身近な町の風景に思うこと

 

祓川

10月26日日曜から28日まで福島を訪れました。弊社の業務と、「福島県中小企業家同友会」という県内の中小企業経営者・承継者を対象とする講演会の下打ち合わせのためです。
 予定の入っていない日曜日の半日、県立図書館で、和綴りの資料を丸ごと一冊コピーしてきました。小説の重要な資料となるもので、古本屋でも見つけられず、「やった」という感じです。
 小説執筆の下準備をしている時、核になる資料を見つけた瞬間「何とかいける」と不思議な手応えを感ずることがあります。一つの長編小説の仕上がりまで、そういう感覚が多ければ多いほど、作品の密度は上がります。今回もそういう感触を得ることができました。
 大分寒くなった福島で、3日間、市内を電動自転車で動き回りました。自由に町を走ってみると、随分と店や家々の佇まいが変わったなと改めて思いました。東日本大震災によって、土蔵作りの建物はほとんど見られなくなりましたし、放射能汚染・除染によって町の景観も変わりました。

 今回は、福島市の歴史の中で重要な役割を果たした場所を写真と一緒に紹介したいと思います。
 その一つは、「祓川」。関ヶ原の戦いの直後、伊逹政宗は、伊逹家発祥の地、信達地方への執着と勢力拡大のために、上杉支配の福島地方に攻め入ります。その本陣は、信夫山の麓、愛宕山から黒岩神社の麓です。直ぐ下には松川が流れていました。祓川はかつての松川の流路で、「松川の戦い」の舞台でした。また、信夫山の山岳信仰が盛んだった頃は、信仰者はこの川で身を清めていたのです。(現在の松川は信夫山の北側を流れています)今は小川と云うよりは用水路に近い趣ですが、当時の松川は暴れ川でした。
 政宗は本城繁長を追い詰め、福島城に閉じこめ、会津からの上杉軍と曾根田・小山新井・五十辺あたりで有利に戦いを進めましたが、梁川城主須田長政の奇襲で愛宕山本陣を横から攻められ撤退をよぎなくされたのです。伊達政宗の油断でした。
 徳川家康と交わした「百万石の御墨付き」もフイになり、二度と福島の地を奪還することはで来ませんでした。

 二つ目は、大原病院移設新築のため整地をしていたら、福島城の遺跡が出て来たようです。実は私の実家の真ん前がそうです。写真は実家の3階から撮影したものです。この辺りは、福島藩板倉家支配の時には「辻の札」があった町の中心部です。
 この場所は板倉時代の古地図によれば外堀だったはずですが、毎月帰福する度に、発掘作業を真上から眺めていると、どうやら外堀だけではないような気がします。
 過去の福島は文化財をないがしろにしてきた歴史があります。病院建設も大事でしょうが、中途半端でなく、しっかりと発掘調査をして欲しいものです。
 かつて旧日本銀行福島支店も、旧勧業銀行福島支店もあっけなく解体されてしまいました。(それぞれ昭和53年、昭和50年解体)現存していれば、辰野金吾設計のレンガ造りの建造物が、半径70メートル内に2つという日本で唯一の市となる事ができたのですが……。

 福島城は、主郭(本丸)のない平城ですが、私はそのことにとても興味を覚えています。郷土史家の方々は、そういう発想を誰もしていないのですが「広大な内堀、外堀があるのになぜしっかりした城が作られなかったのか」と考えるとそこには統治していた為政者達の確執・欲望・財政事情をはじめ、人間の心の内側が見えてきます。 
 蒲生氏郷の客臣として5万石で福島城主となっていた木村吉清は、かつて豊臣秀吉の側近の一人でした。城持ちになりますが、一揆を収めることが出来ず、秀吉の怒りを買い、それを氏郷が宥め客臣にしたという経緯があります。家臣とは違う扱いでした。
 会津黒川に本拠を置いた氏郷は、黒川城を「若松城」として拡張します。命を受けた木村は砦の様な杉目城を大改修し、福島と命名しそれなりの城を造営したと想像しますが、全く資料が残されていません。その木村は文禄3年(1594年)に福島を去って上洛し、翌年の文禄4年2月に蒲生氏郷は急逝します。同じ年の5月、秀吉は浅野長政、行長親子に福島城の取り壊しを命じています。そのことから見て、木村の時代にはしっかりとした「城」はあった筈なのです。
 寛文4年(1664年)上杉綱勝が急逝し、米澤に移封になり、その後福島は15年間幕領となり陣屋が置かれました。
 延宝7年(1679年)大和郡山城主本多忠国が福島に移封してきます。
 本多家の祖である、本多忠勝は徳川四天王の一人、無城の福島は本多家にとっては大いなる屈辱で、福島城・桑折西山城の青図が急ぎ作られます。当時の福島には、1000人以上の本多家臣団を住まわせる住居もなく、急ぎ小屋掛け普請をしなければならない始末でした。移封のための引越借財は、大阪商人からの借入でしたが、立派な築城は必須の事項でした。しかし天和2年(1682 年)本多忠国は、姫路に移封となり、築城計画は頓挫しました。以降、堀田家、天領支配を挟んで、板倉家が維新まで福島を支配しますが、城が作られることはありませんでした。
 現在我が実家の前で行われている発掘作業から、ひょっとして本多家が支配した時代の「遺跡出現」という可能性もあるのです。
 人の作る歴史は、あっという間に全て風化するか、あるいは上辺だけ残ったとしてもほんの一欠片です。僅かに残された資料あるいは遺跡から当時のことを推理するとしても、それが果たして正しいか否かは誰も断定できません。
 イギリスの歴史家、EH・カーは「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」(An unending dialogue between the present and the past.)
と述べていますが、福島の「祓川」「福島城外堀遺跡発掘」という風景にも、過去と現在が複雑に繋がっていているのだなと思う次第です。

福島城外堀

冒頭の写真は、福島県立図書館に続く路です。なかなかおもむきがあります。

この写真は、我が実家の三階からみた、遺跡発掘の風景です。

 

 

 

この写真は福島の道路原票です。「万世大路」の福島の起点です。

福島市の道路原標

読後感想文に励まされました

DSC_0002数日前、福島在住のある方から「春のみなも」の読後感を頂きました。(実名は伏します)
こういう読後感を頂くと、苦労して取材し、幕末福島のことを小説にしてよかったなと、つくづく思います。色んな悔しい思いや、苦心が酬われたと思う瞬間で、作者冥利に尽きます。
先ずはその一部をご紹介致します。
(前略)「全体として実に壮大な物語で、しかも当時の福島の歴史をしっかり調べられ、巧みな展開で読み手をぐいぐい引き込んでいく筆致に心底感服致しました。
私も福島っ子で、今は●●先生に師事して郷土史の勉強をさせて頂いていますが、先生の作品の方がはるかに魅力があり、新しい眼が開けました。先日◆◆君と会った折(◆◆さんから拙著を紹介された由)、『私もうなって読ませてもらったよと』感想を述べてきたところでしたが、先生にも凄い本をお書きになりました、福島の私説維新史ですねと申し上げたくて、一筆したためた次第でございます。
これからも想を新たにして、新しい作品をご執筆されることを期待しております。」(後略)
 現在、6作ほどの長編、中編の資料集め、構想、執筆と進めていますが、なかなかうまくいかないことが多いです。特に古文書や書籍だけでは知り得ない話を、郷土史家の方にお聞きすることも大切です。
実は「春のみなも」の取材に際して、上記の●●先生にお話をお伺いしたい旨を二度ほどお手紙を差し上げたあと、お伺いする日程を確認しようとお電話をしました。その時のやりとりを鮮明に覚えています。
「お手紙を差し上げたものですが、お目にかかってお話をお伺いしたいのですが……」
「福島市史や、私の本に全て書いた通りだ」
「福島市史の全巻、福島叢書なども必要と思えるものは、集めて調べ、先生の著書も全て読みましたが、不明なことがあるので直接お目にかかりたいのです」
「全て目を通しているなら、私が教えることはない。第一、小説家などは、ろくに調べもしないでいい加減な嘘を書く」
「城下の人々が日々暮らす当時の様子が、市史にも、叢書にも先生の御本にも書かれていないのでそれを知りたいのですが……」
「いや、私が教えることはない」
まあ、予想はしていましが、それにしてもけんもほろろな対応でした。きっと虫の居所が悪かったのでしょうが、名のある作家であれば、ここまで虚仮にされなかったと思います。無名作家の取材は大変だと身に染みたものでした。
しかしこの対応によって、私の本気に火が付きました。
郷土史家にも地道に研究されてる立派な方は沢山おいでです。保原の遠藤俊夫先生という地元史家にお目にかかったことがございます。慶応二年の信達一揆首謀者の一人と思われている菅野八郎の事を色々と尋ねて、最大の疑問をぶつけてみたら、
「それは、私もわがんねえ(わからない)」という回答でした。立派な対応でした。
郷土史家の方が、調べても尚わからないと云うことであれば、そこから先は小説家の「想像力」を働かせれば良く、「春のみなも」の登場人物、菅野八郎のキャラクターの誕生でした。
この度頂いたお手紙は、当時の取材の苦労を吹き飛ばしてくれるものでありましたが、歴史作家として更なる高見を目指すために、襟を正して歴史物語を書けという激励と助言を頂いたものと思っております。(2014.11.1)

写真は、10月26日に資料調べに立ち寄った「福島県立図書館」へ続く道です。紅葉が綺麗でした。

9月17日の講演会の新聞記事

2014.9.20福島民友朝刊A2014.925A

 

 

 

 

 

 

 

 

9月17日に行われた「福島市商店街連合会60周年記念講演会」の福島民友・福島民報新聞社に掲載された記事の切り抜きです。

講演会の内容は、新聞の切り抜きをご覧頂ければ十分でしょう。

個々では少し視点を変えて、福島県の「県民紙」についてお話しし、東北六県でも「福島県」の民力は、優れているという自慢話をいたします。

福島県には「福島民報」と「福島民友」という2つの
地方紙があります。76万の世帯数に対して、「民報」
は25.5万部、「民友」は18.5万部、「民報」「民友」2紙を
合計すると44万部となります。その他「朝日」は5.8万
「読売」は5.7万部その他毎日・日経・産経などの県内
の日刊紙(朝刊)を合計すると67.6万部で東北6県
NO.1発行部数なのです。誇るべき数値です。
世帯数95万の宮城県は「河北新報」1紙で44万部
とちょうど「民報」「民友」2紙の合計発刊数と同じです。
その宮城県の日刊紙合計は60.5万部です。(2013年10月)
「民報」は毎日新聞、「民友」は読売新聞系列ですがそれ
ぞれに独自色を出し2紙が張り合っている事で、福島
県の「民力」アップに大いに役立っていると思います。
テレビやラジオ、更にはツイッターやフェイスブック
などソーシャルネットの普及により、新聞の新しい使
命が模索し続けられていますが、これからも県民紙と
して切磋し合い「福島の文化力向上」に貢献して頂ける
ものと大いに期待しております。(春吉省吾)2014.10.1

 

 

9月17日の講演会無事終了致しました

講演会ポスターA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島市商店街連合会創立60周年記念講演「もっと知ろう故郷『福島』の地力と智力」~強くしなやかな「福島」再興のために~

と題した講演会でした。

郷土史家でもない私が、福島の歴史を語るなどおこがましい限りでしたが、かえって専門家でない私のほうが、1200年程にわたる福島の歴史から始まり、現在福島が置かれている立場とその将来提言を話すには良いのかもしれないし、たった100分でそれらの内容を話すという無謀なことにチャレンジするのは私ぐらいしかいないだろうと講演を承った次第です。

講演の切り口としては作家の切り口で、「福島の重大な転換期」を時系列に取り上げ それに関わった主な人物や政治的・経済的背景、その人物の持つ性格などをおおざっぱに説明することで 現在の福島にとって大いに参考になるのではないかという主旨でした。

うまくいったかどうかは定かではありませんが、多くの方に「面白かった」「良かった」とお褒めの言葉を頂きましたので、それなりの成果は得られたのだろうと思っております。

ただ、早口すぎたかなというきらいはありました。マイクの具合もあまり良くなかったかな……。(言い訳になりますので止めておきます)

 

   

 

9月17日の講演会の背景について

 

花見山最後①9月17日に、福島市商店街連合会創立60周年記念講演会が催されます。

PowerPointで、講演原稿を作成しておりましたが、4時間から6時間のボリュームになってしまいました。

地元福島では、当然のことながら「放射能」については微妙な問題が絡んでいて、語らずにそっとしてくれという気持ちを抱く方も多く、「放射能」という言葉そのものに触れてくれるなという意見もあるようです。

この問題について、様々なブログを探ってみると、いやはや極端から極端な情報がまるで雲霞の如く飛び交っています。

 

結局のところ、福島市の環境(大気中の放射能値、野菜や果物に含まれる放射能値など)の現状は、原発事故発生の3年半前とは明らかに違うのですが、それははたして「安全」であるかどうか、一言で言うと「基準になる物差し」が存在しないのです。

東日本大震災に伴う、福島第一原発事故による健康被害を恐れるあまり、海外メディアの無責任な報道や、売名学者のセンセーショナルな主張を鵜呑みにして事実を誇張し、あるいは捏造を含めて、喧伝する人々も多いようです。その攻撃対象が被災者や被災地に及ぶことが多く、被災者や被災地を差別する言動を起こしかね、復興を阻害する事もあります。と言って、東京電力の対応や政府のこれまでの言動、行動を観るにつけ絶対安全だと信じられないのは当然のことで、原発安全神話を未だ声高に叫んでおられるセンセイ方も然りです。

つまり誰もが疑心暗鬼になったまま、ずるずると時間ばかりが過ぎていくと言うのが現状です。

②何れにしても「福島再興」には「放射能汚染」にどう対処するかということを抜きにしては何も解決しません。

「もううんざり。なるようにしかならない」という投げやりな対応も、過剰な反応もどちらも有効ではありません。

我々はこの問題に対して、冷静に対処すべきですが、素早くその元となる根本を理解しておかないと誤った方向に進み、袋小路に陥ってしまいます。

この問題は人の噂も七十五日と頬被りをする様な問題ではありません。

我々の想像以上に欧米の放射能アレルギーは強烈なものです。

チェルノブイリの原発事故では、地続きのヨーロッパ、特に南ドイツが、放射能汚染の影響を受けました。ヨーロッパの中でもとりわけ核アレルギーの強い国です。

日本在住のドイツ人達は、福島原発の事故の報を聞き、いち早くルフトハンザ機をチャーターして、一斉に日本を離れました。

米ソ冷戦時代から50年の間に、ソ連が715回、フランスが210回、イギリスが45回と核実験を繰り返しています。(一番多いのはアメリカの1032回。中国は45回です。印度、パキスタン、北朝鮮)

陸続きのヨーロッパ諸国で放射能の怖さを小さいときから教育されている人々にとっては当り前のことなのです。

ロンドンオリンピックの開会式で、日本選手団はトラックを半周したところで、脇の出口に誘導されてそのまま出ていったという事になっていますが、これなどは明らかに、原発事故を起こした日本人に対する過剰なアレルギー反応の最たるものです。

「世界はそういうものだ」と理解しておいたほうがいいのです。

我々は欧米人の思考の底にある「ダブルスタンダード」という都合の良い考え方をもっと理解すべきでしょう。

対処の仕方をそこから見直さないと、「FUKUSHIMA」と冠された謂われのない、おぞましい言葉は決して払拭されることはありません。

③食材を中心に、放射能汚染されていない=ゼロベクレルであるとし、「食材はゼロベクトルでなければいけない」という主張があります。

そういったいい加減な宣伝文を掲げる生産者や飲食店も見受けられます。しかし、地球上の食材で、放射能を全く含まない「ゼロベクトル」の食材は存在しません。広島・長崎に原爆が投下されてから現在まで、2100回もの核実験が行われているということだけを考えても明らかです。自然から受ける放射能汚染もあるわけです。

物事は相対的に判断しないといけないのですが、「FUKUSHIMA」だけが「絶対的にゼロでなければならない」というおかしな過剰反応は如何なものでしょう。しかしそれは、我々が相対的に安全であるという「事実」を証明し続けなければならないということです。

現在、福島市が抱えている「放射能汚染」は、20年30年、いやもっと先に、影響が出るかもしれないというものです。30年以上たっても、その因果律がはっきりしないということも起こりえます。じっと待っていたら「空白の20年、30年」どころか「真綿で締め付けられたままの20年、30年」ということになってしまいます。

その時になって、両極でアジテーとした人達が生きていて、「間違いでした」と謝罪するようなことは絶対にありません。過去の歴史が如実に示すところです。

④ところで、福島市は、桃の生産量において、全国二位の生産量を誇ります。一位の山梨県とは大分差のある二位ですが、福島信達地方の大きな収入源です。桑畑から果樹園に転換し、この五十年で品種改良や、天候不良、風水害に命を懸けてきたその努力が、放射能汚染で無残に砕かれたのは誠に無念でありお気の毒です。

しかし、農(園)業や漁業は、その生産量が明確に把握できるため、その補償も比較的受けやすく、「農協」や「漁協」はその強力絶大な圧力団体のため、保証も獲得しやすいのです。

一層苦しい立場に追い込まれているのは、実は地場の観光、商業を生業としている人達です。商工会議所のような組織はあっても、その絆は薄く、それ故、今回の原発の保証も少ないと想像します。

放射能汚染されたという地域で暮らす人々は、中途半端な気持ちを抱きながら、耕作し、物を作り、接客し、商いをすることになります。そして、原発事故から三年半がたった今、「風評被害」というその意味も変質しています。

⑤「風評被害」という言葉の定義も曖昧です。客観的に「これは風評被害」「これは風評被害じゃない」というような判断を下すのが非常に難しいのです。

「安全だ」と思っている人からすれば風評被害でも、他者は「危険」と思っているので風評被害ではないと感じるわけです。

具体的な数値を精査できる情報開示の環境作りを後回しにしてしまったことで、我々は大きな遠回りを強いられたことになりました。

「よらしむべし、知らしむべからず」という官僚主義がもたらした典型的な例だと思っています。

さて、この先どうすれば良いかという核心についてですが、詳細なことはここでは、申し上げられないことも多々あります。しかし、ざっくりといってしまえば、目先の欲を少しだけ「大欲」に廻し、「この指止まれ」という大きな方向性に賛成してくれる人達が、経営的発想に立ちその土地の「地力」を掘り起こすために「智力」を傾けることであると定義します。

限られた時間で十分な説明は、殆ど出来ないと思いますが、私の使命として、例えそうであってもこれだけは言いたいと思っております。

2014.9.16 佐藤祥一

 

 

 

福島での講演会・講座に講師として

同友会

 

 

 

 

 

 

 

この度、福島市商店街連合会創立60周年記念講演会(事務局・福島商工会議所)の講師を来る9月17日、水曜日(午後6時30分~8時30分) こらっせ福島で実施することになりました。

内容は「春のみなも」で、福島の様々な歴史的事項を記載したことから、それにちなんで「もっと知ろう 故郷『福島』の地力と智力」~強くしなやかな「福島」再興のために~

というタイトルで講演いたします。

また、11月には「同友会大学」の講座で、「城下を守り抜いた『福島商人』の底力」と題して講演を行うことになりました。

こちらはクローズですが、歴史学というジャンルで、福島県文化センターで実施されます。

この同友会大学の趣旨は「21世紀が我々中小企業経営者および、二世・経営幹部に求める『総合的な経営能力』の向上と、複雑に変化する『現代』を見通す大局的な『眼』を養成することを目的とします」とあります。

私が主張する『心身経営学』の基本的な考え方は同じベクトルを指しています。一生懸命講座を努めたいと思います。

併せて七回の同友会大学講座ですが、各界一流の先生方に混じり、それも最終講座を努めさせて頂く事も光栄に思っております。

 

 

 

 

あっという間に9月です

福島城

あっという間に9月になりました。

1か月ほどブログの記載を休んでおりましたが、また再開いたします。

この間、外食のカレーにあたって、食中毒で大変な時期もありました。カレーライスは一番安全だろうと云うことで頼んだのですが、後からかかりつけの医師に聞いたら、「十分に火を通さずに作り置きしてあったカレーを、いい加減に加熱して出されると黴菌の温床になりますよ」ということでした。なるほど、管理の悪い食堂は危険だらけ。疲れが溜まっていた時機と重なったこともあったのでしょうが、日頃武道の稽古の後に立ち寄る食堂なので考えてしまいます。

 

さて、5月の末に上梓した、幕末福島藩を舞台にした「春のみなも」の評判は、お陰様で大好評です。

特に福島在住で、第一線で活躍なされている経営者・有識者の方々から、熱烈な読後感想文を頂きました。改めてこのブログをお借りして御礼を申しあげます。

頂いた感想文を掲載したA4・6ページのリーフレットをこの度作成いたしました。ご希望の方は、別途御連絡ください。

それから、東京福島県人会の副理事長の上竹實様には、大変お世話になっております。

東京に来て、30年以上になりますが、東京の方々に、「出身は福島です」というと「会津ですか」と二つ返事で返ってくる「回答」が多いのでがっかりしていましたが、幕末福島藩を守り切った商人達の活躍を描いた拙著「春のみなも」を通して本当の「福島」を是非知って頂きたいと思っております。

初の佇んだ阿武隈川

幕末、最高にドラスティックな「物語」がここにあります。壮大なスケールになりますが、是非この物語「春のみなも」を、映像化したいと思っております。各方面の方々のご協力をお願い申しあげます。(上記の写真は、福島城跡に残る「大仏城」時代の石塔・下の写真は「春のみなも」の主人公が佇んだといわれる、松葉館前の阿武隈川の景観です)

福島商店街連合会創立60周年講演

福島商店街連合会創立60周年講演(福島商工会議所)の講師を仰せつかりました。
将来の福島のビジョンを策定するために、「歴史」の中からその糸口を一緒に考えたいと思っております。

平成26年9月17日(水) 午後6時30分から8時30分
場所: コラッセふくしま・三階企画展示室

講演内容

●戦国時代から江戸、明治、大正そして昭和、惹きつけて止まない「福島」の地力とその魅力。特に信達の地を欲しがった伊達政宗、蒲生氏郷、直江兼続などこの地を巡る戦国武将達の攻防は興味深い。彼らはこの地「福島」の重要性を十分認知していた。

●幕末、福島の商人・農民のパワーは「日本一」だった。

●人の集まるところに情報が集まる。福島商人の「智力」としたたかさ。

●そして今、歴史を踏まえ、福島第一原発事故後、その先の未来を考える。

商工会議所

櫻の花のその下で

 

7月の5日から7日まで、福島に戻りましたが、結局母以外に誰とも会わずに、仙台・福島と自分なりに、散策してきました。とはいっても内容は多岐に亘るので、数回に分けて記載します。

ところで、この「ノークプレス」のサイトは、ワードプレスのソフトから出来ていますが、実に上手く出来ています。私が作ったのではなく、利用したアメリカのソフトがそのような仕様になっているのです。

実は、記事全てを読むには、新規にusername:にお好きなネームやニックネームを自由に決めて入力して頂きます。それにあなたが使っているアドレスを入れて頂くと、折返し自動的にpasswordが送られてきます。

それらをログインするとその後は、登録しておけば全文がご覧頂けます。サイト荒らしや、データの流出が頻繁な昨今、お互いにとって情報の重要さ、情報そのもの守らないといけません。そういう事では、実に上手なソフトです。

ここなら、私の「ややプライベート」な事項も掲載できます。

というわけで二時間ほどかけて、先祖の墓の植木を剪定してきましたが、敷地の隅にある大きな櫻の木は、市条例のため勝手に伐採剪定できません。満開時にはここで花見もいいものです。敷地一杯に櫻の花びらの絨毯のようなところで永久の眠りにというのも良いのかもしれません。

写真の左側にあるのは、大震災で崩れ落ちた石灯籠です。

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読者に迷惑はかけられません

未だに「アマゾン」では、弊社「春のみなも」が定価販売されてないいようで(弊社の在庫不足ではありません)、プレミア価格の古書店のものしか取扱されていないようですが、弊社と取引のある流通の話だと「先週、問合せのメールをしている」という事でしたので、御連絡しておきます。
事実弊社発刊の「冬の櫻」はアマゾンで、定価で販売されております。
早めにお読みいただきたい方は
丸善ジュンク堂ネットストア
紀伊國屋書店ウェブブックスでも
取り扱っておりますので、そこからお求めください。このサイトはさすがに歴史のある書店のネットサイトですね。
紀伊國屋書店の本店と、渋谷店の店頭には在庫はあるようです。(2014年6月25日現在)
それからノークのホームページからもお求め頂けます。(現在ノーク出版創立3周年キャンペーン中です。8月いっぱいで終了しますのでお早めにどうぞ)
ぜひ
ノーク出版ネットショップからお求めください。

作者の「春吉省吾」としては一人でも多くの方に、正常価格で、感動を共有していただきたいと思っています。
世の中「変なこと」いっぱいありますね

「春のみなも」上梓から一ヶ月

 

 

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上から(伊達市月舘町の山並み)(下手渡藩陣屋跡の「陣屋櫻」(月舘を流れる広瀬川・仙台を流れる広瀬川の上流です)

皆様御元気でご活躍のことと存じます。

さて、6月の10日から12日迄東京を離れておりました。「春のみなも」の上梓から、現在まで休みなく動き回って、次回の執筆と、次々回の取材と立ち働いています。その後、現在に至るまで、忙しさは大して変わりません。
まあ、何とも貧乏性で困ったものです。
 
10日は、中学の同級生が出版祝い(そんなに堅苦しくない飲み会です)に参加してきました。
また昨年から要請されていた「福島県中小企業同友会」大学講座の講師をお引き受けすることにいたしました。
翌日は、福島商店街連合会の小河さんと御一緒に 福島商工会議所に伺い、「福島商店街連合会60周年の基調講演」を正式に依頼されました。
福島を舞台にした「春のみなも」の反響によるものだと思っております。上梓して未だ一ヶ月ほどですが、この物語が、末永く福島の方々に読み継がれれば作者春吉省吾としてはとしては嬉しい限りです。
私は郷土史家や歴史学者ではありませんが、「福島」という土地の「地力」とそこに暮らし、歴史を紡いできた人々の生きた「智力」の二つの「ちりょく」を組み合わせて、面白くお話しできれば良いと思っています。

それから長編歴史小説「春(春のみなも)」「夏」(「夏の熾火」というタイトルで、紀州藩初代の頼宣から五代、吉宗【後に八代将軍】迄の物語で現在執筆中です)「秋」「冬」(冬の櫻)の最後の「秋」のテーマと主人公が決まりました。
小説のタイトルは「秋の遠音(とおね)」にしようと思っています。
3ヶ月ほど前から、資料集めとインタビューを始めましたが、主人公の「周囲」が未だ十分に掴みきれません。
現在の伊達市(月舘)、九州の大牟田市、東京(江戸)にまたがり、地理的にも広範囲に拡がります。義兄の紹介で福島市在住の家老の子孫屋山弘さん、月舘総合支所の齋藤副所長の紹介で、「藩医」の子孫、御自身も医師の南忠雄先生にお目にかかって参りました。
資料の手がかりは、藩主、立花種恭(たちばなたねゆき)の書いた「老中日記」、市町村の町史、同時期幕閣であった小笠原長行(おがさわら ながみち)の日記、アーネスト・サトウなどの記録などですが、主人公の立花種恭の私生活が殆ど見えてきません。ここからが勝負です。
幸い、藩主の子孫の方の存在がはっきりしており、屋山氏から連絡先をお伺いいたしましたので、周囲をもう少し固めてからお伺いしようと思っております。
私の物語作りは、今まで子孫の存在が判っていても、お目にかかって取材することは一切しませんでした。それによって「大事な部分」が書けなくなってしまうこともあるからです。
しかし今度は違います。かなり複雑な性格のようで、作家の私が完全に把握するまで、つまり人物がみえるまで取材を続けなければなりません。
しかし大牟田市(かつての三池藩)の郷土館も閉鎖のようですし、月舘の陣屋跡(下手渡藩)も今はその面影をほとんど留めておりません。
仲々難しいですが、今までも「資料」の乏しいところから、あるいは「錯綜した資料」から、春、夏、冬と「物語」を組み立ててきましたので、今回も俄然創作意欲がそそられ、やりがいがございます。

ところで話題は変わって、発売して未だ一ヶ月と経っていないのに、アマゾンの購入ブログでは「春のみなも」の在庫品がなく、弊社(ノーク出版)から流通を通した正常な販売価格でなく、法外な値段でアマゾンネットで販売している中古品業者が居るのにびっくり致しました。
実際価格(2160円・送料無料)よりも遙かに高い、3108円+送料257円=3365円から一番高い業者で4317円+送料257円=4574円と倍以上の価格になってしまいます。弊社とアマゾンが直接取引しているわけではなく、流通を通じて出品していますので、昨日早速取引先の流通会社に連絡を致しました。
通常中古品として、安く販売されることはありますが、倍近くの高値で「中古品」として売られるという現象は初めて見ました。それも、私の作品、春吉省吾「春のみなも」で起きたことにはびっくりです。
予約で買えなかったファンがどうしても欲しいという「需要過剰」になれば、値はつり上がるでしょうが、発売直ぐの情況としては「異常」な事です。
アマゾンの在庫管理のミスなのか、流通の在庫管理が甘いのか、どちらとは言えませんが、とにかくノーク出版にとっては勿論、読者の方々にはご迷惑をおかけしているようです。
どうぞ、弊社のホームページから「定価」でお求めください。
とにかく、弊社「ノーク出版」の本がプレミアつきで売られる状況にはありません。在庫もございます。敢えて高価な「春のみなも」を購入しないで頂きたいものです。
先週、福島の大手書店「岩瀬書店」「西沢書店」に顔を出したらそれぞれ2セットから3セット平積みになっていました。

一体どうなっているのか、読者の皆様には「アマゾン」はミスは犯さないという前提で、話を進めますが裏の話も知って頂くのが正しいと判断し、ブログにしました。
どうしてこうなったか、弱小出版社の立場として、言い難いこともありますが、いろいろと「推理」してみるのも面白いと、今後の推移を見守っているところです。
(ちなみにかつては弊社「ノーク出版」とアマゾンと直接関係を結んでおりましたが、現在は出版流通の会社を通してアマゾンに掲載しています)
 
5月末のブログで、主なネットショップに「春のみなも」が取り上げられたことを記載しました。(以下)「早々と5月上旬に予約販売を開始した「アマゾン」(「春のみなも」上・下が予約ランキングで、それぞれ14位・15位となりました)をはじめ、今日チェックしたら、「丸善」「ジュンク堂」「紀伊國屋書店」「セブンネット」「楽天ブック」「BOOKアサヒコム」(朝日新聞)「BOOK.Store」「e-hon」(東販)など日本の主要な書籍ネットショップで扱いを開始してくれました」
と書きましたが「ヨドバシカメラ」のネットショップで扱っているのには驚きました。それから「ローソンネットショップ」にも扱いがありました。
セブンネットもローソンも、ヨドバシカメラもそれぞれポイントが付いて、それを他の購入に利用できるという訳で、アマゾンに対抗するための大きな武器になります。
最寄りの店でも受け取れるし、送料は無料です。(その分、仕入れ先、つまり弊社が負担しているわけですが……)
「ワンストップショッピング」とはさまざまな商品を1カ所で買い求める購買行動、またはそのような購買を可能にする店舗を言いますが、アマゾン、セブンネット、ローソン、ヨドバシなどは「ポイント」付加し、アマゾンに対抗しています。(一番ポイント還元率が高いのは「ヨドバシネットショップ」)
今や公共料金や税金の支払いなども、銀行よりも便利なコンビニにとって、さらにポイント付加の「ワンストップネットショップ」と「リアルショップ」との連動は「アマゾン」にとって大きな脅威となるでしょう。
春吉省吾(佐藤祥一) 拝 2014/06/19

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アマゾンの「春のみなも」在庫切れ??

amazon.haru

発売して未だ一ヶ月と経っていないのに、アマゾンの購入ブログでは「春のみなも」の上下セットに在庫品がなく、弊社(ノーク出版)から流通を通した正常な販売価格でない法外な値段で販売している中古品業者が居るのにびっくり致しました。
たとえばこうです。
中古品 – 非常に良い
実質新品として取り扱われたものを仕入直後より未読のままビニール封入しております。ただし、一度棚に並んだり再配本された商品ですので本出品としてはコンディション「非常に良い」とします、陳列や配送などでのスレなどの瑕疵についてはご容赦下さい。相場状況などに合わせて(定価に近い参考価格2160円)より高価格な設定となっております。よくご検討の上ご購入ください。在庫共有しておりますので品切れもございます。その場合、注文キャンセルとさせていただきますがご了承ください。在庫切れ、高価格設定の点についてお気にされない方のみご注文お願い致します。

このような実際価格(2160円・送料無料)よりも遙かに高い、3108円+送料257円=3365円から一番高い業者で4317円+送料257円=4574円と倍以上の価格になってしまいます。弊社とアマゾンが直接取引しているわけではなく、流通を通じて出品していますので、昨日早速取引先の流通会社に連絡を致しました。
通常中古品として、安く販売されることはありますが、倍近くの高値で「中古品」として売られるという現象は初めて見ました。それが春吉省吾「春のみなも」で起きたことにはびっくりです。
予約で買えなかったファンがどうしても欲しいという「需要過剰」になれば、値はつり上がるでしょうが、発売直ぐの情況としては「異常」な事です。
アマゾンの在庫管理のミスなのか、流通の在庫管理が甘いのか、どちらとは言えませんが、とにかくノーク出版にとっては勿論、読者の方々にはご迷惑をおかけしているようです。
どうぞ、弊社のホームページから「定価」でお求めください。
とにかく、弊社「ノーク出版」の本がプレミアつきで売られる状況にはありません。在庫もございます。敢えて高価な「春のみなも」を購入しないで頂きたい。
先週、福島の大手書店「岩瀬書店」「西沢書店」に顔を出したらそれぞれ2セットから3セット平積みになっていました。
一体どうなっているのか、読者の皆様には「アマゾン」はミスは犯さないという前提で物事を発想ことはやめて、裏の話も知って頂くのが正しいと判断し、ブログにしました。
どうしてこうなったか、弱小出版社の立場として、言い難いこともありますが、いろいろと「推理」してみるのも面白いと、今後の推移を見守っているところです。
(ちなみにかつては弊社「ノーク出版」とアマゾンと直接関係を結んでおりましたが、現在は出版流通の会社を通してアマゾンに掲載しています)

 

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