4月の半ばにVOL.54を皆様にアップして以来、時はアッという間に流れてしまいました。
この2ヶ月半は、本気で、古典や教典など、勉強し直しました。おかげで
「言葉の裏側を読む」「書かなかったこと、かけなかった。その本音を読む」
とはこういうことかと、ほんの少し分かった事もありました。
想像力と好奇心はこの年になっても衰えませんが、集中力の持続だけは、体力を維持していないとなかなか大変です。武道の稽古日以外は、ジョギング・ウォーキングを励行しています。物書きの習性か、資料の読み込みで、つい朝までというようなときは、無理をせずに 「二度寝」をして、6時間の睡眠時間をキープしようと努めています。
6月中に上梓しようと思っていた随筆集は、思うところあってタイトル、内容も変更しました。
「29円モヤシの目線で 日本の危機と 生死観を考え直す。」(以降「29円モヤシ」と記述)というタイトルです。
7月の20日、販売予定です。400字原稿用紙で330枚、すべて書き下ろしの内容です。A5判のブックレットとし、1,250円(消費税別)で販売いたします。安価で求めていただけるように、シンプルな装丁です。
なお、当社ホームページからご購入いただくと、ポイント利用で大きな特典がございます。
「29円モヤシ」は当たり前のことを当たり前に考えるとこうなるという、私なりの考え方を記載しましたが、結果として、かなりショッキングな内容になりました。
前半は、幕末の歴史を基本に、「2020東京オリンピック・パラリンビック」など現在日本の置かれている具体的な事象を取り上げました。
この問題は、我々日本人が監視を怠ったことにも責任があります。55年前の東京大会と、現在のそれは、時代背景が全くちがうということを認識しなければなりません。
しかし日本人の多くは「オリンピックは神聖で不可侵なもの」という刷り込みがあって、誰もこの問題を指摘しないまま「お祭り気分」で終了してしまいます。私も「お祭り」は大賛成ですが、その組織と運用が、利権の温床で、誰も責任をとらない曖昧で膨大なコスト濫用となれば話は全く別です。誰かがきちっと論述しないといけません。「29円モヤシ」はそこにも触れています。
さて我々は一度「先入観」を刷り込まれると、なかなかそこから離れることができなくなってしまいます。
それは地球規模の経済活動にも現れています。GDPという「旧式な測定指標」にがんじがらめになっています。量的拡大から、質的拡大への「維持システム」へのシフトをはからなければなりません。量から質への大転換で、先進の企業家は「価値基準」の変換を認知しており、その一部を導入している企業の業績は向上しています。今後、大きな潮流となるでしょう。
「29円モヤシ」の中でも触れましたが、「維持システム」は、必ずしもゼロ成長経済ではありません。「ゼロ成長」にならざるを得ない部分と「適正成長可能」な分野も数多くあるのです。
「29円モヤシ」では、日本の財政、経済事情、米、中、露、韓などとの向き合い方、年金問題など、誰でも手に入る資料を基に、戦後75年のたまりに溜まったその澱を明らかにしました。
「グローバル経済」とは我々を幸福にはしてくれなかったという、「当たり前の結果」を認識してもらうことでもあります。
世界経済は思った以上に、もちろん日本経済も危機的な状態にあることを、「29円モヤシ」をお読みになれば分かるでしよう。
残念ながら、官僚や日和見の政治家たちが、何もしてこなかったそのツケ(負の遺産)は、今後、我々が支払い続けなければならないというのが現状です。
その完全な「解」はなく、「上手な妥協」しかないというもどかしさがあります。
「おまえに何ができる」と問いかけながら、この数ヶ月、随筆を書き、小説を書き、多くの古典、教典、経済書を読み返してみましたが、結局「何もできないし、何かできると考えることこそが、人間の浅知恵」と改めて思ったものです。
ただ「私はこうありたいと思い、私のできる最大値でそれを実践する」それだけです。
近い将来、地球に存在する我々が、今のような我欲むき出しのままでは、エントロピーの法則を持ち出すまでもなく、クラッシュすることは、通常の理性を持っていれば判断がつきます。
しかし、世界は益々統治不能の覇権主義と我欲の世界に突進していきます。
それが人間の性だと言ってしまえばそれまでですが、宗教も、哲学も、思想も、科学もなんと無力なのだとおもうのです。行き着くところまで行かないと、人間は変わらないし、変わりません。
私は、明治時代は国家神道をはじめとして、いびつな思想や形式主義を助長してしまったと認識する立場ですので、明治は栄光の時代であったなどとノー天気なことは言いません。しかし、幕末を生き抜いた、腹の据わった「大悪党」がまだ生きていました。
しかし今の時代、他人のあら探しに終始し、腹の据わっていない「小悪党」がやたらと増えたような気がします。
自分の名前を一切表明しないで、ネットで他人をこき下ろす時代だし、政治家や経営者がツイートすれば、それを先回りして忖度する時代ですから、我々はよほど自分を持っていないと、たちまち取り込まれてしまいます。
むしろ若者よりも、高齢者にこの「小悪党」が多いのは残念です。我欲をむき出しにして、周囲に迷惑をかける人間が多すぎます。中途半端な学歴や、家柄、血筋、たまたま金持ちになったことなどを鼻にかけて生きている、大馬鹿者が多いということです。
日本の場合、単純計算すると、人間の世代交代を25年として、27代から28代前、つまり今から680年前(ちょうど後醍醐天皇が亡くなった年、その翌年室町幕府が開かれた)は、日本人は皆親戚と言うことになるのです。勿論、皇室とも血縁が繋がっているということです。
今の日本人は、1万6千年前から先住していた縄文人と、3~4千年ほど前から、列島にやってきた、帰化人との混血です。
底の浅い知識で、家柄や血筋をと騒ぐ輩もなべて、4代から5、6代前は、ほとんどが百姓か、貧乏公家か下級武士がそのルーツです。貧乏日本人どおしが、お互いに血筋云々を語ること自体、ナンセンスなのです。
そんな上っ面な「家柄や育ち」をひけらかすのは、明治時代の形式主義の残滓です。明治の「華族制度」の制定は表向き、皇室の藩屏として作られましたが、倒幕で名をあげた、下級公家や下級武士が、士族・平民に優越する上層の階層をつくりあげたもので、ヨーロッパの「貴族」とはその歴史的背景と教養において根本から違うのです。
それよりも、最新科学の「核DNA技術」をもっと活用し、政治的に作り上げられた、古事記・日本書紀のそれ以前の、「日本人の起源」に関心を持って貰いたいものです。今回「29円モヤシ」では、我々日本人の思想の大切な部分なので、それについても、私論を記載しています。
宗教家でも学者でもない私ですが、現状の経済政策(新古典派経済学と金融工学)を危惧する一人です。我々は万が一に備えて、自分で考え実践するそのプロセスこそが大切だと思います。 人間の我欲はある程度必要なことですが、負の遺産を次世代にできうる限り残さないことも、人間としての務めだと思っています。
「29円モヤシ」の私の論旨と、読者のそれが真逆であっても、それが読者にとって、大きな刺激になればその役割を果たせたと思っています。
2019.6.28 春吉省吾 ⓒ
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