ巨大な利益を貪る企業集団がおり、その下請け、孫請け、曾孫請けが仕事に群がり、それを政治的に利用する人物が跋扈する。マスコミはじめ、あらゆる団体が「美しき感動のオリンピック」と鼓舞する。この実態を指摘すると、非国民扱いを受けてしまう。

●このオリンピックという代物は、絶対失敗がない。失敗しても「失敗無しと強弁できる」のだ。シンボルマークや競技場設計のやり直し、過大な水増し見積もりなど、様々な問題があったがいつの間にかあやふやになってしまったではないか。いい加減なことをやっても、全て隠蔽しJOCの役員以下誰も責任は取らない。
本来ならば、JOC会長以下、開催都市である東京都の担当者達は総辞職して然るべき問題なのだ。(その点では、小池東京都知事は頑張ったと評価していたが、豊洲問題と自分の政治的野心を絡めてしまい、最後の詰めが出来なかった)
違約金・水増し工事など、支払わなくていい金額が、数百億円余分に支払われている。これらは全て税金で補填される。そうして「日本中が感動し、素晴らしい大会であった」と幕引きするのだ。その後に起こる日本国民への負債や、過剰設備投資による不況、建造物の恒常的維持費の負荷などお構いなしだ。
オリンピックというイベントが残り2年後を切った今こそ、我々日本人は冷静に考えるべきなのだ。1964年に開催された第18回夏季オリンピックとは、置かれた状況が全く違う。当時の国威発揚と現在の日本の置かれている環境は全く異なっている。

●これらオリンピックの一連の背景を知るにつけ、私は法華経の「従地涌出品」第十五を思いおこす。
「善く菩薩の道を学びて、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し。地より涌出し、みな恭敬の心を起して、世尊のみまえに住せり」とある。
(汚れ切った世間にあっても、 汚れず清らかなかれらは、あたかも蓮華が泥水の中から出て来て華を咲かすように、今日ここに集まってきたのだ。)
「如蓮華在水」という法華経の中でも、有名な部分である。
私は仏教者ではない。法華経経典としての意味づけから外れるが、法華経を漢語に翻訳・創作した、鳩摩羅什の苦悩と汚辱に満ちた経験に沿った解釈をする。

●泥水のオリンピック組織の中で、アスリート達は蓮華の花である。青春の全てを賭け、己を信じて、オリンピック選手に選出されるために厳しいトレーニングを積み、命の限り戦う。その動機はさまざまだが、自分自身と戦い、あらゆるものを捨てて、オリンピックという場に上る。
2020年夏季オリンピックでは、33競技339種目が実施される。パラリンピックは22競技537種目が開催される。
人間が全てを賭けた姿は美しい。肉体的にも精神的にも限界まで鍛え上げ、運にも恵まれた勝利者は、まさに泥水に咲く蓮の花だ。勝利を信じて、戦い燃焼する姿に感動しない者はいない。そして日本人が金メダリストになれば、我が事のように誇らしい。メダリストになった勝者は人生の中でも輝ける瞬間であるに違いない。

●東京オリンピック・2020大会ビジョンは「スポーツには世界と未来を変える力がある」というものだ。そして3つのコンセプトは
「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、 「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、 「そして、未来につなげよう(未来への継承)」 を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、 世界にポジティブな改革をもたらす大会とするというものだ。
このビジョン、コンセプトはあまりに陳腐だ。ここまで見てきたようにIOC、JOCの組織の実態とは、対極のアイロニカルな言葉である。
コンセプトの3つ目(未来への継承)のなかで、「東京2020大会は、成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく」とある。
IOCは「Olympic Legacy(オリンピックレガシー)」という考えを提唱し、それにより競技施設やインフラ整備が図られ、人々の利便性が高まり、より豊かな暮らしになっていくという。この「オリンピックレガシー(遺産)」という発想は、今や時代遅れのモノ思考で根本的にずれている。

●かつてオリンピックを開催した都市は、その後、競技施設の維持費にどれ程苦しんだか歴史の知るところである。我々東京オリンピックに課せられたポリシーは、将来に向けた、無形の資産を形成、具体化することがイノベーティブで、ポジティブな実施コンセプトだ。それが本来オリンピックに求められるもので、「法華経の慈悲のこころ」に通ずる。
蓮の花に昇華したアスリートの陰に、不運にも夢が叶わず、朽ち果てた種子がどれほどあったろうか。日々の暮らしに不安を抱えながら、オリンピックを目指すが、不幸にもオリンピック出場もかなわなかったアスリート達の、第二の人生を補助できないようでは、成熟国家とはいえない。敗者となったアスリート達を掬い上げる経済的組織を作り上げる智慧が必要だ。それこそが「法華経の智慧」ではないか。挫折を糧にして乗り越えようとする人材が、次世代の日本を担うもっとも必要な人材なのだ。
無駄に使われ、おそらくこれからも無駄に使うであろうそのコストをあらかじめ先取りして、恵まれなかったアスリート達の経済的援助をする財団を作るべきだ。但し、くれぐれも官の天下り先にならないような組織にしなければならない。

●既に日本に残された、時間と資金は限られている。
PwC(プライスウォーターハウスクーパース)というイギリス・ロンドンに本社を置くコンサルティング会社が2017年版最新の 「2050年経済大国予想ランキング」を発表した。
それによると日本は大幅ランクダウンして、世界8位という。1位中国、2位インド、3位アメリカ、4位インドネシア、5位ブラジル、6位ロシア、7位メキシコ、8位日本、9位ドイツという結果が出た。
現在3位の日本が、2030年代には急速に国力が衰え、2050年には8位の地位に甘んずるという予測である。経済力に頼ってきた日本は「金の切れ目が縁の切れ目」となって、他国に対する発言力が一気に激減する。
実質GDPシェアは1990年当時、世界経済 の中で15%を占めていたが、2050年には3%弱になる。銭のばらまき外交は出来なくなるのだ。
人口急減、超高齢化は、いかんともしがたい。加えて、日本の低成長経済と膨らむ負債、日本全国の中小都市の殆どが、シャッター商店街になり、日本のマンションがスラム化し、道路や橋梁などのメンテナンスも出来なくなる。オリンピックで作った「箱物」はどれ程国力を圧迫するか普通の想像力があればわかる。「レガシー」が負の象徴、「廃墟」になる。

●アメリカはトランプの保護貿易のような目先のごり押しで、国力昂揚をすればするほど力が削がれる。アジアの秩序を左右する中国は、虎視眈々と日本の国力低下を狙っている。しかし中国も、実体を伴わない資本投資でこのまま一体一路政策を推し進めると、経済不調に陥る。2020年代に分裂、崩壊すると予想する学者もいる。
現在、習近平体制の独裁が加速化しているが、国内外の民主化勢力の弾圧、IT・ビッグデータ管理で農民の不満を未然に察知し抑え込もうとしているが、そうはいかない。
後漢の黄巾の乱、 唐末の黄巣の乱、 元末の紅巾の乱、 明末の李自成の乱、 清中期の白蓮教徒の乱、清末の太平天国の乱など、中国共産党政権が最も怖れているのは、今も昔も農民だ。
中国共産党は、民主化勢力と農民が結びつくことに神経を尖らせているが、早晩その箍は外れる。日本は、この先これらの国々と微妙なパワーバランス政策を採り続けなければならない。

●そして、日本が、中国、インド、アメリカにとって未来を決めるための変数になり得る間に、即ち影響力があるうちに、日本人として何をどうするかという根本の哲理を持たないといけない。
拙著「言挙げぞする」は、私の思想の一部を要約し、卑近な例を用いて記述したが、それを急がなければならないのは、この一文に記載したとおりである。
今後、世界を変える技術革新は、情報技術、機械化と生産技術、資源管理技術、そして医療技術の4つであるという。〈「2030年 世界はこう変わる」(米国国家情報会議=編)〉
なるほど、これら4つの技術革新は、今後の日本の未来に確実に影響を与える。しかし、日本国民として、江戸・明治・大正・昭和・平成に至るまで、複雑に絡み合った、儒教、仏教、道教、神道は様々な夾雑物と混じり合って、日本哲理の物差しが役に立たなくなってしまった。その物差し(価値を判断する基準)を使えるようにするには、日本人一人一人が宗教観について、きっちりと考えることである。私は多くの日本人が腑に落ちるような哲理は、原始神道(古神道)の中にあると結論づけた。原始神道は、決して国家神道や神社神道ではない。
明治から昭和初期まで、完全に排斥されていた縄文文化は、柔軟で粘り強い、あらゆることを包含し、強靱な思想である。縄文のDNAをもつ我々日本人にはその精査こそが必要なのだ。拙著「言挙げぞする」にその一部を記載した。是非読んでもらいたい。

●地球上の自然の猛威は「人智の及ばざる処」だが、それを悪化させ、更に加速させているのは、残念ながら「強欲と不浄の革袋である人間のあざとさ」だ。
権力欲に取り憑かれた指導者が、口先三寸で、事実を隠蔽し、日本に残された最後のチャンスを無駄に潰すのは許しがたい。安倍晋三はオリンピックまで居座り、歴史的「箔」を残したいのだろうが、昭和の妖怪と言われた、祖父の岸信介にはまだ確たる信念があった。
自民党も、連立を組んでいる公明党も、権力に取り憑かれるとこうも堕落するのだ。参院定数6増改正案成立やカジノ法案「IR」法案の強行採決など「末期症状」だ。あるべき国家デザインに逆行し、これ以上国力を削いでどうするのだ。南海トラフト・東海大地震・富士山大噴火などひとたび起きれば、今のままでは日本は、壊滅する。GDP8位に留まるどころか、巨大負債国に成り下がるだろう。
野党もひどい。ステレオタイプな批判がニュースで放映されると、チャンネルを変える。

●その権力を支えているのが中央官僚達だが、せっかく優秀な頭脳を持って生まれた彼等の官僚としての矜持は何処へ行ったのか。優秀な頭脳とは、単に「情報処理能力」「記憶力」そのスピードに優れているだけだとしたら、その能力は簡単にAIに置き換えられる。「コミュニケーション能力」も権力に阿る「忖度」に堕ちてしまった。本来の知恵者は、深い知識、発想力などが必要だが、官僚の前に、事の本質は何かと考える物差しがなければ日本人としての体をなさない。明治以来今に至るまで、正しい歴史観と宗教観が欠如している。それらを学ばなかったのだからあたりまえなのだが、それを認めて、先入観を捨て本気で学べば、若い世代は、まだ間に合う。
実は明治以来の国威発揚と、グローバル競争に勝ち抜くためのナショナリズムは同質だと言われて久しい。それでは何の進歩もない。同じ失敗の轍を歩むだけである。
しかし日本人としての正しい歴史観、宗教観に基づき、その哲理をひとり一人が醸成する事により、結果として新しい異相のナショナリズムがうまれる。世界に伍す個性的日本人が生まれる。国力8位になろうとも、そういう日本人がいれば、問題解決能力の高い、こころ豊かな日本人の暮らす日本が存在し続ける。
2018.7.27 春吉省吾

●写真説明
◆酷暑の午後3時30分、新宿南口の人混みは何時ものおよそ4分の1。サザンテラスは人影もまばらだ。2018.7.24
◆一昨年、8月上旬、福島の国見町で撮影した中禅寺蓮。
古戦場(阿津賀志山防塁)の眼下に咲く。平泉中尊寺に伝わる藤原泰衡(第4代当主)の首桶の蓮の種が800年の眠りから目を覚まし開花した。蓮の種を中尊寺から預かりここに移植。

紀伊國屋書店台湾 VOL.44

数日前に、「言挙げぞする」というワードで検索したら、ヤフーのサブジェクト機能に「紀伊國屋書店台湾」というサイトが表示されたので、さっそく開いてみた。(写真添付)
購入するのは在台湾の日本人だろうが、著者の立場からいろんなことを考えた。
「言挙げぞする」の14章「儒教の宗教性と仏教」─本当の儒教を知らない日本人─では、孔子以前の儒から考え起こして、儒教の強烈な「宗教性」を明らかにした。中国にあっては儒教は宗教そのものなのだ。本来宗教とは「宗教」+「道徳」が必ずセットになって、宗教となる。
「宗教」とは生死観の核心部分を指す。日本では宗教教育が行われていないので、宗教とはどういうものかわからないまま、「道徳」のみの偏頗な理解しかない。あわせて、世界の宗教がどんなことなのかと、比較することも全く学んでいない。これは、近い将来、日本民族にとって致命的なことになる。(既になっていると言い換えてもいい……)
日本人の儒教観は、論語や朱子学・陽明学(宋学)などの道徳部分の「儒学」しか理解できない。誰からも、それ以外のことを教えられないのだから当然と言えば当然なのだ。江戸中期から明治・大正・昭和とそれをよしとして現在に至っている。だから「中国人」と接するとき、間違った物差しをずっとあててきたのだ。(これを30年前に正しく指摘した学者は、加地伸行先生ただお独りであった)
台湾人達は同族なのでそのような過ちは犯さない。大陸の中国に常に政治的にも経済的にも呑み込まれてしまうという危機感を抱きながら、日々暮らしているので、拙著の内容を遙かに敏感に理解するはずである。「儒教」の脅威が何であるかという根本を理解出来ない日本人は、中国の大きな脅威に対抗できない。同時に個としての中国人の生死観を知らないのだから、彼等と真摯に向き合うことが出来ないにきまっている。
儒教に限らず、日本的亜流「仏教」となってしまった、檀家仏教・葬式仏教も浅い。それら間違った物差しを修正する糸口として、拙著を役立ててほしいものだ。

ワールドカップ予選リーグで、日本チームがベスト16に勝ち上がった。
試合終了のホイッスルを聞くまで同点ゴールを目ざせば、観衆からブーイングを浴びることはなく、果敢に戦ってフェアプレーポイントの優位性が崩れ、セネガルに2位を譲ることになっても、美しき敗者、勇敢な行為を為し遂げるサムライとして讃えられたという意見がある。
日本チーム率いる西野監督の指示による、後半10分のボール廻しは、「武士道」にあるまじきことだという批判だが、それは全くの見当違いだ。国技に近く馴染んでいる欧州や南米のサッカー国のサポーターが皮肉ややっかみで言うのは放って置けば良いが、日本人がそういう発言をするのは実に甘く浅い認識だ。
そもそも「武士道」とは何かという概念を理解していない。

作家、司馬遼太郎氏は戦後の日本人が失ったものとして「武士道」をあげた。武士道が美徳とする礼節、忍耐、貞節、忠義、責任、潔さ、名誉、尚武の気風等々は日本人が失ったものだという認識である。特定の宗教をもたない(と思っている)日本人にとって、それに代わる唯一の倫理規範が武士道というわけだ。しかしそれはあくまでも一面的なことである。
実は「武士」というものが世の中から居なくなって久しい明治も後期に入った19世紀の終わり頃から「武士道」という言葉が流行った。この「武士道」とは、近代国家を目指す時期に創られた言葉である。
1899年に『Bushido: The Soul of Japan』「武士道」という著書を残した新渡戸稲造博士は、武士道の7つの徳(礼、忠義、誠、名誉、仁、勇、義)をベースにして、日本人は倫理観が高く、国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されており、とくに武士はそういう意識が高いと説いた。日本人はキリスト教徒ではないが、決して野蛮人ではないということをアピールしたかった。日本にも西洋の騎士道に似たものがあり、実践されていたと、欧米人に知らしめるため、武士の道徳的価値観の中から、理想的部分を選んで作り直し、日本社会が過去から受け継いできた倫理観の理想を描いた創作なのだ。
倫理性だけをみれば江戸時代の武士よりも、商人の方が高い倫理性を発揮しており、慈善事業は、もっぱら経済力のある商人や篤農家がおこなった。
むしろ真の武士道を知るには宮本武蔵の「五輪書」を読むのがいい。13歳から61歳の生を終えるまで、真剣勝負をし続け、約60の試合すべてに勝利した。「五輪書」は戦いをするために必要な準備、そして実際に戦うときの考え方、心の持ち方、体の使い方が書かれている。また戦いのみならず、人間行動の核心をつく本質が簡潔に書かれている。しかしかくいう武蔵も、53歳の時、島原の乱では小笠原家の隊長格で久々に出陣したが、足に一揆軍の投石を受けて負傷し、大きな働きはできなかった。情報収集が甘かったのだ。

諸般の事情で、急遽日本代表監督を引き受けられた、西野監督の心中の辛さは、察して余りあるが、本戦までの短い間に、勝つための、あるいは負けないための情報を集めたことであろう。予選突破が絶対命題である限り、監督として、個々の選手達の心を掴み、戦う集団として鼓舞し、更には新しく導入された、1)ビデオ判定、2)戦術的な目的で電子機器を使用可能、3)決勝トーナメントの延長戦における4人目の交代、4)フェアプレーポイントの規定などをどう使いこなすか、コーチ陣とのコミュニケーションも大切であった。特に問題の10分間のパス回しなどは、2)、4)などを徹底的に利用した結果である。西野監督は、自己の意志決定を信じ、自力であろうが他力になろうが、腹を括ってぶれなかった。監督を信じて戦った選手達も立派だった。
この決断は、120年前に創作された理想の「武士道」イコール日本人であるという従来のステレオタイプの考え方を変えた、新しい日本的実践思想に通ずるものであると私は評価する。
日本人が世界に通ずる「武士道」を新構築するためには、あらゆる武道における「残心(身)」を、もっと深く考えることが必要である。この私論は、日本人が世界に対して新しい一歩を歩み出す、大切な実践論になると思う。「残心(身)論」については、体系的な説明が必要なので、何れ講演会などで直にお話し出来ればと思っている。     平成30年7月2日  春吉省吾

写真説明上から
●「紀伊國屋書店台湾」のブログに掲載されている「言挙げぞする」。著者としては変な感覚だ。
●友人が送ってくれた飯坂温泉の「ラヂウム玉子」。この美味さを知ると他のどんな温泉玉子も食べられなくなる。
●猛暑の「梅雨」と思っていたが、いつの間にか「梅雨明け」だという。近未来の自然現象はこの先も、予測不能のようだ。