痛快幕末時代小説「怪物生成」をぜひ読んで欲しい+「破天荒解」

●10月7日・新宿熊野神社。参拝客私一人。ジョギング・ウォーキング
●10月10日・下北沢・日曜日。人出は戻った。ジョギング・ウォーキング
●10月19日・都庁で免許更新。こんなところにこんな空間がある。

江戸天保時代の後半から、幕末の激動期を春吉省吾の歴史観に基づいて執筆しているのが「初音の裏殿・第一巻~怪物生成~」です。第一巻の「怪物生成」の裏表紙に「醜悪な社会を正す 天才金吾の活躍が始まる」のコピーの通り、主人公宇良守金吾が大活躍をします。
第二巻の「破天荒解」の執筆は、400字詰めの原稿用紙にすると280頁程書き進めました。残り300頁として、およそ半分です。第二巻も、金吾の知略と実行力のもと、宇良守軍団が大活躍します。
戦後の日本の政治家や経済人がせめて金吾の十分の一程の矜持と実行力を持っていたら、現在のように国家戦略も不定見のまま、窮地に立たされることはなかったでしょう。
愚痴は止しましょう。第一巻は、未だ18歳の若き金吾が、領民とその親しい組織のために知力と実行力を駆使しましたが、第二巻でもその活動に一層磨きがかかります。しかし同時に厳しく辛い試練も経験します。
第二巻でも金吾と絡む歴史上の人物は、新しく発掘した資料も援用し、より深く調べあげたので、物語に深みが加わっています。従来発見されなかった、あるいは繋がりがなかったと思われていたエピソードの集積作業とその取捨選択に多くの時間を費やしましたが、その成果はありました。

 

幕末歴史小説は先輩諸氏の手によって様々な切り口で書かれています。私、春吉省吾は戦後から今日に至るまで先輩達が書いた幕末明治初期の歴史時代の歴史認識を尊重しながら、私なりの歴史認識に基づいて執筆しています。戦後76年、日本が辿ってきた時間的歴史的経過を踏まえ、新たな視点で見ていくと、僭越ながら従前の幕末歴史時代小説は、どうにも狭量な感じがしています。私の執筆動機の一つです。
私は還暦から物書きを始めた遅まきの作家ですが、従来の日本の作家先生方の多くは、六十の半ばを過ぎると、想像力とみずみずしさを途端に失い、中途半端な駄文が多く見受けられます。ましてや、長編、超長編などをその年から書き始めるような「無謀」な所業をする先生方はあまり見受けらません。高齢になられて、筋立ての入り組んだ小説をお書きになっても無残に「あれっ」……という作品を何作も目にします。
私の場合、これまで実業に関わっていたので、作家スタートが遅れました。コンサルタントとしてデザイン・イベンターとして、裏方で、地ベタを這って活動してきた分、その様々な体験が、この年になってようやく見えてきたようです。若くして作家デビューされた方や、新聞記者や、出版編集者から小説家に、評論家になった方とは大分違うわけです。まあ、私の場合は本気になって勉強を始めたのは30歳の中ば過ぎてからでしたからね。

 

この7月に上梓した「初音の裏殿」シリーズ第一巻には、天保15年(1844年)の琉球(沖縄)の状況が描かれています。ペリーが浦賀に来航するのは、嘉永6年(1853年)の6月3日ですから9年前です。
主人公の宇良守金吾は、天保15年3月にフランス艦隊が来琉した、琉球王府の混乱の直後に、渡琉しました。残念ながら艦隊とは直接遭遇できませんでしたが、艦隊が滞留させたフランス宣教師にも面会しました。日本本土で一番最初に、オランダ人以外の異人と海外の状況について話した人物として描きました。
皇室の血をひき、古典の造詣も深い金吾ですが、同時に、アメリカ・イギリス列強の思考方法に強くひかれ、この後も実際に確かめる機会を窺います。帝の血をひき、日本叙情豊かな心根と造詣を持つ金吾ですが、一方で列強の思考にも強烈な興味を示すそのアンバランスの不思議な均衡は、形而上的な思考に固執する尊皇攘夷とは全く異質な孤高の存在です。
第一巻をうけて、第二巻の「破天荒解」は、ペリー来航の前までを描きます。

 

さてもう一つ、この「初音の裏殿」のシリーズの骨子となる宇良守藩旗本6千石は特殊な環境に生成された藩です。幕府は事あらば廃藩に追い込みたいのですが、将軍家斉が、金吾の祖父に与えた「永世安堵状」と光格天皇の「御宸翰」の二つによって、辛うじてその立場が保持されています。
弱小藩ゆえ、様々な交渉術、そして経済力が必須なのです。交渉術とは「外交」です。
プロイセン王国の軍人・軍事学者であるクラウセヴィッツは、「戦争は外交の延長である」と喝破しました。まさに宇良守藩は、幕府幕閣・奉行、有力大名、大商人達と対話、宥和、時に相手を策に陥れるという、捨て身の「外交」を展開しています。
祖父愼吾、父省吾、主人公金吾のその巧みな外交術は連綿と承継されています。
まさに外交は、戦争の延長です。外交交渉は武器を持たない「常在戦場」であり、弱小の宇良守藩にとって、常に外交優位に立つためには、情報収集の確度の高さと広さ、強固なネットワーク作りが必要です。それを元に、金吾の天才は生かされます。「攘夷、攘夷」と騒ぐ輩達も、できるだけ敵に回さず、味方にもならず、あらゆる手を使い攻略し、防御するのです。
今置かれている日本の危うい立ち位置は、こういう最も大切な事を戦後76年置き去りにしてきたツケそのものなのです。宇良守藩の金吾の天才に及ばずとも、せめてその百分の一程をこの小説からに学んで、この危機を回避してほしいものです。現状を危機と思わない情報無知の方には、私の過去のブログを精読ください。
マーク・トウェインはかつて「歴史は繰り返さないが、韻をよく踏む」と述べました。歴史は不可逆的であり、同一の事象は二度と起こりませんが、経済バブルとその崩壊のように、表面上の形は違っても、パターンとしてはよく似た事象起こります。まるで韻を踏むようにしてくりかえし起こるのです。
例えば、第一次世界大戦が始まるまでの 50 年間には、汽船や機関車、電気や通信といった技術の目覚ましい発展がありました。多くの人がこの期間を「第一次グローバル化」の時代と呼んでいます。この時代1910 年のイギリスでは、最も豊かな 1%の人々が国内にある富の 70%近くを手にしていたのです。技術革新がもたらす利益の不平等性、また、貧困の格差と格差の深刻化が反動的な動きに拍車をかけていました。これは悲劇的な結末をもたらしました。近代技術が大虐殺と破壊のために徹底的に活用されたのが第一次世界大戦です。
そして今、 アメリカでは、上位1%が持つ資産が下位90%が持つ全資産よりも多いという経済的格差が目立っています。
グローバル化が進み、その悪しき現象がコロナ騒動によってさらに顕在化しています。
金融資本家と、IT情報のプラットホームを牛耳った金融成金は、国家を飛び越えて、地球規模で世界の情報をコントロールし始めています。加えて厄介なことに、反社の統治者である中共幹部達は、世界の工場として中国人民を搾取して稼いだ資金を、ウォール街に流入させました。時を待ち力を付けた中共は、身勝手な中華思想を浸透させるべく、その資金と人材をアメリカのオールドメディア、政治家、大学、研究室に送り込み、それが見事に功を奏し、アメリカは今内部分裂に喘いでいます。アメリカの二極分化は更に進み、その国力は確実に衰退していくでしょう。
その中国にODA(政府開発援助)を流入し続け、挙げ句の果てに虎の子の技術を盗まれた日本は更に悲惨な状況にあります。戦後、GHQ(アメリカの先鋭的な占領下指導)に二度と日本人が牙をむかないように、自虐史観に貶められ、全くの無抵抗で日本人はあっという間に洗脳されました。先導したのは、戦後の進歩的文化人と言われた者達です。抗日を国是にしている、ロシア、中共、朝鮮半島の国々を持ち上げ、便宜を図り、その結果は、無残にもマネー・トラップ、ハニー・トラップでがんじがらめにされてしまいました。その旗振りは、日本のNHKを始めテレビ新聞のオールドメディアです。何とも情けない。そのボディブローがじわじわと効いて今に至っています。急所を握られ、忖度せざるを得ないのです。彼等臑に傷あるメディアが、国民の許にまともな情報を届けることは絶対にないし、彼等にとって都合の悪い情報は完全無視という陰湿な手を使います。
このような状況を放置し認めてきた日本国家とは、政府とは、何だろうと問い返さなければなりません。国民の暮らしと安全を、全く顧みない「日本」の国体とは一体何なのかと考え、行動すべきなのです。
私なりのささやかな行動は、中国・韓国製品関連は、買わない利用しない(LINEも含めて)と無言の不買運動をしています。素材として使っている日本企業の製品も買いません。しかし、部品の全ては購買者には調べようがありませんので、限界はあります。またビックテックの情報システムを利用しないと、私の今の生活が成り立たないのです。情報ライフラインが、彼等に握られています。それも利用しないとなると……皆さんも想像してみてください。これは一人の行動ではとても是正など出来ませんし、その横暴を制御するシステムすらないのです。国際連合(United Nations)本体は勿論、専門機関や関連機関の、国際通貨基金(IMF)、世界保健機関(WHO)、世界気象機関(WMO)、世界貿易機関(WTO)などは、残念ながら御承知の通り、形骸化し、的外れの提言が多いのです。どうかしちゃっています。
遅まきながら、アメリカの「功利主義」「リベラリズム」「リバタリアニズム」「コミュニタリアニズム」などの政治的変遷をひとわたり囓ってみましたが、もはやアメリカはそれらの政治的思想からも逸脱していると思います。「フランクフルト学派」批判理論では新しい智の世界は開けそうにありません。そして改めてハイエクは凄いなと思っています。代表作は「隷属への道」ですが、難しければ、渡部昇一先生の「自由をいかに守るか・ハイエクを読み直す」というPHP文庫が最もわかりやすいです。
我が著、「怪物生成」と一緒にこの本を是非読んで頂きたい。ハイエクのここでの主張を一言で言うと、「左の社会主義(共産主義)も、右の社会主義(ファシズム)も本質的に同じ全体主義で、結局は個人尊重主義を潰し、人間の自由と尊厳も喪失させる」というものです。現在、国際金融資本やビックデックが主導して、グレートリセットと称して、脱炭素社会、SDGs(持続可能な開発目標社会を目指す)などの運動も、特定の組織と限られた者達の巨大な利権に繋がる全体主義的な臭さを感じます。強制接種圧力も、地球で暮らす人間の尊厳を守るといいながら、それはハイエクの思想で言うならば、「組織化された指令がふえれば増えるほど、各自の持っていた多様な目的は画一化の道を辿るのを避けられなくなってしまう」破滅の道です。よかれと始まっても、一部の人間がそれを利用しねじ曲げ、世界全体をファシズム化してしまうこともあるのです。私の思考が杞憂でなければいいのですが……。
「我欲まみれの人間の作った小賢しいルールが、未だかつて人間を幸福にした歴史は一度も無い」(春吉省吾の言葉)
「初音の裏殿」を執筆しながら、悔しさと、情けなさで時に目の前が霞むことがあります。
「金吾よ頑張れ」ともう一人の私に励まされながら執筆しています。「第一巻~怪物生成」を未読の方は是非ご一読をお願いいたします。面白いです!!
                         令和3年10月24日
                            ⓒ春吉省吾
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「秋の遠音」吉村春明と屋山外記におもう VOL.94

●サルスベリ。「百日紅」とは不思議な名前だ。「百日後には必ず戻る」と言い残して、王子は旅立った。しかし戻ってみると娘は亡くなっていて、娘のお墓がある場所から、1本の木が生え、花を咲かせた。その花は、愛しき人を今か今かと待つかのように、百日間、咲き続けたといいます。
●思いがけない、光スペクトラム。虹のよう。
●10月2日、台風一過、秋晴れ。都庁を望む。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」とは、豊臣秀吉の水攻めの際に、備中高松城主清水宗治(しみずむねはる)が詠んだ辞世である。主将一人切腹することで、家臣達の命を守った。私は今、現世からあの世に旅立っていくが、せめて我が思いを高松城の石垣の苔に残したいという敗戦の将の心境である。また、時代は下って、1945年終戦とともに東久邇内閣の外相となり、同年9月2日アメリカ軍艦「ミズーリ」号上で日本側首席全権として降伏文書に調印した重光葵(しげみつまもる)は「願くは 御國の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを 」と詠んだ。いつの日か、日本人の手によって、日本が元通り主権国家となり、そして栄えるために捨て石が必要ならば、自分がその捨て石になろう。多くの日本人よ、屈辱的な歴史的役割を果たしている私を蔑み、越えてくれと、重光は降伏文書にサインした。この後、多くの気概ある日本人で満たされることを願って彼は調印式に臨んだのだ。

しかし日本が合衆国に負けるやいなや、始めから戦争反対だったかのように振舞い、GHQに媚びた人々が多くいたし、日本を売り自らを貶める多くの似非知識人は今も増殖中だ。重光の屈辱感は、前後76年たった今、薄れてしまった。吉田茂以来、日本はアメリカに甘え、ひたすら物質的成長を志向し、矜持を忘れた。未だに日本は「独立」さえしていないのではと忸怩たる思いに駆られる私自身である。気づいてみれはこの30年、(財務・通産・財界がその元凶だが)、日本人の実質所得は低下し、大して努力もせずに、日本人の働いた果実を吸ったアメリカの平均所得は(ここでは貧富の格差は触れない・あくまで平均)3倍、ヨーロッパ諸国は2倍、中国は5倍になった。標榜していた、日本国民の「物質的幸福のみの追求」にも失敗したのだ。

重光については、ここでは多くを述べないが、実に波乱に満ちた気骨のある外務官僚である。

1932年中国公使として上海事変の外交処理にあたったが、上海の天長節祝賀会場で朝鮮人尹奉吉に爆弾を投げられ重傷を負い、片脚を根本から切断した。以後、10キロ以上の義足を付けて活動した。 重光は戦中の様々な外交の場面に登場する。ミズーリ号の調印のあと、1946年A級戦犯容疑で拘束され、50年仮釈放になり、52年公職追放解除ののち改進党総裁に就任したが、翌年の総選挙で改進党がふるわず、吉田茂と首班を争い敗れた。

さて、「冬」「春」「夏」と四季四部作・長編歴史時代小説の最後の季節を飾った「秋」。
その「秋の遠音」は幕末から明治初期の激動期を通して、主人公吉村土肥助(春明)を軸にした、壮大な物語である。(吉村春明は歴史上の名の知れた人物ではないが実在した「希有」な人物です)
その主人公と幼なじみの若き国家老屋山外記(ややまげき)は、下手渡振興のために腐心する。吉村春明と組んで、井筒屋の番頭、後の古河財閥を興す古河市兵衛の尽力もあり、蚕種経営で下手渡の生活は向上した。三代藩主立花種恭(たちばなたねゆき)は三池の炭坑振興、国元の蚕種の興産が成功したことで、幕閣の中枢、老中格にまで上り詰める事が出来た。しかし慶応4年(1868年)1月9日、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、京都守護職・会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)は隠居を表明し、朝廷に対する謝罪状を提出して会津に戻った。
当初奥羽諸藩は新政府が仙台藩に派遣した奥羽鎮撫総督に従っていたが、奥羽諸藩は会津藩・庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を行い、その目的を達成するための同志的結合が形成されていた。しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、列藩同盟は新政府軍に対抗する諸藩の軍事同盟へと変貌した。
西国では既に、薩長を核として政府軍が東征に及ぶなか、三池5千石、下手渡5千石と370里隔てた下手渡藩は、兄弟藩の柳川藩藩主立花鑑寛(たちばなあきとも)の支援もあって、種恭は新政府に恭順するため分領地三池に戻るが、残された奥羽下手渡本藩はそうはいかない。仙台藩を中心に周囲の米沢、二本松などの大藩が新政府に対抗したか、下手渡藩は周囲の状況から旗幟鮮明にする事は出来なかった。そんなことをすればちっぽけな陣屋など忽ち、焼き討ちされてしまう。
かくして、家老屋山外記の独断で、戊辰戦争中の慶応4年/明治元年(1868年)閏4月23日に白石に赴き、奥羽越列藩同盟に加盟した。
仙台藩は、下手渡藩の動向をいぶかり、藩兵に警戒させていた。藩主種恭とも全く連絡がつかない。種恭に随従していた春明は、下手渡の状況を探り出すべく、下手渡への派遣を願い出るが許可は下りない。家老の外記は古河市兵衛の力も借り、下手渡の住民を仙台藩の警備の隙を窺い、領民達を三春に疎開させた。決死の行動であった。
仙台藩は、柳川藩で編成された東征軍の中に30人ほどの下手渡藩兵が合流していることを知り、下手渡陣屋は焼き討ちされ、村々は強奪された。しかし疎開が間一髪間に合ったので、領民達の死傷者は最少に収まった。
以降、廃藩置県が断行され、下手渡藩はかつての分領地三池県に糾合され消滅した。家老であった屋山外記は、奥州越列藩同盟に独断で調印した責任を負い、外記は武士の一分を守り通し、明治政府には一切関わりを持たなかった。
外記の気持ちを十分に知った春明は、代わって積極的に行動する。しかし三池県の統廃合により福島県官吏となるも大幅降格となり退任。上京して小野組の嘱託となるが倒産、その倒産処理に力を尽くしたあと、初代院長となった種恭に懇願され、学習院創立に関わった。
明治13年(1880年)春明は、妻の葉月の病気療養のため下手渡に戻った。翌年の6月に妻をなくしたあとも、春明は福島町に暮らし、外記達と下手渡復興に尽力する。その後、還暦を迎えた春明だが種恭の実弟の加納久宜(かのうひさよし)に懇願され、最後の就職先として、明治19年(1886年)岩手県尋常師範学校の教師兼書記として赴任し、4年間奉職した。明治23年に現役を引退しようやく飯坂に隠居した。その秋、屋山外記の訃報が知らされた。
足が不自由になっていた春明は、葬儀には参列できず、納骨後、外記の墓前で自作の漢詩を詠じ、こう呟いた。
「外記殿の戊申戦争は、二十二年経ってようやく終わったのだな」
外記は、下手渡藩の「負の戊申戦争」を独り抱えて隠遁に近い暮らしを選び、一切の弁明もせずに逝ったのだ。
清水宗治の無念、重光葵の無念、そして屋山外記の無念。いずれも勝者にあらず、敗者の身の処し方、覚悟である。人はそれぞれの人生の中に多くの無念を抱えながら逝く。
「秋の遠音」の屋山外記の一生もまた、我々の胸に響く。
屋山外記の御子孫の一人、屋山弘氏は、現在も漫画家・エッセイイストとして福島市で御活躍中である。また評論家の屋山太郞氏も御子孫の一人だ。お二人には「秋の遠音」の上中下をお送りした。
お二人には、先祖に関わる小説の完成を喜んでいただき、作中の屋山一族、屋山外記の活躍にも丁寧な感想を頂いた。こころより御礼を申し上げる。
御手許に「秋の遠音」をお持ちの方は、春明と外記の、幼い頃からのやり取りを、もう一度追いかけて欲しい。人間様々な「覚悟」があるということを心に留めて欲しい。未読の方は是非ご購入いただき、一読されたい。
                         令和3年10月3日                             ⓒ春吉省吾


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