「夏の熾火」に思う、唯我独尊

積雪6センチ

昨年の11月に上梓した長編時代小説「夏の熾火」お陰様で好評です。
私がライフワークにしている「四季四部作」の三作目の作品です。

実際の歴史上の人物は、その生まれも昇天した日時も定かではないけれど、その業績だけははっきりと歴史の中に止めている人物は多い。
拙著の「四季四部作」の中で活躍する人物の多くはそういう人物だ。だから、私が物語にするまで主人公にならなかった名人偉人が多い。

「夏の熾火」の三人の主人公、吉見台右衛門、葛西薗右衛門、和佐大八郎はいずれも紀州藩藩士であり、紀州竹林派の弓術の名人であった。
藩という制約の中で何とか流派の隆盛をはかろうとする吉見台右衛門。実直だが若い時分は神経質で、父を過剰に意識して、その克服に時間がかかった。

その愛弟子葛西薗右衛門、過去現在そして将来もこれ程弓射の天賦の才を持った弓術家は存在しないという大記録を持つ。若くして逝ってしまったが、彼は弓術家として極めることがその最終目的ではなく、彼の野望は政治への参加だった。

また台右衛門の最後の弟子ともいえる、和佐大八郎。三十三間堂で行われた「大矢数」で打ち立てた、8133本の射越は、これからも決して破られない。しかし彼は、その偉業に安住し、時代の流れから取り残され、遂には、五代藩主の徳川吉宗から放逐されてしまった。
この「夏の熾火」の奥行きは深い。
それが出来るのは、残された文献と歴史研究家の実績だけでは埋まらないその隙間を埋める作家の創造力である。書き手の使命と読み手の醍醐味はそこに存する。

しかし弊社のような弱小の出版社の上梓する出版物の読者は少ない。この先、多くの方にお読み頂く事も出版経営者としてまた作家としての務めだ。そのための戦略を策定し販促活動も自ら動かなければならない。
併せて、硬めの「超長編歴史小説」とは別に、もう少し読みやすく小編・中編小説も書き始めた。

作家活動を遅く始めた私としては、他の作家とは真逆な執筆方針で、長編を無名の時から書き連ね現在に至った。そのアプローチは正しいと思っている。というのも、早くして認められ私小説的な短編小説しか書かなかった「有名作家」が、その晩年に長編小説を書こうと呻吟しても残念ながら殆どは失敗に終わる。過去の名前のみに縋り、読むに堪えない物語しか生み出せないというのが事実である。
気力体力とその維持につとめ、創造力が枯渇しない「私ハソウイウ物書キニナリタイ」。

長めの追伸
国立新競技場建設予定地にも6センチの積雪。(写真:朝日新聞ブログより)
たった6センチの積雪で、都市機能が麻痺してしまう。そこで生活している我々は多大な不都合を被る。自然の猛威にいかんともしがたい人間の弱さを思い知らされる。

この降雪は新競技場の建設予定の更地全てを真っ白にした。雪化粧の空き地(やがて建設されるであろう)の下には、権力欲、金銭欲、名誉欲、複雑な人間関係など様々などす黒い思惑が隠蔽されている。
いつの時代も同じだが、我々が表向き知らされている「歴史」は勝者の歴史だ。勝者にとって都合の悪い「欲望」は全て抹消されて、都合の良いことばかりが「正しい歴史」となり、更に勝者は正当化の更なる上塗り(真っ白な雪化粧のように)をする。

ただし「弱者」の立場の側も、その「不幸」を殊更誇張することがある。物書きはそこを冷徹な目で見なければならない。
これは過去の歴史に限らず、例えば、今現在起こっているSMAPの一連の騒動もそうであろう。新聞やテレビに載らない人間の裏側の欲望としがらみを掘り下げて考えてみるのも時には大切だろう。

管理人
春吉 省吾

令和6年5月現在、全日本弓連連盟・錬士六段、全日本剣道連盟居合・錬士七段。40歳を過ぎて始めた「武道」です。常に体軸がぶれないように、手の内の冴えを求めて研鑽は続きます。思い通り行かず、時に挫けそうになりますが、そこで培う探究心は、物書きにも大いに役立っています。春吉省吾

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