私の散歩・ジョギングコースに月桂樹の木が纏まって10数本程植えられている所があります。行き止まりなのでそれを気に掛ける人は殆どいません。時々、綺麗な一枚を、お守り代わりに頂いてきます。近くに木犀(モクセイ)の木もあります。
今回はこの月桂樹を話題にして記載いたします。
月桂樹とはギリシャ神話では太陽神アポロンの霊木とされていて、競技の優勝者に与えられ、月桂樹は勝利の冠として使われます。
明治時代にフランスから日本に月桂樹が渡来した後、日露戦争の戦勝記念樹に採用され日本中に広まり、そこから月桂樹や月桂冠の意味も浸透し始めました。
ところが「月桂樹」に関しては、歴史的にいろいろと勘違いがある事に気がつきました。私の雑学的調査結果ですので間違っていたら失礼いたします。
日本では月のクレーターは「餅つきをしているうさぎ」のイメージで定着していますが、中国では「大きな桂の木を切る男の姿」に例えられています。
刈っても刈っても元に戻ってしまう月面に生えている桂の木を、罪を償うためにいつまでも刈り続けている男の姿です。かなり趣が違います。
そして中国で言う「桂」とは実はモクセイをさします。
日本の「桂」とは違うのです。この混同は平安時代にまでさかのぼり、花に芳香のあるモクセイが日本に渡来する以前に、中国からその知識だけが先行して伝わり、誤って桂の字をあてたようです。
江戸時代には勘違いに気づきましたがそのままになっていました。フランスから渡来した「月桂樹」は日本の桂の木に香りや姿がとても似ていた事と、中国での物語が先に日本に伝わっていた事で「月桂樹」と言われるようになりました。
間違いに間違いが重なり、間違いは間違いを呼びます。
我が中学の「集いの歌」という校歌に代わる歌には「月の桂を折る」と言う歌詞があります。
立身出世とか、名をなすという意味に使われるのですが、本来は「桂林の一枝、崑山の片玉」(けいりんのいっしこんざんのへんぎょく)と言う故事からの言葉で、
科挙の試験で第一等となった者が、武帝の問いに、試験に合格したが、桂林や崑崙山の玉のような高位高官の末席を得たにすぎないというという謙遜と自分の官職に満足していないいわば潜在能力はこんなものではないという自賛の言葉でもあります。
それが、月伝説と一緒になって、「月の桂を折る」という言葉になり、立身出世し名を上げるという意味で使われるようになりました。
菅原道真の母の歌に「久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな(拾遺473)」
(こうして元服した上は、月に生えているという桂の木も折るばかりに、大いに才名を上げて、学問の家としての我が一族の名を高めてほしいものです)と言うように使われます。
九世紀に作られた「菅原道真公」の母の歌も、日本の「桂」と中国のそれとは違うものを指していたとは知らなかったのです。
このように最初の勘違いが大きな違いになる事も結構あります。
中国で生まれたエピソードや思想は全て漢字によってもたらされたわけですが、それを日本人の文化や慣習などに置き換えてしまうと解釈が変わってしまいます。論語、孟子をはじめとした四書五経も然りです。学者先生が勝手に日本的解釈をしている例もあります。
まさに違った意味で「論語読みの論語知らず」になってしまいます。
また仏教経典は印度のサンスクリット語で書かれたものを漢字に音を当てはめて、中国語に翻訳されたものが日本に入ってきました。
例えば「お盆」の語源はサンスクリット語の「ullambana(ウラムバナ)」、これが「ウラボン」「盂蘭盆(うらぼん)」と漢字に置き換えられ、「お盆」の語源になったと言われています。盂蘭盆が「盆」と略されたのは、先祖への供え物を器の「盆」に載せたからと言うことですが、その風習は日本に渡って来て、在来の神道的行事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たと考えられます。
また、道元禅師などは、本来の言葉を知っていながら敢えて違う言葉を作って自己の「さとり」を表現した様なこともあり、漢字での表記とその解釈はなかなか難しいのですが、それ故に実に面白い研究対象です。 石田心学や富永仲基などのことを解説すればもっと日本文化と宗教の側面が見えてくるのですが、大分専門的になりますので今回はここまでにしておきます。
手前が木犀後ろが月桂樹 2016.5.10 月桂樹の若葉 2016.5.10
代々木八幡出世稲荷 2016.5.12 幡ヶ谷氷川神社2016.5.9
トレーニングの道すがら神社巡りもいろいろと。渋谷、中野、世田谷、新宿と範囲を拡げたいのですが、一万歩を越すと仕事に差し支えてしまいますので、程々にしています。
コメント