ここ4~5年、初詣は行かないことにしている。年末から年始は家の中の新年の行事だけで、いつもと殆ど変わりなく、机に向かっている。それに寒い中、何時間も並びたくないという個人的理由による。
事務所には、結構大きな神棚があって、毎日お世話をしているから、取りたてて元旦に行くこともない。私の氏神様は「代々木八幡宮」でも「明治神宮」でもいいが、「代々木八幡宮」が私の日常のウォーキング・ジョギングコースなので、身近な氏神様としてここに決めている。既に12月24日にジョギング・ウオーキングのついでにお札を受けてきた。横着だというなかれ。これが氏神様との接し方だと思っている。一年間お世話になったお札や注連縄は30日に、お焚き挙げのために持参した。「御宿かわせみ」で知られる作家、平岩弓枝さんは代々木八幡宮の一人娘として生まれたが、現在娘の平岩小枝さんが権禰宜を務めておられる。5年前渋谷居合道部会の15周年式典で部員全員の刀のお祓いをして頂いた。
私の理念は、縄文精神文化としての古神道が本来あるべき神道という考え方だから、神社本庁が昭和23年策定した「作法」などには拘らない。慎みを持って参拝すればそれでいい。日常の生活の中に私の「神道」がある。だからそれを実践しているだけなので、かたちある「神社」にも拘らない。

ウォーキングの道筋の一つに、甲州街道から山手通りに入り、代々木八幡宮から、井の頭通りを大きく迂回して家に戻るおよそ8千歩から1万歩になるコースがある。ご存じの通りこの辺りは、テレビで取り上げられるケーキ店がたくさんある。この辺りの店から一度も購入したことがない私なので、美味いか不味いか判らないが、この日は2、30人が店の前に人が並んでいた。今日がクリスマス・イブだと実感した。それにしてもケーキ購入のために並ぶんだなと、改めて思う。なにも、12月24日の日に、ケーキを食べなくてもいいものをと思う。
クリスマスの翌日、26日のテレビで、食品リサイクル工場に、1日400~500kgもの売れ残りのケーキが、ケーキ工場や百貨店、スーパーなどから、運ばれてくる様子が放映された。豚の餌になるという。全国で廃棄されたケーキは、数10万トンになるかも知れない。近年、「インスタ映え」のために大きめのクリスマスケーキを買って、ろくに食べずに捨てる罰当たりもいるという。
30年近く食品イベントの裏方で、冷凍・チルド品の膨大な試食品の廃棄処理を嫌と言うほど見てきた私には、「もったいない」が実感できる。それにしても恵方卷や、バレンタインチョコ、クリスマスケーキ、おせちセットなど、その売れ残りを想像するに、何と無駄で、贅沢で、無知なことをしていると思う。資本主義の拡大再生産の末路を見るようだ。このロスは、回り回って、日本人一人一人の金銭的な損失だけでなく、精神の鈍化・劣化に一層の拍車をかけていることを知るべきだ。(「言挙げぞする」に具体的なことを記載しています)
甲州街道の初台、幡ヶ谷辺りはラーメン店の激戦区だという。美味いと評判のラーメン屋は昼時になると、いつも10人から20人ほど並んでいる。1時間以上も「並んだ」あげく、5分で食べ終わるのに人は並ぶ。
私は並ぶのか嫌いだ。災害などで命を繋ぐ水や食料の配給のために「並ばなければならない」などは例外だが、気が短いのか、堪え性が無いのか、人間が出来ていないのでとにかく嫌いだ。
しかし自己評価すれば人よりも遙かに辛抱強い性格だと思う。私の中で「並ぶ」と決めれば、どんなに長時間であっても覚悟を決めて並ぶ。私の物差しで、「並ぶ」に価しないと判断すれば、その無駄な行為に時間を使わない、ただそれだけのことだ。
日本人の多くは、何やら飼い慣らされた羊のように従順に並ぶ。それはある種の「美徳」なのかも知れないが、どうもそれだけではないような気がする。
世間の評判に踊らされて並ぶことが、イベントのようになっている。そこに明確な意志があるのだろうか。
12月20日に「フェルメール展」を見てきたが、場内整理がまずいこともあって、「並んで」「待った」あげく、名の知られた絵の前では、人の流れが滞って動かない。主たる原因は、中高年層の観覧マナーの悪さだ。「立ち止まらないでください」といっても動かない。
残念ながら、この行為に限らず、慎みを持たない日本人が多い。そこからは「美徳」の欠片も見えない。並んだ、見てきた、人が多かったと、自己満足するのは勝手だが、あなたは展示物の「何を見たのですか」と問いたい。私もその中高年齢の一人だが、同輩として情けない。彼らの来し方は、いつも何かに踊らされ、自分の頭でじっくりと考えてこなかった方々だろう。

この30数年、決して群れることはせずに、老いても「個」として生きていけるように、我流、独学であらゆる分野を囓ってきた。原典や経典に立ち向かって、何度もはね返されて現在に至っているから、決して誉められた学び方ではないが、少なくとも自分の頭で思考できるよう努めてきた。「横並び」の発想とは違う、ず~っと深いところから物事を考えられるようになったと思ったのだが……。どうも学の囓り具合が悪かったのか、結局のところ多くの時間を費やして判ったことは「判らないことが、判った」ということであった。
だが、それは正しい学び方だった。比較するのもおこがましいが、ソクラテスも「無知の知」として同じことを言っているし、「論語」のなかで孔子も「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」と言っている。

この先、孤立せず、孤独を楽しみ、我を張らず、我を忘れずに、物書きとして発信していきたい。幸い、ライフワークである、長編歴史・時代小説「四季四部作」の最後の作品「秋の遠音」は今年半ばには上梓できそうだ。その後の作品は、エンターテインメント性を高めた先鋭的な時代小説「初音の裏殿」をシリーズ化していく。高齢化社会の中、読者の孤独で貴重な時間を、楽しくわくわくして欲しいと念じなから、机に向かって構想を練っている。
末尾になりましたが、皆様にとって今年も、良い歳でありますよう、お祈り申し上げます。
春吉省吾 ⓒ  2019.1.1

 

 

●上野寛永寺清水観音堂   2018.12.20

●清水観音堂近くの梅が咲いていた。2018.12.20

●上野の森美術館 フェルメール展
2018.12.20 随分久しぶりでこの美術館に行った。フェルメールの作品は8点から9点ほどだと思ったが、何れもそんなに大きな作品ではないので、観覧者が動かないと、後ろの者はよく見られないのだ。「光の魔術師」といわれる作品のライティング効果が、やや強すぎると感じた。

●代々木八幡宮にて、初詣の準備は万全。2018.12.24

●2018.12.24 新宿のビル群が見渡せる私の定点観測の場から。この日は晴天だった。

●2018.12.25 手術後、外来診療の行き帰りに、この光景を何度となく目にした。お陰様で、この日、半日がかりの検査結果は良好で、この光景も平成30年のの見納めだ。