はじめに
今回の「春吉省吾・歴史作家のへたくそ武道塾」は、来る12月13日に行う「居合道 見学・体験会」の実施に先だって、武道の基本を知っていただきたいという目的で記載しました。
個々の項目一つをとっても、一冊の本になるほどの内容ですが、ここに記載した内容は、大きな「幹」の部分です。
この「大きなこと」をご理解頂くと、武道だけに限らず、日常生活やあらゆるスポーツに役立つと信じています。
今回の「居合道 見学・体験会」のテーマの一つに、健康寿命を伸ばし、生涯武道として、心身の健康を助長する、とあります。その大きなテーマを理解いただくための基本認識です。
〈「居合道 見学・体験会」に参加希望の方はここから申し込みをしてください。締め切りは2025年12月6日中です。〉

センター、体軸、正中線って何?
運動科学者の高岡英夫先生の「センター・体軸・正中線」(ベースボールマガジン社)では、「正中線については、それが使われている分野によって、軸、体軸、センターなどと呼ばれ方が違うだけで、実は同じものを指している、つまり『重力線とその延長上に沿って形成された直線上の意識』であることがわかったのです。そして同じものならば、学術的に統一した名前が必要だと考え、それらの総称として『センター』を選びました。これらはあくまでも学術的統一概念として策定したものです」と記述されております。
この「武道塾」というブログでは、武道全般で使われる「正中線」という言葉で統一して記述します。同じ武道でも「弓道」では、体軸を「縦軸」あるいは「縦線」と言ったりしますが、どれも同じ物だと思ってください。
高岡先生はこの「センター(正中線)」は「意識」と仰っていますが、これを「身体意識」と言う言葉で定義しています。意識の世界ですからも実体に比べると理解しづらいですが、身体意識は、身体の解剖学的構造やバイオメカニズムに極めて密接に対応して成立していることが、今日の研究で判っています」と述べ、更に「身体と精神は身体意識を介し、相互に浸透し合うものであることに気づいてほしいのです。そうなると、身体と精神は別物であるという二元論が、身体と精神は明確な構造を持った身体意識というメカニズムを中央に置く、一つの力動的機能構造であるという、一元論に収斂していくことも期待できます」。(高岡先生・前出の書)

〈私見で専門的になるので、この回では記載しませんが、この一元論は、空海が体系化した密教世界の「不二一体」や道元の「普勧坐禅儀」の禅の世界とも密接に関連し、最終的には仏教最高哲学の「唯識」とも関連します〉
正中線をより詳しく
身体の中心を通る線を正中線と言います。
頭の百会(ひゃくえ)から足の内くるぶしの間を貫く仮想的な垂直線として、眉間の奥、頭中部のやや後ろの前頭葉の下部、鳩尾(両の乳首を結ぶ体内の中心)、そして通常「丹田」と言われる臍下三寸(およそ9センチ)と言われる表面から数センチほど入ったところを貫くのが、正中線と言われています。
ただそのラインにあまり固執してしまうと、固まってしまい、感知できなくなってしまいます。つまりどれくらい脱力できるかということがカギなのです。
脱力し身体の各部が重力を受け、それぞれが自然に鉛直方向に延びているのを感ずることです。上半身は無用な力は抜き、地面の地球と一体化するのですが、実践は難しいです。
では、一本のラインという考え方で無く、正中線を軸とした「筒=円柱」と考えたらどうでしょう。
正面から見て、両耳と両肩を通る正中線の両脇2本のラインは、鎖骨の中央を通り両坐骨の外側を通ります。正中線の胴体の先には、尾骨があります。
この正中線を中心として左右のラインを周とする「筒」と考え、頭頂から尾骨(または足元)まで貫く、体の中心に透明な筒がある様なイメージをしてください。
ここを意識することで、体幹が安定し、不必要な力みが抜け、自然で良い姿勢を保ちやすくなります。
その筒の中は空洞で、光や温かいエネルギー(氣)が満ちている、あるいは上下に流れている様子を思い浮かべることです。先ずは、この筒を意識しながら、ゆっくりと呼吸したり、立ったり座ったりといった日常の動作を行います。
このように、正中線を「筒」として捉えると、単なる解剖学的な線ではなく、機能的・感覚的な意識の中心として活用するための有効なアプローチになると思っています。
このイメージは日常の生活の中でも大いに役立ちます。
丹田って何?
この筒の中の正中線と同じラインに、いわゆる「丹田」という「身体意識」が存在します。
一般的に「丹田」と言われているものは、最も重要視され、正丹田とも、下丹田ともいい、身体の力や生命エネルギーを貯蔵すると考えられています。 身体の安定やエネルギーの源泉とも言われています 。
この下丹田は、腹筋や体幹を支えるインナーマッスル(腹横筋、骨盤底筋群など)が適切に機能している状態すなわち「体幹を安定」させる、上述のエネルギーの中心の合わさる部分と考えられています。
しかし、丹田には下丹田を含めて3つあって、眉間のやや上奥にある丹田を「上丹田」といい、精神の座とされ、集中力をコントロールする役割を持ちます。
また「中丹田」は両乳首を結んだラインの真ん中の体内にあり、感情や情熱、愛情を司ります。
中丹田を鍛えることで、感受性は高まりますが、中丹田だけが発達すると感情だけが暴走しすぎるので、下丹田がそれを制御する役割を担います。
上中下の3つの丹田はここに在るという具体的な場所があるわけではありませんが、目に見えないエネルギーの中心点であり、相互に働き合って、精神と身体の合一を意識すると、武道そのものが根本から変わります。
また、正中線・丹田の見えない筒には、東洋医学における「気(本当は「氣」、エネルギー)」や「血(栄養)」が流れる通り道で、「経脈(縦の道)」がびっしり並んでいます。「絡脈(横の道)と合わせた総称を「経絡」といい、全身に張り巡らされており、身体の各部や内臓をつないで機能の調整を担うと考えられています。また、経絡上には「経穴(ツボ)」があり、東洋医学ではこれらを刺激することで不調の改善を図ります。


肩甲骨の働きを考える
背骨は体の中心にある骨の軸であり、正中線は体前面の真ん中を通る仮想的な縦のラインです。理想的な姿勢では、背骨が正中線に沿ってまっすぐで体全体のバランスが保たれます。
背骨は、体を支える主要な骨の集まりで、首の骨(頚椎)、胸の骨(胸椎)、腰の骨(腰椎)、仙骨、尾骨などから構成されています。
肩甲骨は鎖骨を介して体幹とつながり、骨盤は背骨(特に仙骨)とつながっています。背骨を介して上下の動きが伝わるため、二つの骨は互いに影響し合います。
また、肩甲骨と骨盤は、背骨を介して間接的に連動しています。
具体的には、歩行などの動作で、一方の骨盤が前方に動くとき、反対側の肩甲骨が外側に開く、という対の関係で動きます。この連動がスムーズに機能することで、体はブレずに効率的な動きが可能になります。
例えば、剣の振りかぶり、切り下ろしでは、上げるときに胸を反り、下ろすときには背中を反ってしまいます。正中線があおられて、反らないと腕が上がらず、腕を上げるまでに時間が掛かる。切り下ろすときにはその反りが戻らないと腕が下りません。時間が掛かります。そのような動きは二段切りとなって、動き出しだけで無く、動き全体が読まれてしまいます。こういう居合は、高段者の方にも、多く見かけます。
肩甲骨の回転で腕が上がるようになると、出だしの立ち上がり動作が相手に読まれず、体幹部の反り動作が無くなるから、早くなるという理合いです。
これが出来ると、上げて下ろすという腕だけで見れば、二拍子の動きをしているにもかかわらず、一拍子のように感じ、相手からもそう見えます。
これが、名人の「切り」となれば、肩甲骨と肋骨が離れ、肋骨の自由度が増して、益々肩甲骨の動きが滑らかになり、一拍子という感覚も無く、何だか判らないうちに切られていたということになります。我々凡人は、このために修行し稽古していると言ってもいいのですが、その難しさは「半端ない」どころか、私にとっては遙かに遠いものです。
しかし、ここまで書いてきた基礎を知って稽古するのとしないのとでは、雲泥の差なのです。



「居付き」とは ?
普段私たちは、無意識に「居付き」のオンオフを使い分けて生活しています。
しかし、そんな事は誰も思考の俎上に乗せません。でも、スポーツや武道にとって、これを意識することが、とても大切です。
簡単に言うと「居付き」とは、移動したいのに身体はその場に留まろうとする無意識の反応のことです。この「居付き」がある状態では前に進もうとしているのに身体は元居た場所に無意識的に留まろうとします。この反応は前に移動する際のブレーキになるので、アクセルを踏みながらブレーキも踏んでいる状態になってしまい非効率な状態です。
チョットわかりにくいですね。では、逆に「居付いていない」状態とはどういう状態かと考えます。「意識が 自分の重心をコントロールできている」状態と思ってください。
揺れる電車に立っていても、意識していればよろけることはありません。
これは重心のコントロールに関係があります。動いていようが止まっていようが、意識が重心をコントロールしていれば、何か起こったときに対応できます。
これが出来ない状態こそ、「居付き」です。
つまり、これまで述べてきた、正中線や丹田の精神と肉体の感覚と見事に対応するのです。
本来、武道の「形」とは、文字通り動きやかたちを憶えるものではなく「体の動きの緩急に関わらず」「意識は一連」とする鍛錬、つまり「居付かない心と体を作る」ための訓練なのです。あらゆる武芸の初心者、熟練者共に、稽古に欠かすことができないことなのですが、ここをしっかり指導しておられる指導者は、あまり見かけません。
ここで居合道の優れた点をPRしておきましょう。
居合道とは、「居」の状態から始まる戦闘を想定した「居合」という武術です。
日常の「居」から、その相手が敵対者と見きった瞬間、「動」へ素早く、しかしけどられること無く切り替えることこそ、「居合道」で、生きるための武術なのです。
また相手が突然切りかかってきたときに、瞬時に「動」に切り替えることが心身一如、命を守る道です。
「武術」と「格闘技」の本質の違いもここに在ります。日本の武道は、奥が深い。特に「居合道」は生涯武道として、深遠です。
令和7年(2025年)12月1日 春吉省吾



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