「心身経営学」とは

今最も新しい「心身経営学」とは

コンサルタントお仕着せの「経営理念」、「経営戦略、マーケティング、経営計画」作りは上手く機能していますか?従来型の問題解決手法に捕らわれたコンサルタントに高い報酬を支払って、その結果どうなりましたか?意志決定するとき、考えて考えて考え抜いたその結果を実行するときの不安、恐怖を感じない経営者は勿論、画一的に結果を急ぐコンサルタントも失格でしょう。人間の哲理の深さを知り自得し、人間とは何かを考えない限り、何処までいっても「人間らしい組織」を作ることは出来ません。

●「個対個」で作りあげる独自の哲理作りです。
中小企業経営者の方と一緒に、自己の「哲理」を発見確認し、そこから敷衍して企業哲理、経営戦略、行動基準、経営計画を具体的に構築していくお手伝いをいたします。

●私(株式会社ノーク代表取締役・佐藤祥一)は、それまでの経験を生かして、企業経営者の方々のために「心身経営学講座」を2000年(平成12年)から2年間ほど開催いたしました。しかし、「講座」そのものに限界を感じて、以降、経営学や、経営戦略の講義、立案には直截には関わりませんでした。はっきり申し上げると、当時この考え方は「早すぎた」と言うことです。

●「心身経営学」は二つの部分から成り立っています。
一つは、「哲理編」とも言えるもので、原初仏教、大乗仏教、密教、禅、儒学(論語、孟子、朱子学、陽明学)など自分に一番適した思考方法を取り入れ、企業経営者の方々に「個」の哲理を作るお手伝いをすることです。実は日本的思想といわれるものは宗教とも絡んでくるのですが、憲法上の制約で、我々は殆ど学ぶ機会がありません。しかし、DNAの中には確かにその発想はみんな持っているのです。
一方「経営戦略」「マーケティング」のベースは、キリスト教的宗教観をその根底に持っています。これをそのまま日本の経営者が取り込んでも、肝心な部分で上手くいかないのです。グローバル社会になればなる程この認識は大切なのですが、実践を踏んでいない、経営学者や青臭いMBA取得者はそれが判らない。それら技法としての経営戦略、マーケット理論などの「技法」を最新事例で紹介することでした。ただ実際に有効な「技法」はそんなに多くありません。

●この二つは本来一つのもので、それらをしっかりと学び身に付けていただければ、企業経営のトップとして揺るぎない決断が出来るのです。特に中小企業の経営者とその企業は殆ど一体というのが現実で、自分自身の「哲理」を知り、磨くことで、「経営学」としての「技法」が活かされ、個性を持った企業に発展革新するのです。しかし企業トップが「哲理」をきちっと確立していないと、その技法を学び使おうとしても、他の企業と同じく腰の定まらないありきたりの企業に甘んずることになります。

●私が「心身経営学講座」を最初にはじめた15年前の企業経営の環境は、現在よりも遙かに甘いものでした。しかしリーマンショックを経て、東日本大震災、福島第一原発の事故により、中小企業が置かれている現実は遙かに厳しいものとなりました。
環境の変化に翻弄され、苦しんでいる企業はどうすることも出来ないのでしょうか。
事の本質を知りましょう。本質を見抜く哲理、それを身に付けた正しい勘働きを信じましょう。経営者はすすんでそのための時間を作るべきなのです。我々は机上の理論、確率論ではどうにもならない事を身をもって学んだはずなのです。
そして従来の経済学も経営学も「実践学」として機能していないことを知るべきなのです。昨今、現場で長年実践を経験した経営者やコンサルタントの方々が、活躍されていますが、 当然の帰結だと思います。

●「哲理を持つことで強く柔らかな心の安心を、そして自分の存在意義を信じましょう」と主張しました。そして「万が一事業が失敗したときでも、迷ったまま失意の中で命を絶つような人生は何と寂しいことか。事業継承も儘ならず、ただ資金繰りに明け暮れ、環境に翻弄される一生から解放されたい。そのための講座です」そう最初の講座のレジメに書きました。経営者である前に、人間として生を受けた者の全うすべき根本です。

●当時はそこまで主張するのは早すぎたようでした。また、参加者の方々に少しでも早く知って貰おうと講座を急ぎすぎました。咀嚼いただけなかったと猛省しています。しかし今、「心身経営学」が形を変えて求められています。本質的なことをわかりやすく、貴方の中に眠っているDNAを揺さぶり、悔いのない企業の経営が出来るよう、自己の「哲理」づくりのお役に立ちます。
馬齢を重ねた結果、ようやっと「こなれた」聞き役、まとめ役が出来るようになったなと思います。10年以上の沈黙はそんなことでもありました。経営学の上っ面の技を学び、成功者の足跡を追っかけても、「自己哲理」の確立していない経営者は、人間の組織集団である企業経営も中途半端となります。社員にとっても迷惑といえるでしょう。

◆例えば、著名な経営者の著書、経営学書から、言葉だけを取り込んで、いわばいいとこ取りをした企業理念で会社の何が変わるのか。

◆例えば、課題では哲理の「古典」を扱うが、学者のように知識を得るのではない。何を言いたいのか何処を読み込むのか、心に響く読み方をするにはどうするかと考える。

◆例えば、人間をより深く知るには、「古典」の表側だけを理解しても、更にその奥を知ることは出来ない。知らないままで良いか、それとも知るか。しかしそれを知ることは覚悟がいる。

◆例えば、真実の深さを知って、表も裏も使いこなそう。肝心なことは「暗黙知」や「見える化」では捉えきれない。それは「口伝」でしか伝えられない。

◆例えば、日常業務が忙しいので、結果だけの「経営理念」を作ってもらえば後は分かるとうそぶいた経営者がいた。経営とはスキルだと思っている。大きな勘違い。経営トップの全人格が組織に全て現れる。そして組織は簡単に堕落する。人間も然り。ただ気づかないだけ。

◆例えば、貴方が下請け会社の経営者として、人倫を外れた大企業の横暴や社会の不公平さに臍をかんでもどうにもならない。ならばどうするか。貴方ならどう立ち向かうか。

●2020年2月から顕在化した、中国武漢を由来とする「新型コロナウイルス」の蔓延によって、従来の思考と行動は、機能不全になってしまった。「コロナ・ワクチン禍」後、我々の生活は、根底から変わることを余儀なくされる。それは社会システムが変わることは勿論だが、そこで生きる我々は、「あなたはどのように自身の人生と向き合うのか」と厳しく問われている。その行動規範は、取り立てて奇抜な中にはない。冷静に世界を観察し、自分の視座を定めることである。そしてそれは人を慈しみ、人倫日用の生き方の中から生まれる。春吉省吾が、20年来主張してきた「心身経営学」の哲理の正当性は今後益々増大する。

●我々は77年前の「敗戦」から、自分自身の精神をどう鍛えてきたのか。残念だが、深く考えることを怠り大きく劣化した。「心身経営学」の提唱者として、忸怩たる想いだ。もう一度気を取り直して、独りでも多くの方々に、その本質を理解して貰う努力をしなければならない  2022.12.20

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