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もっと早く告知しようと思っていたのですが、メインのコンピュータが突然故障し、一昨日、ようやく復旧致しました。何が起こるか判らないとはこういうことをいうのでしょう。
今回は、主人公の一人、吉見台右衛門(順正)の指導力とその弟子葛西薗右衛門についてお話しをいたします。
弓術家として台右衛門は一流でしたが、組織の管理者としては、屈折した感情を持っていました。父、喜左衛門のしたたかさに全く太刀打ちができずに、翻弄され続け、それを乗り越えて初めて、台右衛門は男として独り立ちし、指導者としての第一歩を踏み出すことになります。
「夏の熾火」は、吉見の指導者としての成長の軌跡として読んで頂く事もできます。
紀州竹林組織を纏め、紀州藩の弓道組織の頂点に立つためには、競争相手を排斥し、部下を育てなければなりませんでしたが、そこまで非情にはなれなかったのです。
そこに現れたのは、天才弓術家、葛西薗右衛門でした。
早くから葛西の才能を見抜いていた、台右衛門でしたが、その才能は、師匠としても嫉妬すら覚えるほどでしたが、この天才的な弟子によって指導力の不備を何とか補うことができました。
とにかく、葛西薗右衛門の「天才」は、頭抜けたものがあります。
そういう天才の弟子を持った、台右衛門はその「天才ぶり」に翻弄されます。
台右衛門の立場は、組織のリーダーと言っても、藩主や重役達の下で、いわば現場監督です。その悲哀は現代の中間管理者と同じものです。
ところで、その天才弓術家葛西薗右衛門、三十三間堂の「通し矢の矢数帳」には、前人未踏のとんでもない記録が残されています。
三十三間堂の西外縁の長さ120m高さ、5m弱の高さの細長い空間を何処にも触れずに、矢を射る事を「射越す」といいいます。彼は「全堂千射」にて、千射を射て何と960本を射越しました。また、「大矢数」という一昼夜を通して戦う競技でも、射越率(何本放って何本射越したかという率)は、いまだ誰にも破られていません。
この記録から推測するに、薗右衛門は力任せでなく、いかに合理的な射をしたかがわかります。物書き春吉は、この天才弓術家に「美貌」を付与しました。上記の二つの記録は、しなやで柔軟な筋骨の美しさを持つ「弓引き」でなければ達成できない記録なのです。ですから、彼が達成した記録(その理由はここでは省きます)とその美貌は相通ずるものがあるのです。
紀州城下はもとより、京の女達、大奥の女中達をも虜にした、薗右衛門。
いい男っぷりであったことは、想像に難くありません。「美しすぎる天才弓術家」、葛西薗右衛門の活躍を「夏の熾火」でお楽しみください。
次回は、「夏の熾火」の新聞紹介記事掲載の予定です。
写真は、
●今年は渋谷区が主幹の「城西地区居合道大会」で総合司会と審判をしたあと、大会終了後の片付けのスナップ。となりは無段の部で優勝した、進藤君。
●東京第二地連の10月弓道月例会。
●渋谷区弓道連盟主宰の「第三回実技講習会」10月11日、始まりの体操。研修会のコーディネーターを務める。準備のレジメ作成と、一日掛かりの研修は大変です。これもボランティア。
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