新しい歴史の視座が、「日本」の危機を救う

ノーク出版からお知らせ

細部を把握できなければ、大局は掴めない

 私事から話を進めます。
 企業の黒子として30代から中長期の企業経営の戦略・戦術のお手伝いをして参りました。
経営計画策定という、企業の根幹のMissionを、顧客企業の代表者・企業幹部の方々と策定し、それらをベースとして、販促広告・イベント業務を実施しました。
 黒子としては、企業戦略に関わる大局から、個々の具体的な細部に亘って把握していないと何も出来ません。講釈たれの単なる評論家など、企業は求めていません。
 勿論、関わった企業の中長期の具体的戦略・戦術は「企業の中枢」ですから、絶対の守秘義務です。関わった企業の情報は、今後一切、私から漏れることはありません。それが「黒子としての自負」です。我が会社が40年以上続いている証です。

 例えば、綜合イベントのプロデューサーとして、提案計画したことを、具体化していくわけです。失敗したらその企業に多大の御迷惑を掛けます。やりがいもありましたが、この仕事はきついものでした。
 関係役所への申請、イベント会場担当との打合せ、下請け業者との打合せなど、企業から全権委託され活動しました。CADを使って会場デザインの詳細設計もしました。会場設営の指示、オープニング期間のトラブル対処、終了後の撤収、ゴミ処理まで、全て何千もの項目が頭の中に入っていました。
 あわせて、テーマ設定から、得意先へのリーフレットデザイン・印刷、当日の集客集計のためのバーコート印字まで請負いました。
 「黒子」の存在は、企業(主催者)にとって、金銭的利益に役立たないと判断すれば、直ぐに切られるという過酷な立場です。失敗は許されないのです。
 「黒子」は、どんなに危機的状況になろうと、冷静でいなければなりません。胃がキリキリする瞬間は数多く経験しています。
 イベントのオープニングでリースした大型プロジェクターと持参したPCが上手く繋がらず、オープニング1分前に、ようやく繋がった事などもありました。精神は鍛えられ、常に代替案を準備していました。
 お陰様で、その企業とは30年に亘って、無事に任務を果たすことが出来ました。会長様、社長様には大変御世話になりました。
 この企業に限らず、様々な面白い企業のお手伝いをさせていただきました。いずれも私を育て鍛えていただきました。
 しかしこの厳しい「黒子」を、この先も続けたら命が無いなと思っていたので(その間、命に関わる病気を2度ほどしました。1度は、手術日を延ばし、イベント終了後に手術をしたこともありました)、60歳になったら、この世界から引退すると決意しました。

 設立当時は、数人の社員がおりましたが、色々と問題があって、創立5年をもって「独り会社」になりました(資本金は大きいのですがね……)。
 創業から5年間、キー局のテレビ会社の下請け孫請けもしましたが、メディアの腐敗は、本当に酷いものです。
 今でこそ、イーロン・マスクのXなどのSNSによって、「オールドメディア」が「偏向報道」の発信元という事が、若者の間でようやく知られるようになりました。しかし未だに、「ワイドショー・情弱」に陥っている、日本の中高年が日本の変化、発展を阻害しています。
 ただ、最近知ったことですが、残念なことに、Xの日本法人の株主は100%電通関連だと言います。どうりで彼らに都合の悪い情報はバンされるはずです。イーロン・マスクさん何とかして欲しいです。

メディアの刷り込みを逃れるには、自分で情報を取るのみ

 戦後80年経ち、我々も含めた戦後世代の日本人は、自分で情報を集め、自分で分析し、比較検証し自らの意見を醸成するようなそんな社会環境ではありませんでした。何しろ、昭和34年(1959年)現在の上皇・上皇后様の結婚パレードの時は、家にテレビがなくて、近くの家で白黒14インチのテレビを見せてもらいました。
以来、テレビから受ける「情報」は貴重で正しいものだという刷り込みが消えませんでした。何にしろ白黒テレビは日本人の「三種の神器」の一つでした。
 朝、寝ぼけて起きて、無意識にテレビを付けてボーッとした頭でニュースを見る。それが何十年と続くと、その情報が、偏向報道であっても、無意識に受けてしまう。こうなると、新しい違った視点の情報は、脳が拒否し、自分の頭で考えられなくなってしまう。心理学で言う「認知的不調和」と言うもので、なかなか意識を変えられません。
 私の場合は、テレビ業界の下請けを数年やり、新聞・テレビ広告代理店業務も数年やったので、裏事情を早くから知っていました。NHKをはじめとしてマスメディア業界は、長年の既得権益と電通・博報堂などの巨大代理店との癒着、媚中・媚韓、そしてアメリカ・ユダヤ資本家の金融グローバリズムの情報支配によって身動きがとれなくなっています。
 少数の日本人は、薄々知り始めているようですが、実際は思う以上に酷いものです。

 テレビや新聞を惰性で眺めている大方の高齢者は「今までこれでやって来たし、今さら変えるのも面倒だ」となり、選挙に関しても、「選挙は誰にいれてもどうせ変わらない」と今まで通り自民党に投票。
高年齢者の意識硬直が「日本」を危機に陥れているまずい状況です。また一方で、政治に白けた若い層の投票率は低い。それでも今年7月に行われた投票率は58.51%で、22年参院選(52.05%)を上回ったと言います。しかし国民の41.49%は棄権。4,763万人が棄権しています。
 惰性で投票する高齢者。20代から30代までの若い年齢層は選挙に行かない。「関心が無い、入れる政党、人物がいない」とこれまで極端に投票率が低かったこれらの世代が、今年は前回と比較して10ポイント上昇しました。それが参政党の大躍進に繋がったようです。
SNSからの情報で、オールドメディアの「?」に思い至って、若者達の投票行動が変わったのか、それとも一過性のものかは、早急に判断できません。
 しかし、日本の閉塞感を何とかしたいという若い方達の意識が変われば、日本は変わります。時間は掛かりますが、自分たちの政治を変えていくのは、「選挙権」を行使することからはじめるしかないことを近しい方たちと確認し合い、とにかく投票に行くことです。

心身経営学講座から学んだこと

 実業で学んだ知識を元に2000年から日本的経営の基盤である思想的・哲学的背景(仏教・儒学・神道)を軸にした「心身経営学」講座を、中堅・中小企業の経営者、承継者を対象に数年開催しました。
 MBAなどのプラグマティズム・極端な結果主義、表層主義に堕ちてしまった経営戦略・戦術などを見直し、日本人の経営者の血が通った「日本的経営の哲理篇」と、あわせて「科学的な経営戦略・戦術の技法篇」を融合した日本的経営学、「心身経営学」の講座を開催しました。
 しかし、当時の私の教授法では、伝達の未熟さからなかなかその意味する大事な部分が伝わりませんでした。また今でこそ「日本ファースト」など、日本の伝統と歴史の正しい再認識が行われようとしていますが、25年前では、そのような「日本的哲理」をベースにした、経営講座は時期尚早でした。
 日本の1980年代後半から1990年代初頭にかけて「経済一流、政治三流」という言葉が盛んに使われ、バブル経済期の日本を象徴する思い上がった表現が逸りました。しかし何のことはない、「日本商工会議所」「日本経済団体連合会(経団連)」「経済同友会」の今に至る組織の動きを見ていると、やはり三流です。勿論企業経営者としては一流、超一流の方は数人いらっしゃいますが、団体としては、株主資本主義、金融資本主義のグローバルの軛(くびき)から決して逃れられません。やむを得ません。まして政治は、宗主国アメリカ様の言いなり、媚中、媚韓とランク外の問題外。
「経営講座」は単なる異端経営学と認識されてしまったのは、当然かもしれません。

 60歳からは、長編小説(エンターテインメントや歴史時代小説)を書き始めることにいたしました。覚悟の上で始めたので、株式会社ノークの関連部門として、「ノーク出版」という「一人出版社」を立ち上げ、現在に至っています。

戦後のアメリカの日本統治の変遷とライシャワー

 戦後アメリカ統治に「依存」し、独立を放棄し、経済発展に特化した政策によって今の日本があります。日本人の精神性そのものを破壊せよというトルーマン大統領の指示の下、3S政策、Screen(スクリーン=映像鑑賞)、Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策が取られました。
 CIAの援助によって作られた「自由民主党」の完全占領下で、日本人は「精神の牙」を抜かれ、日本人が目指すベクトルは経済発展一択になりました。いや、そのように仕向けられたと言っていいかもしれません。
その後、日米間に大きな亀裂を残した60年安保闘争、当時の首相岸信介の打ち手は、強引でした。

 その直後、アメリカ民主党のケネディ大統領政権下で、ライシャワーは、1961年(昭和36年)3月19日に駐日アメリカ特命全権大使として着任します。日本生まれで日本語も話せる、駐日アメリカ特命全権大使であるライシャワー、その妻松方ハルは、明治の元勲松方正義の孫娘でした。
 ライシャワーは、日本のメディアや文化人を取り込み、実に巧妙に対日文化政策を誘導し実施しました。
ライシャワーの戦略は、安保闘争以後、文化人、知識人、官僚を取り込み、表面はソフトなイメージの親米思想に転換させるためでした。
 簡単にいってしまえば、ライシャワーの歴史観の核心は、「開国が近代化をもたらした」のは、ペリー来航が日本近代化の発端であるとして、アメリカのおかげで日本は進歩したとおもわせることにありました。
 5年間に亘り、駐日大使を経験したあと、1973年、ハーバード大学内にエドウィン・O・ライシャワー日本研究所が創立されました。

 ライシャワーは、第二次大戦中に、アメリカが対日作戦遂行のためにつくった陸軍日本語学校の設立にかかわり、日米開戦以後は、日本軍の暗号解読のための研究所の設立や、日本敗戦後の対日占領政策を決定する国務省の会議にも参加しています。
 敗戦後アメリカの日本統治政策は、東京裁判の基本戦略がベースになっています。天皇を戦争犯罪人のリストからはずし、天皇制をアメリカの傀儡としてつかうこと。そのためには東条英機ら一部軍部中枢に戦争の全責任を負わせることにしました。
 ライシャワーが1946年に出版し、その後も加筆してきた「日本史」で展開されている明治維新観は、「やがて、内部的に弱体化していた幕府の体制は崩壊し、新しい日本の誕生のための地ならしが行われることになり、その起動力になったのが、この外国からの圧力なのであった」と言う歴史認識です。

幕末・明治維新の視点をかえてみよう

 しかし果たしてそれはどうだろう。表層のみを捉えたものではないか。
 幕末、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどの列強の日本侵攻は、当初は清国のように実質的植民地支配を目指すものでした。
 しかし列強は、武士をはじめとした庶民の民度の高さを知り、彼らは方針を変えたのです。
江戸中期以降、日本国内は、幕府と武士階級を慢性的な財政難へと追い込んだ構造的矛盾、すなわち「米本位制」と「貨幣経済」の深刻な摩擦をずっと抱え込んでいました。その構造的矛盾が列強の日本来航によって、一気に顕在化したものです。
 彼らは、直ぐに日本国内経済は、世界標準と大きく違うことを知りました。例えば、当時国内での金銀の比率と欧米でのそれとでは、金が銀に対しておよそ三分の一の交換比率の差がありました。
 特にイギリスは、経済的矛盾を抱えた幕府を立て直すか、あるいは薩摩・長州などと組み、幕府を揺さぶるかという両面作戦で臨んだのです。
 実にしたたかな戦略です。それに比較するとフランスの対応は、随分と稚拙でした。またアメリカは、南北戦争の後遺症で、日本では、イギリスの後塵を拝さざるを得なかったのです。
 イギリスとフランスの決定的な違いは、その金融ネットワークにありました。何しろフランスの日本への送金はイギリスの金融ネットワークに牛耳られ、全て筒抜けになっていたのです。
 さらに、したたかなイギリスの武器商人達は、当初は日本国内の幕府側と反幕府側の双方に、南北戦争で売れ残った大量の武器を供給しました。
 そのようなイギリスの手先であったグラバーなどは、目先の利にさといが、全体を把握する能力など持っているはずがありません。
 まして、勝海舟以下幕府の面々は、イギリスの金融システムなど理解するはずもありません。その勝を妄信する、坂本龍馬などは、残念ながら使い走りでしかないのです。
唯一、ハリスと通貨交渉で、金融グローバリズムのシステムを知ったのは、幕臣の小栗忠順ぐらいでした。

金融グローバルシステム

 我々は、金融システムを構築したイギリスのしたたかさを過小評価してはいないだろうか。明治政府が誕生したのは、イギリスのお金によります。
 日英同盟、日露戦争もイギリスの盾にならざるを得なかった日本と認識すべきです。
1913年12月23日、アメリカ、ウッドロウ・ウィルソン大統領のもと、連邦準備法の成立によって、FRB(連邦準備制度)が設立されました。
 「通貨発行権力」[通貨の流通量・価格の決定]「金融政策決定権」を持つ連邦諮問評議会とニューヨーク連邦準備銀行は、事実上、ロスチャイルドの支配下におかれました。
 そのFRBの株を、米国政府は一株も所有していません。
 アメリカ・ドルは「米国債を担保に、ニューヨーク連邦準備銀行が政府に貸し付けた債券」であり、即ちアメリカ国民はロスチャイルドの銀行に借金して、税金を払い、物品やサービスを購入するたびにFEBに「本当は払わなくてもよい利子」(25~35%?・実際のところ不明)を払い続けています。
 ロンドン・シティ、ニューヨーク・ウォール街の金融資本は、形を変えて、ロスチャイルド家やロックフェラーに支配されて、金融グローバルの体系を形づくっています。
 これを崩そうとす、指導者は、暗殺や暗殺未遂の憂き目に遭うようです。

 比較すべきもない大思想家の、フリードリッヒ・ハイエクは、経済学のインチキを見抜いた偉人です。76歳になってノーベル経済学を受賞しましたが、「私はもう経済学はやらない。裏の秘密が判ったから」と50歳で理論経済学を追求することを止めました。
 彼が悟ったのは、学者達がいじくり廻す、経済学の「核」は、全ては「お金」、金融だと言うことに気づいたのです。国家の意志で、あるいはFRB(米連邦準備制度理事会)をはじめとする、シティやウォール街の金融資本家達の意志で、お金を統制して、インフレも、恐慌も戦争も起こすことが出来ると気づき、危ないと判断したハイエクは理論経済学から手を引きました。
 この闇に触れた、学者は過去に学界から追放されています。しかし、ようやく在野の経済学者がその闇を我々の前に、明らかにしてくれる時代が間もなくやってくると期待しています。その時、机上の経済学・金融経済学は役に立たないと知ることになります。

ライシャワーの弟子、マリアス・ジャンセン

 マリアス・ジャンセンというライシャワーの弟子が、日本は開国をつうじて近代社会に変革したという史観に沿って、昭和36年(1961年)に「坂本龍馬と明治維新」を上梓しました。
 当時、坂本龍馬を研究対象にした学者はすくなく、しかも龍馬の手紙やエピソードなどをおりこんで本にしてアメリカで発刊したのです。

 昭和39年(1964年)の10月10の東京オリンピックを控え、日本中が前のめりに、建築ラッシュオリンピック需要に国民の生活は大きく変わりました。同年10月1日の新幹線開通に象徴される希望の日本でした。
 手放しで経済成長を謳歌する時代、1962年6月から、司馬遼太郎氏による「竜馬がゆく」の連載が産経新聞で始まりました。
 「竜馬がゆく」の基本認識は、マリアス・ジャンセンの「坂本龍馬と明治維新」の史観を土台にしています。御本人もそれを認めておられます。

 今に至るまで、坂本龍馬の行動や考え方は、司馬氏の「竜馬」に固定されました。筋立ては単純で、単純故に、日本中に「竜馬ブーム」が沸き起こったのです。竜馬の行動はドラマティックで、高度成長期の夢を追いかける日本人にとっては、竜馬の英雄譚は、実に希望であったのです。
 中学生だった私も、同級生の文学青年に勧められて、単行本全5巻を読んだ記憶があります。
 以来、司馬氏の著作は、日記、紀行文に至るまでほぼ全てを読んでいます。
 司馬氏の形づくった「竜馬像」は、今もなお、日本人の「竜馬像」として固定されています。それを否定しようとすれば、徹底的に批判されてしまいます。その方にとって「司馬氏の竜馬」はまさに「宗教の教祖」のような存在であるのでしょう。
 ライシャワーの著作「日本史」の歴史観をうけついだ、マリアス・ジャンセンは、公武合体派の、旗振り役の坂本龍馬を「時代の典型」として売りこんだのです。その歴史観が司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の下敷きとなったわけです。
 一方で、ジャンセンは、同郷の中岡慎太郎などは、革命家としての中岡を否定しています。
事実、尊皇攘夷をドグマと信じて行動している志士たちは、あまりに純粋です。例えば、私の長編時代歴史小説の「秋の遠音」に記載した真木保臣(真木和泉)などはその典型です。その半生を記述していくと壮絶で苦しくなります。
 その点、司馬氏の描く「竜馬」のキャラクターは、当時の高度成長期の日本という時代が求めた、英雄でありました。

新しい視座の歴史時代小説

 しかし、時代は変わりました。明治維新の背後には、イギリスのしたたかな戦略があり、それに取り込まれた日本を、歴史研究者達がようやく発表するに至りました。世界の中で、幕末とは何だったのか、明治維新とは何だったのかという新しい歴史の視座です。
 そして今、世界は金融グローバリズムの支配の中にあると言うことも、ようやく一部の日本人研究者によって語られるようになりました。
 しかし多くの「御用経済学者」や「御用歴史研究者」からは、そのような学術論文は見えてきません。
 むしろ野にあって、優れた感性や新しい切り口で、YouTubeやSNSで読者を獲得している研究者達の意見の方が遙かに説得力があります。

 多くの日本人は、これまでの高度成長時代の「物事を単純化した思考」から抜け出さねばなりませんが、追いついていないようです。
 世界の実相は1960年代から60数年を経過していますが、我々が生きているこの社会は、それよりも遙かに深く、多極化・重層化しています。我々は、それに耐えうるように、思考と思想を再構築しなければならなくなったのです。
 それは司馬氏の、歴史的時代小説「竜馬がゆく」を否定するものではありません。
 しかし、今まで是とし、正しいと信じてきたものが、我々の足を引っ張っている諸悪の根源であったり、信じていたものが、事実と真逆の「倒置」そのものであるという、驚愕の事実も知るべきなのです。
 今まで学んできたことは何だったんだと、自己否定から新たに、自己の存在を作り直さなければならないという厳しい現実があります。これは、物書きとしても辛いことでした。
 高度成長期のように、未来は明るく、頑張れば成果を得られるという単純な楽観主義の時代認識は出来なくなったのです。
項目だけを挙げただけでも、
 グローバルな課題の深刻化(金融グローバルシステムも含む)、情報化社会の功罪、経済的・社会的不安、価値観の多様化と摩擦(宗教問題、移民政策も含む)、技術的進歩の倫理的側面など、相互に関連しています。
 これらの課題に対処するためには、単純な楽観主義ではなく、悲観論に陥ることもなく、現実を直視しつつ解決策を模索する「批判的楽観主義」や「賢明な悲観主義」といったアプローチが必要です。私が現在執筆している「初音の裏殿シリーズ」はそのような視座にたっています。

 戦後教育のもとで育った方々、現状を旧来の認識でしか捉えられない方々には、私の長編歴史小説の意図がなかなか解って貰えないかも知れません。
 ならば、新しい視座の歴史時代小説を次世代の方々に伝えることが出来ればと考えます。次世代の方々に、このような歴史の視座があると思って頂ければありがたいです。いずれこのような視座は必要なものだと理解いただけると思います。
 大赤字でも、オールドメディアに全く無視されても、「私の大欲」を完遂したいと思っています。

 取材から執筆だけでなく、本冊子のレイアウト、割り付け、印刷製本発注、PRリーフレット、ブログ告知など、信じられないかもしれませんが、私が全て独りでやっています。ただ書き下ろしの校正は、いくらやっても一人では限界があります。誤字のお叱りは承知の上で、先ず上梓することを最優先に考えています。(その点に関して、深謝)

日本幕末大河小説「初音の裏殿」第四巻・愛別離苦

 現在、日本の次世代に向けた大河小説を執筆しています。構想十数年の幕末歴史小説です。日本の次世代に向けた大河小説です。諸先輩方の残された長編歴史小説とは、その視点を異にし、重層的、多面的、且つ細かな人間関係を描いています。
 第四巻は、主人公宇良守金吾が、5年ぶりで、琉球の愛する石嶺王女・真麻刈金こと秋月に会いに行く事が物語の中心となります。
 渡琉のために、島津斉彬への懇願をはじめ、資金調達や交易品の買付に天才的な能力を発揮します。
 この第四巻~愛別離苦~では、長崎に幽閉されたアメリカ漂着民のマクドナルドから、伊之助が英(米)語を習得し、更に、その伊之助の設計によって新船「菊花丸」を造船し、琉球に暮らす、秋月と金吾の間に出来た憲吾を迎えに行きます。
 憲吾とは初めての面会です。琉球では、英国宣教師・医師のベッテルハイムと親しくなり、家族の生活を知ることになります。英語を話せる伊之助によって、イギリス、香港、上海などの情報を仕入れることが出来ました。
 唐船との交易、琉球王府との密約など、金吾の天才的交渉術が冴え渡ります。しかし、結婚50日にして、秋月とは悲しい別れを迎えなければなりませんでした。
 日本に戻った金吾は、どのように変貌するのか……。アメリカ、イギリス、そして清国、琉球の最新情報を手にした金吾。彼を利用しようと画策する、幕閣、朝廷、薩摩などとどう向き合うのか。
 世界の情勢を知った金吾。同時に、彼の出自宇良守家は、104代後柏原天皇の庶子であり、金吾自身は光格天皇の孫であり、現在の天皇、121代孝明天皇(16歳)の甥なのです。
 従来の幕末歴史時代小説は、世界の中の日本という立ち位置を考察した物語は少なく、さらに朝廷・公家達が、どのように立ち回ったかは、副次的にしか描かれていません。ましてその両者を描いた、歴史時代小説はこれまで全くありません。壮大なスケールと、より深い事象への切り込み。更には、様々に綾なす深い人間の情愛の記述をお楽しみください。スリリングな展開と、推理小説的展開。そして、悲しい場面には、遠慮せずに清々しい涙を流してください。

時代が求めた物語とその制約

 例えば大先輩の吉川英治氏は、自宅でも巻き藁に向かって弓の稽古をされていたようです。本来でしたら吉川氏が、私よりも先に本格的な歴史弓道小説をお書きになっていたはずですが、当時は未だ、各流派の伝書は纏まって世に出ていませんでした。と言うわけで拙著「冬の櫻」「夏の熾火」という本格的な弓術歴史時代小説を私の手で書き上げる名誉に浴することが出来ました。
 また、司馬遼太郎氏の時代は、世界の金融グローバリストの暗躍など、誰もが知らずに、日本人はがむしゃらに働けば、今よりももっと明るい明日があると信じて疑わなかった時代です。
 時代がその物語を、その思想を求めるのですが、時代の制約によって書き切れなかった、書けなかった物語もあるのです。
 あるいはまた、歴史の視座が多くの人々に認知されないけれど、ひっそりと生まれる物語もあります。
 それは多くの人達に認知されるまで、ひっそりとそこに置かれています。誰かがそれを採りあげてくれて、それに影響をうけ、行動や意志決定の助けになれば、歴史作家として冥利に尽きます。

 また、幕末から明治、そして現在に至る「歴史の視点の再認識・再考察」によって、歴史の表層の風景が変わってしまったとしても、「人間として不変なものは何か」「何のために生き、何のために人を愛し、何のために……」という様々な人間の本質は普遍です。
 歴史に繰り返しはありませんが、「歴史は韻を踏む」といいます。人間の愛の形の物語にも同じものはありませんが、「愛もまた韻を踏む」と言えるでしょう。
天才宇良守金吾の「愛」とは何か……。
 それはあなたが、間もなく上梓する「初音の裏殿」第四巻・愛別離苦を手に取って、確かめてみてください。
令和7年11月11日   春吉省吾

管理人
春吉 省吾

令和6年5月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士七段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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