「風浪の果てに」あとがきから

【 あとがき 】
平成28年の12月26日の早朝、長編「風浪の果てに」を脱稿いたしました。不覚にも鼻水と涙が止まらずに「自分で書いたものに自分で泣いてどうする」と思ったものです。
私のこれまでの作品は日本の作家の誰とも違って、全て超長編書き下ろしですから、脱稿して形にならないと、それまでの努力は一切酬われずに埋もれてしまいます。それ故に、脱稿した瞬間には「今ここで死んでもいい」というような大きな感動があります。
「風浪の果てに」では、松陰と吉五郎を際立たせることによって「生と死」の意味を記述いたしましたが、吉五郎を取り巻く境遇はそれすらも呑み込んでしまう苛烈な幕末・維新の物語です。
今回の構想は十年前から温めていたのですが、関連する多くの資料を読み込んでみると、現在に至るまで、勝手な松陰像を作り上げている方々が何と多いことかと改めて思います。
例えば「やむにやまれぬ大和心」という文句を卑小に抜き出し、権力や自己防衛のために使ったり、勝てば官軍という勝者・長州閥の奢りの残滓が、未だに正しい松陰像を探ることを歪めています。
松陰は自らの死によってその存在を自己完結させましたが、吉五郎はそうではありませんでした。若いときから斜に構えて生きて、係わった女達を皆不幸にしてしまうという恐怖にも似た感情を抱え、過酷で理不尽な人生を耐え続けました。その生き方の何と人間臭く、魅力的なことか。
「人間皆凡夫なり」。多くの人物が登場する骨太の哀しく切ない物語をお楽しみください。
なお本小説の荒校正を含めて貴重なアドバイスを福島民友新聞社元常務・菅野建二様に頂きました。 ここに心より感謝申し上げます。
(春吉省吾 平成29年1月15日・強烈な寒波の東京で)

管理人
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令和5年1月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士六段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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